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あなたのこと、いつまでも待ってぬ~5年目のレビュー~ (日向坂46 ドキュメンタリー映画『3年目のデビュー』の話)


放送作家をはじめて、4年と4カ月が経ちました。

1年目に初任給6000円で父の誕生日にウクレレ買い、
2年目にスタッフロールで初めてテレビに名前が載り、
3年目に「事務所のオフィス椅子で寝る生活」がやっと終わり、
4年目に新橋のスタバで財布を盗まれ、
5年目、先週は秋野暢子さんと電話しました。

まだ26年の人生ですが、ここ5年はずっと、変ですね。最近も取材で高校の授業を見学したり、初めて本の出版のお手伝いをしたり…日々、新しい経験をさせていただいております。


3年目頃から、いや本当は1年目の初日からではありますが「もう言い訳できないよ」というキャリアであります。実力が時間の長さと比例しない世界ですが、「今年やっていることは去年の自分には出来ないだろうな」という1年の重ね方を、ギリギリ続けられているような、気はします。そしてそれは逆に、経験の無さからくるビギナーズラックな主観でもあると、自覚しなくてはなりません。「去年より汗かいてないな」という3月末を迎える日が来ないように、仕事を続けていかなくては。

人の目に触れる文章なので表現は控えますが、「マジでいい加減にしろよ」と鏡に向かって怒鳴るような日々が春からずっと続いてますので、なにか、どこか、根本的なものを変える時期に来ている気もします。



先日、『3年目のデビュー』という映画を鑑賞しました。日向坂46のドキュメンタリー映画です。映画を観て僕は、自分の環境と照らし合わせて、足元がグラつくような不安に苛まれました。(以下、ネタバレを含みます)

ドキュメンタリー映画といえば、(ある程度演出を加えて)“逆境を乗り越える”ドラマを際立たせる必要があります。欅坂46の派生グループとして誕生し、「坂道グループのお荷物」とまで言われてから、ここまで大人気グループになったという時点で、もちろん描くべきドラマやドキュメンタリー映えするところはたくさんあるのですが…そんな中、この映画内で際立ったのが「センターの不在」そして「活動休止」という現象でした。

「センターの不在」。
4作連続でセンターを務めた小坂菜緒さん。彼女が体調不良&映画の撮影で出演できない…映画の中では、そんな2回の「センター不在ライブ」を乗り越える様子が印象的に取り上げられていました。(映画内で扱っていないだけで、他にもあったのかもしれませんが)

「センター不在」ということで、それを乗り越える方法が「代理センター」です。他のメンバーが、曲ごとに1人ずつセンターの代理を務めます。代理を務めたメンバーは、小坂さんの見ていた景色と抱える重圧に驚きながらも、全身全霊のパフォーマンスで穴を埋める。ライブ映像のみならず、インタビューを交えながら、そこには「互いへの感謝」が溢れていました。

そして「活動休止」。
日向坂46への改名後、メンバーの濱岸ひよりさんが体調を理由に活動を休止。その後、8カ月の休みを経て活動再開するのですが…そのタイミングでリリースされた「青春の馬」という楽曲に、センターの小坂さんが後列で踊る濱岸さんの手を取ってペアダンスをする振り付けが組み込まれていたのです。メンバーが振り付けの手本を初めて見た瞬間に涙するシーンは、個人的にはこの映画の大きな見どころの一つだと思います。あの数秒のシーンのために、もう一度映画館に足を運んでもいいほど。

「休んでいたメンバーが帰ってくる」という現実の出来事が、彼女たちが与えられる「楽曲」の中に昇華されている。残酷ながらも、命を削って生き様を発信し続けるアイドルという仕事の中で、そうした「作品」と「想い」が溶け合う瞬間は、非常に美しく見えます。

「センターの不在」「活動休止」
どちらにも共通するのは、このアイドルグループが
「あなたがいなくなっても、私はいつまでも待っている」「いつでも私が代わりになる」という、相互扶助で成り立っているコミュニティであるということです。

居なくても、休んでも、待っている。恥ずかしい言葉を使うなら「帰ってくる場所がある」という、日向坂の温かい空気をスクリーンで感じた時、僕の足元はグラついてしまいました。

放送作家という仕事、ましてや自分のようなフリーランスの若い放送作家は、常に「いつでも切られる(クビになる)」という恐怖にさらされています。まさに、それは「あなたがいなくなっても、私はいつまでも待っている」と真逆の環境なのです。

成果をあげて、結果を残し、不手際をせず、コンテンツに貢献する。
死ぬまでこれを繰り返していきます。

「腰掛け」の台の付け根に、ばんばんボルトを打って、なんとか安定を保ち続ける。私の仕事は「仕事ができないなら要らないです」「休むなら要らないです」「あなたじゃなくてもいいです」そんな言葉を炊飯ジャーに押し込んで、必死にお札の端を抑えるような日々です。

映画終盤のライブ、代理センター・金村美玖さんの「青春の馬」の堂々たるパフォーマンスは、本当に胸を打つものがありました。「不在を支えてくれる同志」という意味での「金村美玖が居ない世界」で仕事しているかと思うと、頭がおかしくなりそうです。そんなところで、頑張っていたんですか、社会人の皆さん。

皆さんには、「あなたがいなくなっても、私はいつまでも待っている」と言ってくれる場所があるでしょうか?コラムのそれっぽい呼びかけ構文じゃなくて、本当に聞いてみたい。

無条件で帰りを待ってくれる「家族」や「恋人」とは違います。あくまでもそれぞれが「仕事仲間」として互いのパフォーマンス力を信頼する中で、不在を埋め合い、復帰を待つ。僕が「お笑いコンビ」や「ユニット」などを好きな理由が、ここにあります。

「あの人と仕事したい」「あんな番組やってみたい」
仕事の目標なんて、いくらでもありますが、まだまだ舐める苦渋の予約がパンパンに入っている20代、僕の近々の目標は、そうした仲間・コミュニティに出会うことかもしれません。それがないと、もう仕事なんてやってられん。映画を観て改めて、そんな気持ちになりました。


余談
肌感覚ですが、昨今、タレントさんの「体調不良により欠席」というニュースが増えたような気がしています。「キツイと休む」が昔よりも当たり前になっているように思える時代が、少し嬉しいです。

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