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薬事功労者厚生労働大臣表彰を受賞
レデイ薬局で働く従業員、
それぞれの活躍にスポットライトを当ててみよう!
ということで始まりましたこの企画。
今回は、2024年10月21日に
薬事功労者厚生労働大臣表彰※にて、
長年地域の薬事衛生で貢献してきたことを表彰された社員にインタビュー。
レデイ薬局の歴史にもとっても貢献された方です!
※薬事功労者厚生労働大臣表彰とは
多年にわたり医薬関係事業の発展向上に貢献し、医薬行政の推進に顕著な功績があった者および団体を表彰するもの
WHO?
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三橋 ひろみ
医学博士/薬剤師
卒業:岡山大学 薬学部
表彰歴:
2009年2月15日 愛媛県薬剤師会会長表彰受賞
2009年11月16日 愛媛県薬事功労者薬事振興会会長表彰受賞
2017年11月16日 愛媛県薬事功労者愛媛県知事表彰受賞
薬剤師会
ー社外では薬剤師会で地域に貢献された三橋さん。どのようなことを経験されましたか?
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頻度が高いもので言うと、
愛媛県薬剤師会(松山支部)(現在松山薬剤師会)では
毎月1回19:00~21:00に全薬剤師対象の研修会を開催しており、
理事として座長や受付を交替で担当し、運営していました。
愛媛県薬剤師会では、
毎年2月の日曜日に学術大会を開催し、
発表やブース担当、受付等、毎年役割分担して運営していましたね。
地域の公民館や保健所などでは
薬の説明会や講演会・相談会もよく担当しました。
これは薬剤師会の企画の場合もありますし、
直接依頼されたりした場合もありました。
30年ほど前の、はるか昔には、
広域病院の医薬分業(薬の処方と調剤を分離し、それぞれを医師・薬剤師という専門家が分担して行うこと)スタート時に、
愛媛大学や県病院の患者さんの待合室に出向き、
院外処方せん発行時の薬の受け取り方や
処方せんの有効期間や注意点など、説明を担当したりもしました。
今では信じられないでしょうが、
薬歴簿やお薬情報提供書もなかったのです。
各病院の調剤内規や採用薬を公開していただき、
院内での調剤方法の確認を行い、
皆でよりよい分業になるよう切磋琢磨して進めたのは、
とても懐かしい想い出です。
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近年では「健康サポート薬局研修会」、「認知症対応力向上研修会」「オンライン診療の緊急避妊薬の調剤」などの講師や運営を行っています。
女性薬剤師会では年2回、
薬剤師継続学習講座のスクーリング講座の企画・運営も行っていますよ。
薬剤師会の仕事はいつも夜か土日。
レデイ薬局の仕事と両立しながら
毎日大変忙しく活動しています。
医薬分業とレデイ薬局
ー三橋さんはなぜレデイ薬局に?
私は大学卒業後、すぐに結婚し、
夫が創業家の方だったのでレデイ薬局に入社しました。
創業者である三橋春男は
「レデイ薬局は大型相談専門薬局だ」と言われており、
中医学に力を入れていましたので、私も一生懸命中医学を学びました。
大きな生薬室があり、相談に応じて煎じ薬の調合をしたのは、入社時の懐かしい思い出です。
ーどんなことを経験されてきましたか?
レデイ薬局は長い間、「全店薬局で運営する」という方針でしたので、全店に調剤室を作り、全店保険薬局の許可を取って薬局を開設していました。
今で言うと、「全店面分業(特定の医療機関に限定されず、複数の医療機関からの処方箋を受け付ける形)に対応した調剤併設店」だったのです。
医薬分業は進んでおらず、院外処方箋発行率が
極めて低い時代が続いていました。
平成になりマンツーマン調剤(医療機関と薬局が1対1の関係にある調剤)が一般的になり、医薬分業が急激に進んでいきました。
それでも、レデイ薬局でマンツーマン調剤に対応した
初めての薬局であるレデイ薬局日赤前店がスタートした
平成5年9月当初は愛媛県での医薬分業率はわずか7%程度だったのです。
私はマンツーマン調剤を進めるために、
開業されている多くの医療機関を訪問し、
医師に面会し、医薬分業のお願いをして調剤薬局の開設を進めました。
今となってはよくそんな仕事を自分がしたものだ、
と思いますが、その頃は『薬剤師である私がしなければならない』と自分に言い聞かせて行動していました。
県立病院が院外処方せん発行を開始するのに備え、
松山市ではレデイ中央調剤薬局とレデイ薬局拓川店、
今治市ではレデイ薬局近見店(現レデイ薬局大新田店)、
新居浜市ではレデイ薬局新居浜西店(現レデイ薬局中萩店)を出店し、
院外処方せん発行と共に対応していきました。
また、レデイ中央調剤薬局は
県立中央病院が院外処方せん発行を開始するまでは
「介護の店」として店舗を開店して準備していたんですよ。
現在のアクティブ平井店の原形となる店舗でした。
レデイ薬局拓川店は現在365日24時間、
在宅医療に対応する薬局として地域に大変貢献しています。
保険薬局許可を得るためには
各地区の薬剤師会からの承認も必要ですから、
薬局出店エリアの全ての薬剤師会の
会長や支部長の方々を訪問し、
レデイ薬局の対応等色々な話をし、承認を得ることもやってきました。
面分業からのスタートでしたので、
薬の備蓄をすることから始まって、
年中無休で長時間運営することもあって、大変でしたね。
広域病院の医薬分業がスタートし、
薬局開設の法律も変わっていき、
保険薬局ではなく店舗販売業の店舗(ドラッグストア)が出来たのはずっと後の事です。
また、郊外への多店舗展開・薬局運営するためには
薬剤師を確保しないといけませんから、
新卒確保のため、薬学部訪問も開始しました。
卒業してから大学を訪問するなど、
学生時代には想像もしていなかったことでしたが、
教授たちと色々なお話ができ、私にとっては楽しい時間でもありました。
薬学部が46大学だった時代、
レデイ薬局の勤務薬剤師は地元に帰って就職する方々ばかり。
かなり色々な大学出身者がいましたので、
ほとんどの大学を訪問し、求人していましたよ。
話は戻りますが、
「大型相談専門薬局」というポリシーのもと、
私は長い間、学術部長を任命されていました。
当時は社員の方々により多くのことを学んでいただくため、
様々な勉強会を企画・運営したものです。
登録販売者制度が出来るまでは
「レデイ薬局社内テキスト」を作成し、
OTC薬の知識を深めることに尽力しました。
社員に資格取得を促したこともあります。
保健管理士・ビタミンアドバイザー・禁煙支援士等々。
自分もいつも一緒に受講していましたので、
取った資格はたくさんあります。
日本薬剤師会学術大会が
初めて愛媛県で開催された2002年には、
レデイ薬局で初めて発表しようと決心し、
OTC薬(ベリックス)・調剤(ジスロマック)・漢方研究会の3本立てで研究課題を決め、発表を行いました。
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株式上場(JASDAQ)も経験しました。
全く知らないことだらけでしたが、
6年ほどの準備期間を設けて各部署の
各種規程やマニュアルを作成しました。
調剤過誤防止のために工夫を凝らし、
「調剤過誤防止マニュアル」を作成し、
調剤部の皆さんと必死で頑張った事も懐かしいです。
上場できた時はとても嬉しかったですね。
その後も「学術室」や「地域医療連携担当」として
毎年医師を招いての健康セミナーや相談会の場を設け、
地域の方に喜んでいただいていました。
医師に執筆いただいて「健康百話」を作成し、
店舗で配布したりもしています。
想い出は山ほどあり、
レデイ薬局の皆さんと過ごした43年間は
どれも貴重で大切な時間です。
ー大学へも仕事と両立しながら通ったと伺いました。
「医療に貢献したい」、
「時代がどんなに変わっても、誰しも家族や自分自身が健康でありたいと願う気持ちは変わらない。」
という一心で、10年計画で入学しました。
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学位を取れるとは思っていなかったのですが、
会社での仕事を続けながら、
土日に愛媛大学医学部附属病院(薬剤部)へ通い、
実験を組んでいる時は、
会社の仕事が終わってから大学へ行きました。
初めてPub Medで英語論文を検索し、
初めて論文を書き、
初めて薬学会で発表し、
愛媛大学大学院医学研究科論文博士外国語試験を受け、
合格し、学位論文発表を行い・・・
と、初めてづくしの9年間のトライでした。
立派なテーマを頂いて、
実験も成功し、論文『5-FUによって誘発されるハムスターの口内炎に対する口腔内軟膏の評価』もEJP(European Journal of Organic Chemistry)に掲載されました。
本研究は愛媛大学医学部附属病院薬剤部で
継続して研究されているんですよ。
自分が行った研究がさらに発展し、
口内炎治療薬が開発され、
癌化学療法や放射線療法を受けて
口内炎で苦しんでいる患者様の1人でも多くの方の苦痛が改善され、
QOL向上に貢献できることを切願しています。
研究内容以外でも、
病院薬剤師の方々や、
会社以外の多くの方々と知り合うことができ、
大変有意義な9年間を送ることができました。
9年間、愛媛大学医学部附属病院で研究生として、
主に抗がん剤副作用対策の基礎研究に取り組め、
医学部で学位を授与していただけたことも大変幸せなことです。
薬剤師人生を振り返って
私は5歳の時に母が子宮癌になり、
高校1年生の時に父が脳卒中で倒れた経験から、
医療の道に進むことを決めました。
当時は医学部薬学科があり、
薬学部も薬の事以外に、
もっと病態や医療の事を学べる学部と思っていたのですが、
私が薬学生になった頃はまだ創薬・研究が主体の時代。
正直思っていたのと違っていたようにも感じていましたが、
振り返ってみると薬剤師になって本当に良かったと思っています。
色々な知識を得、実践に応用する事により、
病気になった時、どんなに役に立つことができたか、図り知れません。
学位を頂いた時、
「人の役に立てる者に学位が授与される」とお言葉を頂いたので、
自分には無理かなと思うことでも依頼があれば、
『その時に自分に出来るだけの事を精一杯すれば良い』と思い、
引き受けることにしてきました。
どなたかの役に立てるという事はご恩返しでもあり、
微力ながら今後も努力していきたいと思っています。
また、レデイ薬局に入社してから、
微力ながら長期にわたり経営にも関与させていただきました。
結婚を期に、松山の地に来た時は
松山市に3店舗だったレデイ薬局が、
どんどん立派に大きく成長し、
実家のある兵庫県姫路市にレデイ薬局ができるまでに、
41年が経過しました。
本当に信じられない思いで、感謝の思いでいっぱいです。
365日朝から晩まで働きましたので、
プライベートでは
2人の息子と一緒にいる大切な時間を
もっと取るべきだったという後悔が一生残ってしまったのだけが残念です。
今は仕事もプライベートも両方大切にすることが当然な時代ですよね。
皆さんには産休や育休制度も積極的に取って、
家庭も大切にしてほしいと思います。
レデイ薬局では初めて取り組むことを担当することが多かったですから、
数々の失敗もあり、本当に色々な経験をさせていただいたと思います。
失敗があるから改善して次があるわけですから、
これからの若い社員の方々も
多いにチャレンジして頑張っていただきたいと思います。
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おわりに
レデイ薬局に入社してこの43年の間、
医薬分業の歴史とドラッグストアの歴史と共に生きてきました。
「ドラッグストア」という業態もなかった時代からのスタートで、
レデイ薬局では取扱品目を拡大していき、
30坪→60坪→90坪→120坪→150坪→200坪→300坪と
標準店舗は大きくなっていき、
ドラッグストアとしても大きく成長していきました。
医薬分業率は10%未満だった時代から80%以上になり、
現在「医薬分業は折り返し地点」と言われていますが、
薬局・病院・卸・行政等の各先生方と協力して
必死で頑張れたことを、幸せに思います。
これからはもっと他職種の医療連携が進み、
IT化も進んでいくのは間違いありません。
若い方たちに多いに奮闘して頑張っていただきたいと思っています。
私自身は今後も、
次々と進歩していく治療法や治療薬を学び、
自分が関わった方々に、少しでもお役に立てれるよう
努力していきたいと思っています。
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社内外で大きく薬剤師の活動や
地域の方の健康に携わってきた三橋さんでした。
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