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QUANTA retreat in Yamagata⑥~シェア会とMOTOKOさんのエナジーワーク

Yujiさんのグループセッションの後は、
まりこさんとのフォローアップシェア会があった。
(プログラムをもう捨ててしまったので、
正確な名称は間違ってるかもです💦)

今回のリトリートで得られたことは沢山あるけれど、
その中で今後も大事にしたいなと思うことの一つは、
「居心地の悪い自分の中の感覚と共に居続けること」
「自分の感じているその感覚は何なのだろう?」と
意識を向けること、定義づけようとする自分に走らずに、
答えが自然と浮き上がってくるまで、或いは、
その感覚の底に至るまでを観察して、その結果
底に沈んでいるその感覚の核となっているものを見つけられるまで
解決を保留する、ということをやってみたら良いよ、と
まりこさんに教えていただいたことだと思う。

Yujiさんのセッションの後のシェア会で。

Yujiさんのセッションで。また、まりこさんにも
「あなたの魂のやりたい自分はエゴを無くして器となることです。
エゴを無くしていく方にやりたい私がある」みたいなことを
言っていただいた。

けれども、私の中にはどうしてもそこに繋がれない何かがあり、
何かがずれていて。だから、そこに嘘をつかないことにした。
それが「Yujiさんが言った事だから」とかいうことは関係なく。

次の日の午後にMOTOKOさんのエネルギーワークがあり、
その中で今回はヴィジョンは特には見ずに、けれども
「私の中には大きな愛がある」という言葉と、
私は「We are」という視点で行動することがやりたい訳でもなく、
得意な訳でもなく、それは「くせ」であって、
他の人のために何かをすることで繋がりが欲しかったのだ、と
いう言葉が浮かんだ。

人のために何かすることで相手と繋がれると思っていた。
もちろん、そういう面もある。
だから、それは私にとっての生存戦略だった。

けれども、今の私は人に奉仕することで得られる
まるで契約のような「繋がりもどき」には
もう全然満足しないようになっていて、もっとリアルな繋がり。
悟りのプログラムで学んだ、「もっとリアルで本当の意味での繋がり」が
欲しいと思っていることに改めて気づいた。

エナジーワークの最後の方で小さい頃からの自分を順に思い描き、
最後にその全ての自分と手を繋ぐイメージをしたのだけれど、
小さい頃の自分はただそこにいるだけで周りを幸せにする自分で
あった気がした。
私はきっと「自分を出す事」で繋がれる。
そんな感覚がした・・・。

ワーク後部屋に帰り、1時間は誰とも話さないようにと言われていたので、
一人で部屋でお茶を飲みながら、日が差し始めた海を眺めていたら、
「私は、私の魂は今何気ない日常を得られていることをとても喜んでいる。
これは私がずっと欲しかったもの。魂の歴史の中で得ることができなくて、
だからずっと欲しかったもので。今世こうして普通の人であって
普通の日常を得られていることを決して失いたくないと思っている」
という感覚が沸き上がった。

なかなか理解されないことだと思うのだけれど、
私にとっては普通の人が持っているものが幼い頃からも、
或いは魂の歴史の中でもとてもとても欲しいものだった。

過去世の記憶というものがいくつかあって、
その中で「霊能力者」というのをよくやっていた。
神降ろしをする少女、神託をする子供・・・。
けれども、そういった職種の人間は普通の生活をすることが
出来なかった。

死にゆく時に「おまえは良く務めを果たしたね」と
上から言われるのだけれど、
「次に生まれてくる時は、私は普通の人の得る普通の幸せが
欲しいのです」と願いながら死んでいく自分を何度も見た気がするから。
だから、人らしいこと、普通であること、ありきたりの日常は
私と私の魂にとっては、やっと得られたかけがえの無いものだから、
それを今世も失ってはいけない気がした。

ただ、じんわりとこのリトリートで言われたことの
全てを並べておいた時に、
「仕事をする時は人間としての私を差し挟まず器としての
私になれるようにしよう。一方で、だからこそプライベートでは、
無駄と思われるような、人間ならではのファッションであったり、
娯楽であったり、そこを存分に味わう自分であろう。
オリエンテーションで頂いたカードには「正義よりも楽しいを」と
書かれていた。
私だけではない。全ての人が紛れもなくこの地球での体験を
楽しむためにここに来ている。私もそれを思い切りやろう。」

そんな方向に自然と自分の想いが帰着していった。

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