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「良いお母さん」ではなく「私らしいお母さん」に
私は割と人や環境に合わせることの出来てしまう性質で。
だから、子供の頃は「良い子」「優等生」を演じてきて
しまいましたし、子供が生まれてからは
「良いお母さん」を目指して、最初は爆走してました(笑)
けれども、私の最初の子は全然世間の型に合わせない
going my wayで。
私自身が「良いお母さん」に見られるためには、
子供にも「世間的に良い子」に仕上がってもらわなくては
困るのに、全然上手く行かず、
一生懸命やっているのに空回り・・・。
自分のやり方を崩さない我が子は
外で目立ってしまったり、
私が親として謝ったり・・・。
今となっては遠い昔(10数年前くらい?)
ですけれど、苦しかったです(笑)
きっかけは忘れてしまいましたが、
ある時発想を切り替えました。
「良いお母さん」ではなくて
「私らしいお母さん」になろうって。
多分、それを教えてくれたのは我が子だったのでしょうね。
とても破天荒で、世間の求める鋳型の中に入れようとしても
入らないんだな、と分かったので、
幼稚園はなるべく自由にさせてくれるところを
選んで、普段も彼女を守るための枠は設けても
他の子よりも随分広い枠だけ設定することにしました。
周りからは
「こんなに自由にさせてあげてるんだな。
ってビックリした」なんてことをよく言われた気がします。
けれども、枠を広くとることで娘と私との関係は
楽になったし、娘も幸せそうに見えたから。
世間的な「ちゃんと」ではなくて、
彼女にとって必要な枠は設けつつもその中では
子供のしたいことを受け入れられるよう努力してきた
つもりです。
子供に無意識にかけている制限を外していくには、
制限の一つ一つを
「これは本当に必要かな?」
「なぜ自分はこれを必要と思うのかな?」と
自分の中から取り出してみて吟味する作業が必要で。
その過程で自分の無意識下にはたくさんの制限が
あることに気づきました。
そして、子供に向けていた制限は
子供だけでなくまた、自分にも向けられていた
ことに気づきました。
子供がありのままでいられるようにと
かけていた制限を外していったように、
私も私に対しての制限を外していこう。
「良い子」という世間の指標で測らずに、
その子のことを知って良さを伸ばしたり、
その子が出来る範囲でどうしても譲れない枠だけを
設定し、あとは自由に、となるべくしたように。
私自身のことも「良いお母さんが出来ているか?」
という指標で測るのではなく、
私自身のことを知って、心地よさを基準に
自分に「お母さん」として求めることを減らしていった結果、
今は「お母さん」であることが随分軽く、
苦でないことになった気がします。
「良い子」「良い妻」「良い母」・・・。
そういった世間的な型にどれだけはまれるか、が
大事な時代もありました。
けれども、そういう時代はすっかり終わったと感じます。
誰もがはまる型など存在しませんし、
多分「私こんなに良い○○です」を見せる相手も
見せたところで得られるメリットももうない時代に
なった気がします。
「良いお母さん」になんてならなくて良いんですよ。
「あなたらしいお母さん」で・・・。
長女から11年経って生まれた末っ子の幼稚園では、
私は年かさの3人の子育てをしたベテランママさん
になってしまっていて・・・。
時々子育ての悩みを聞いて、
年下のお母さん方によくお声掛けさせていただいたのは
こんな言葉でした。