さんぽ岩永いわな『深夜の救世主』を読んで
嘘みたいに主人公なお笑い芸人
お笑いコンビ「さんぽ」の「岩永いわな」さんというお笑い芸人が本を出しました。
弱冠31歳の芸人にしては早すぎる“自伝的エッセイ”。この本のあらすじについて、岩永さんはこう書いています。
この本に書かれているのは、ラジオに救われた1人のお笑い芸人が「オールナイトニッポン」とタイトルコールをするまでの話です。
「それはそれはおめでとう。」「それは良かったね」と。そう思うかもしれません。スカッとする成功譚ですね、と。
ただ、まぁもちろんそんな簡単なもんじゃなく。感覚的には、この本で書かれている内容の76%ぐらいは、岩永さんが「過酷な目」に遭っている様子が描かれています。家族の話、バイトの話、芸人の話…“壁を乗り越えた先に夢がある”とはよく言いますが、ちょっとこれは、壁が多すぎ。迷宮壁 ラビリンス・ウォール?守備力3000?「フィールドに壁を出現させ、出口のない迷宮をつくる」?
一方で、その幾重もの壁と苦悩が非常に“物語的”で面白い。「主人公に襲いくる荒波」であり、起承転結の「エグい承」の積み重ね。
もちろん、そうなるように人生の要所要所を選び取って書かれたものではあるだろうが、それでも、その全てがドラマチックで、嘘みたいにラストのタイトルコールへと集約されていく様が心地よい。
泥くさい青春の物語として、こんなに美しいシーンあっていいのか、という場面もたくさんある。数々の映像作家が「ここ、撮らしてくれ」と思うだろう。とっととNetflixでドラマ化してほしい一冊だ。
生々しいお笑いシーンの空気感
特に、お笑い好き、ひいてはお笑い芸人が好きな人に、勧めたい本でもある。
芸人として活動し始めた以降の数々のエピソードは鮮烈。「ありきたりなコンビの解散」とか、「思うようにライブでウケず苦しい〜」とかそんな甘いものじゃない、深夜のドキュメンタリーを観ているような。鈍くて痛い、生々しさが香る。こんな話、他ではあんまりちゃんと知れないと思う。
具体的には書かないが、「事務所との契約」とかね。あと「芸人が誰の目を気にしているか」とか、そういう、当事者視点から見える「お笑いシーン」の空気。
多くは語られないけど、ありありとその現場の空気が文章の中に内包されている。僕自身は、あまり舞台のお笑いを見てきた側の人間じゃないので、本に書かれたありのままをただ受け取るだけなのですが、一歩奥深くまで描写されているのが、僕にすら分かる。
人生で初めて「私」が登場するエッセイ
色々な方にこの本をオススメしたいので、こうしてnoteを書いてみているわけですが、なかなかフラットな書評が難しいのは、ちょっぴりですが「私」がこのエッセイに登場するから。「私」というのは、文字通りの「髙﨑淳平」という意味です。
ここからは私目線の話になってしまいます。
岩永さんが「オールナイトニッポン」のタイトルコールをするもっと前。・・・「さんぽ」になる前のコンビ「ガレージ(のちにノオト)」を組んでいた時代、岩永さんは「ガレージくん」というネットラジオ番組を持っていました。私は当時、二十歳の大学生で、その番組にメールを送っていた、いわゆる「ハガキ職人」。
当時、僕と同じように「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」にメールを送っていたハガキ職人の「ハマクン」さんが、その岩永さんの番組のスタッフとして参加していたことがきっかけで、聴き始めます。
今となってはハガキ職人がラジオ番組やったり配信したりは普通ですが、当時はまぁ、ちょっと物珍しくて、「ツイキャスの延長」と言っては失礼かもですが、それぐらいの感覚でリスナーになったと思う。あとは「そんなにメールも多くないから読まれやすいかもね」みたいな打算も。
で、どこの馬の骨かも分からぬ芸人さんのトークをひたすら聞いていたわけですが、いつの間にか「大きな内輪」の輪の中にすっぽりと入りこんでしまっていた。振り返ってみれば、今ほどまだトークスキルが無かったであろう当時の岩永さんに、既に”ラジオパーソナリティー”としての片鱗が現れていたのかもしれない。
単純にメールの詠み方が上手いというのもあるのですが、芯の部分では「ウソの無さ」に惹かれた感覚を覚えている。「リスナー目線」で話す、おそらく録音が回ってなくても、メールでなくリスナーが目の前で同じ言葉を口から吐いたとしても、同じリアクションをしてくれるんだろうな、というウソのなさ。
あと、「ハマクン」さんが、SEや設定で世界観を作り上げる「アルピーann」の系譜を枠組みとして採用していた、その挑戦的な雰囲気も楽しかった。本気で遊んでる感じ。大の大人が3人で。
もちろん、地上波のラジオ番組も聴き続けていたが、当時の私は、この番組にひたすらメールを送っていた。一度数えたことがあるが、200通以上採用されている。異常なのめりこみ。バイトの途中も、接客にスキマ時間ができたときは、メモを片手にコーナーのネタを考え、サッとメモして業務に戻る、を繰り返していた。
まぁ、前述にあったように、「そんなにメールも多くないから読まれやすい」という状況は引き続きあったので、1通も採用されない回の方が珍しいというコスパの良さはあった。
「膨大な数のメールから選び抜かれ、テレビで見た芸能人が公共の電波で自分の文章を読み上げてくれる」というロマンとは別種のなにか。「自分の学校の教室で盛り上がる出し物を日々考えている」ような感覚に近かったのかもしれない。
必然的に、心理的距離は近くなる。私は肉眼で見たことすらない「岩永ヨシヒト」という芸人のことを、「年の近い教育実習生の臨時担任」のように感じていた。
その後、「ガレージ」は「ノオト」にコンビ名を変える。
二度の単独ライブに足を運んだ。芸人の単独ライブに行ったのは、あれが初めてだったかもしれない。「なんか番組始まるらしいから時間あったら聴くか」から始まった一組の芸人との関係性は、「時間を作ってライブを観に行く」ところまで深まっていた。ラジオの醍醐味とでもいうのか、やっぱりどんなメディアよりも、ラジオは喋り手のことを「自分ごと」に感じられる装置である。
単独ライブには必ずリスナーが来ていて、集合写真を撮った。
僕も嬉しかったが、岩永さんの方が嬉しそうだった。
そんなリスナーに愛された「ガレージくん」は、突然終わりを迎える。
リスナーとして聴いていて、非常に歯切れが悪いのが伝わった。
「番組が休止する」というよりは、「ラジオが続けられなくなった」というニュアンスで、「詳しいことは言えない」という雰囲気。
この本を見ると、その時期の裏話がしっかり書かれていて、リスナーだった僕は答え合わせのような気分で読みました。
正直、そりゃラジオで説明は難しいな、という様々な問題が岩永さんの身に降り注いでいて、仕方ないなと思うと同時に、「にもかかわらず、しっかりと気持ちの部分はリスナーに伝えようとしてくれていたんだな」と、ありがたさを感じます。
この辺りの部分は、先ほど書いたような「お笑い芸人を取り巻く生々しい部分」。ぜひ読んでみてください。興味深いです。
「井の中の放送作家 大海を知らず」
で、僕はといえば。番組終了から1年後、養成所を卒業して、放送作家としての第一歩を踏み出していた。(図らずも、その養成所は岩永さんと同じワタナベコメディスクールなのですが、偶然です。)
岩永さんは、「プロになるなら」と、LINEを交換してくれた。
事務所に名刺を貰うより、テレビのスタッフロールに名前が載るより先に、僕に「プロの放送作家」としてのハンコを押してくれた。
時折、「元気?」と連絡をくれて、食事に誘ってくれた。
当時の僕はといえば、仕事に忙殺される日々。「忙しさに殺される」と書いて忙殺、文字通りの過酷さ。放送作家としてのキャリアの積み方は様々で、いきなり番組に入る人もいれば、芸人の座付きとして舞台を作っていく人もいる。自分の場合は「リサーチ」の下積みだ。
「こういうコンセプトの番組で、こういうお店でロケしたいから候補をいくつか挙げて」「こういうくくりで企画をしたいから、それに当てはまりそうな芸能人リストアップして」というような、番組の下準備、ネタ探しの業務を手伝わせていただく。
どういうネタがオンエアに繋がるのか、どういう目線でキャッチ(見出し)を付ければ魅力的な資料になるのか、今にも通ずる様々なテクニックや考え方を学べる素晴らしい機会…というのは、いま振り返って美しい点を掬い取ってるからで、真っ只中の当時はとにかく締め切り締め切り締め切り締め切り・・・精神的に疲弊するばかり。夜中に眠い目をこすってネットの海を徘徊し、やっと見つけた1ネタを「他の人と被ったから別の探して」と一蹴される。最初に「なんかちょっと死にたいかもね、仕事辞めようかな」と思ったのは入って3か月の頃だったか。最初の1~2年は、ひたすら、とにかくキツかった。
そして今回。エッセイを読んでみると…僕が週一で養成所に通い、2度の面接を経てなんとか作家事務所に所属し、目を白黒させて仕事にしがみついてた2015~2017年頃、同時期の岩永さんに怒涛の出会い・別れ・苦しみが巻き起こっていることが分かった。
怒涛。
かなりの。
すごかった。
マジ?
ちょっと驚いた。
岩永さんが活動を休止した際に連絡もしたが、「習い事でもしようと思ってる」などと、飄々とした返事だった。だったのに。
自分の想像をはるかに超える壁が、その時期の岩永さんの前に立ちふさがっていたらしい。井の中の新人放送作家、大海を知らず。
僕が自分でいっぱいいっぱいだったあの時、オフィス椅子を3つ並べて寝て事務所に泊っていたあの時、岩永さんも、結構、いっぱいいっぱいだったみたいだ。
つくづく、人間というのは、本当に視野が狭くなるものだな、と実感する。
作家を始めた頃、「元気?」と岩永さんが連絡をくれたみたいに、1年の活動休止の期間に、「元気ですか」と、一通でもLINEを送ればよかったものを。
仕方ない、とも言える。
なにしろ、いっぱいいっぱいなのだ。
日々の締め切りをこなしてこなして、その間に1年が経ち、気づけば岩永さんは復帰した。
僕の請求書の欄の「リサーチ」の文字が、だんだんと「構成」に変わってきた頃、岩永さんが新しくコンビを組んだ。「さんぽ」だ。
岩永さんは、コントなんて全く書いたことのない僕に、ネタの相談をしてくれた。
現場からの帰り道、1時間半ぐらい岩永さんと電話しながらネタの話をしたこともあった。
次第に、一歩ずつ自らの手でチャンスを掴みとっていく「さんぽ」。その節目節目に、岩永さんは連絡をくれた。
「オールナイトニッポンできるぞ!!」
僕は翌朝の「THE TIME'」のスタンバイのため、台本を書いていた。 TBSの局内で受けた、あの1本の電話を、僕は忘れないだろう。寝不足が吹っ飛んだ。
興奮気味な岩永さんの声の裏で、誰かのトークが聞こえてくる。
ブースの声?まだ収録中?そんな決まりたてほやほやで電話してくれたんだ。
あーよかったな。
あー。嬉しいな。
オールナイトできることも、電話してくれたことも。
自分の中の何が、彼の何が、この岩永という男を、こんなにも応援したくさせるのだろう。
いつの間にか、自分にとっての「他人事じゃない芸人」になっている。なんなんだ、この男は。
「ラジオの出会いってすごいよね」で片づけてよいのだろうか。
「ダルマちゃん」と、僕のことをラジオネームで肉声で呼ぶ唯一の人間。いつの間に、「年の近い教育実習生の臨時担任」は、私にとって「親戚の兄ちゃん」の距離まで迫っているのか。応援することに、意味がいらないくらいの存在に、いつの間になっているのか。
分からない。分からないけど、なんか、この本を読んだ後は、ちょっと分かったような、気がしなくもない。岩永いわなという男は「面白いことを考える」だけじゃない、周囲の人を惹きつける何か、変な何かを持っているのだろう。
変だ。
ちゃんと変だけど、それがなんか、良いのだろう。
変な芸人だ、ほんとに。
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