ふたりにしか見えない師弟愛『春琴抄』(谷崎潤一郎)
『細雪』のこいさんといえば四女の妙子で恋多き現代的な女性だったけれど、『春琴抄』のこいさん・春琴は、またちがった魅力を持つ人物です。
美貌を持ち性格難ありな盲目の三味線師匠春琴と、彼女に尽くしぬく奉公人佐助の、奇妙かつ壮絶な師弟愛を描いた小説。
「萌え」「ツンデレ」のような要素が感じられて、そのコンパクトな分量からもライトノベル的なのかもしれません。『とらドラ!』の大河が思い浮かんだ。ほんと一言でいうと、江戸末期の格差恋愛ものですかね。
【佐助の奉公のコツ】
春琴は『もうええ』と云いつつ首を振った。しかしこういう場合『もうええ』といわれても『そうでござりますか』と引き退がっては一層後がいけないのである無理にも柄杓を捥ぎ取るようにして水をかけてやるのがコツなのである。
読み手への「委ね」
印象的なのは極限まで省略した句読点。文と文がそのまま繋がっている箇所も多い。本来「、」といった区切りは著者が読者に明示する呼吸であり、リズムだと思うんです。
実験的に省いた一つの効果として、どのように切って読み進めるかは読み手次第。文のつながりを見失いそうになるけれど、頭のなかで朗読が流れて意外にも読みやすかったのがぼくの感想です。
あとは構造にも「委ね」が見受けられます。書物の「鵙屋春琴伝」をもとに「私」が語る二重性はあいまいで「で、どうなの?」と尋ねたくなる場面も多い。
なんで春琴は手曳きを佐助専任にしたの?余計なことしゃべらないからって本当にそれだけ?好意はそこにあったのでは?
気になるし、途中あっと驚く展開も用意されている。じつは最後のまとめで急に「ちなみに〜」と明かされる場面もあって急にロマンは閉ざされます。ただ、信じるのかは読者次第。
あれ?試されてる?
ふたりの精神世界
本書をこれからお読みになる方には伏せたいのですが、ある事件をきっかけに春琴は大火傷をし、顔に癒えない傷を負う。佐助も追いかけるように自ら盲目となります。
佐助に関わる、とある描写には辛くて目を背けて思わず声も出してしまいました。でも、それは愛ゆえの行動。
本作品が「マゾ愛」と評される理由を垣間見ましたが、ふたりだけの目の見えない世界、いやふたりにしか見えない世界ですね。この精神世界に思いを馳せると、なかなか味わい深い。
というわけで以上です!