原点回帰!「仙人にオレはなる!」
え~、これは自分用の備忘録なりよ?
Yujiさんのこちらの動画を見た👆
自分のホロスコープを見て、太陽、月、アセンダントが
個人軸
社会軸
宇宙&理軸のどこに入っているか点数評価する。
そして、点が多い分野が今世やるべきエリアだから
そこに今年はフォーカスしましょう!という内容でした。
満点は4.5点。
凸凹、分布を見ながら自分のエネルギーを向けるフィールドに
集中しよう!ということだったのですが・・・・。
え~私宇宙軸4.5点だった!!
宇宙と理に全振り(笑)
そりゃー、社会の中の型に合わないはずだ~、って
改めて納得。
Yujiさん曰く、宇宙、理軸の人は「私は○○を探求しています」とかが
アイデンティティになり、「求道者」とか「仙人」ぽい雰囲気になる
(のが本来の姿)みたいな話だった。
そういえば、中学時代に漢文の授業が好きだった。
特に「老荘思想」とか「故事成語」の授業が。
「塞翁が馬」という故事の元の話を勉強して、
それと同じ意味の故事成語が「禍福はあざなえる縄のごとし」
だということ。それがテストに出たことを覚えている。
数年前にルクセンブルグで不思議体験をして、
運命の縄を見た。
本当に中学の授業で習った故事成語と同じく、
運命は縄の形をしていて、良いことと悪いこと、
私の想いと私の周りの人の想いが束になって上になり、
下になりして真ん中の線を形作っており、
「あぁ、本当に禍福は、運命は縄の形をしている」と思ったし、
記憶に残る「胡蝶の夢」という故事成語も
「きっと、昔の中国の人は本当にそれを見たんだな。
あれはたとえ話ではなく、きっと見たものを言葉にしただけなんだ」
なんて確信した。
同じく国語の授業で小論文の練習として
「まず初めに将来の夢について文章を書いてみましょう」と
言われた時、「う~ん、私のなりたいものは・・・?」と
考えたら「仙人」という言葉が降ってきた。
あ~、そりゃまずいよね・・・。
「仙人になりたいです」と書く訳にも行かず、
もっと現実にそぐう夢を探して書いたけれど、
「俗世と人に交わらず高い山の上に暮らしていて
空からこの世の仕組みを眺めていて、時々人里に降りてきて
人に知恵と技を教えるような、そんな仙人みたいなものに
なれたら良いなぁ」とは心の底でずっと思っていたかもしれない。
世の中が変わって、「皆本来の自分に還って行こう」
という流れになっていて、
今の時代なら「仙人」とか「求道者」とかを目指すのも
全然ありなのかもしれない。
因みに、大学に入った時は尼さんか学者になろうと思っていた。
俗世が苦手だから仏門に入るか?または研究に没頭するか。
けれども、自分の中から
「私の学びは俗にある。だから、俗に混じって実地と経験からの
学びを得ないといけない」という声がしたので所謂「普通」を
目指してみた。
これからもバランスだとは思うけれど、
聖、なのか宇宙なのか、理なのか分からないけれど
そちらに原点回帰する時なのだろう。
私はやっぱり私でしかないなぁ、と。
中学校の図書室で神話だったかの本を読んでいた時に、
「私はこの世界を。この世界の仕組みを知りたい」という
言葉が降ってきた。
あの時の思い通りに、そこを目指して行きたいし、
そこで知ったことをこの世界に還元出来たら良いと思う。
「もう、自分を偽らずに本来の自分に戻って良いんだよ。」とか
「本当のあなたを思い出して」なんて言葉をかけられる機会が
本当に増えたと感じる。
そして、これは私だけではない。
きっとみんなに起こっている事なんだ、と確信している。