使命を生きる
今日はこちらの映画のイベントに行ってきた。
宇宙からのメッセージによって製作された映画の3作目。
実は1作目もご縁があって見た。
ルクセンブルグで最初にお知らせを受けた時に、
宇宙由来の何かの声を聞いた。
その目覚めの始まりとなる出来事はその少し前に起きていて、
それは「私だけにしかできない仕事って何だろう?」という事を模索
し始めた時に出会った一本のセミナー動画。
その動画には大塚あやこさんというカウンセラーさんが出ていて、
その動画の中で「もう、物事を分けるのはやめましょう。
物事を分けることはスイカを真ん中で切って右と左に分けて、
片方を良い、悪い、と言っているのと同じ。
本当はどちらも一つのスイカでしかないのだから、物事を分けるのを
止めましょう」と言っていた。
その言葉がとても当時の自分にはすんなりと受け入れられる気がした。
だから、それから物事を良い悪いに分けるのを出来るだけ止めるようにした。
多分、その時から宇宙と繋がっている自分に導かれていたのだと思う。
その「分ける」ということを止めていった先に、目覚めがあり、
お知らせを受け「本来の役目を思い出すように」と言われて、
自分自身で自分がなぜここに来たのかを思い出していく過程に
入ったのだと思う。
私は宇宙からここに「宇宙の受信機となってエネルギーを
降ろし、広げていくこと」ざっくり言うとそのようなことを
するためにここに来たのだと思う。
セミナー動画に出ていた大塚あやこさんは
カウンセラーになる前に音楽の仕事をされていて、
今日見た「愛の地球へ」シリーズの主題歌を作った方なのだ。
今日は映画の上映と共にイベントやワークがあったのだけれど、
その中で私の心に残ったのは「生きている時間は思うより短い。
だから、後悔しないように生きなくてはならない」という話を
監督である海響さんやゲストで画家のChieさんが盛んに言っていた事。
私自身ももう魂で「時が来た」と感じている。
もう、「自分」という幻想に惑うことから抜けて、
宇宙の一つのアバターとして、或いは器や管として
生きるフェーズへ。
私はもう自分の向かう先を知っているし、これから先の
あらん限りの全ての時間をそこに充てたいと思う。
それは、上から言われたことをやるという事ではなく、
それも含めて魂が望むことだけをやるということ。
私は今世を含む人間として生きた時間の中で、
魂が望むことを無視して寄り道をすることももう十分に
やったのだと思う。
だから、今となっては人らしい人の望みみたいなものには
全く目が行かない。
これからは、ただひたすらに向かうべき場所に向かって行くことだけに
全てを向けていきたいし、その道行きでご一緒できる人がいたら
一緒にいられる時間は一緒にいたいと思うけれど、
人との繋がりを保ちたいために自分の歩みを遅めたり、
人との繋がりゆえに私が一番大事に思うものを損なうことはしない、
と決めた。
私にとって大事なのは行くべき場所に行き、すべき体験をすることであって、「人付き合い」「関係性」は目的地ではないのだから。
そんなことを改めて心に刻んだ一日だった。