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「世の中おかしいから、自分でおもしろくする」LAC八ヶ岳北杜管理人・渡鳥ジョニーさんがオリジナルな半生を語る

<渡鳥ジョニーさんプロフィール>
LivingAnywhere Commons 八ヶ岳北杜 プロデューサー
千葉県生まれ、関東1都3県ノマド育ち。
慶應義塾大学環境情報学部卒業後、広告代理店でウェブ制作の現場を学ぶ。ウェブサイトのデザインやフロントエンドの開発から、写真・映像制作までをワンストップで手掛けるスタイルで広告制作やソーシャルグッドな活動のサポートを行う。
2009年、Googleのキャンペーンボーイに抜擢され、体当たりの芸風で全国各地を旅しながら動画による食レポを行う(元祖YouTuber)。2010年、暮らしかた冒険家として活動開始。震災後は熊本に移住し、「古民家リノベ」や「高品質低空飛行生活」、「物技交換」など震災以降の暮らしかたを模索。2014年には坂本龍一ゲストディレクターに招聘され札幌国際芸術祭に出展。映画「別れかた 暮らしかた」では撮影に携わる。
2018年、離婚を機に東京に戻り「都市型バンライフ」をはじめる(マイホームはベンツ!?永田町でホームレス)。2019年、バンライフの苦楽を共にした伴侶と結婚。様々な人の手を借りて完成したプロトタイプ1号で、シェアオフィスや空き家・空き地を活用しながら、夫婦で地方をPRする旅の最中。座右の銘は、人生は人柱。好物は、浅煎りコーヒーとクラフトビールと妻のごはん。
<渡鳥ジョニーさんのメディア・SNS>
https://vldk.life
https://van-a-table.life
http://outsiders.life
Twitter:https://twitter.com/jon_megane
Instagram:https://www.instagram.com/jon_megane/

出る杭になれ。「Be Outsiders」に込めた想い

ージョニーさんの経歴は、独自のチャレンジに満ちていて、すごくオリジナルですよね。

でもぼく、昔は自己肯定感が低かったんです。
高校生のときは、周囲に流されて「ギャル男」やってましたから。(笑)

ーーな、流されてギャル男...?どういうことですか?!(笑)

シンプルに、モテたかったんです。

画像1「ジョニーさんの今の姿からは想像がつかない...」

埼玉県の浦和高校(男子校)に通ってたんですが、当時の浦高生って、お世辞にも見た目がイケてるやつばかりじゃなくって...。
唯一イケてる感じがしたのが、同級生のギャル男グループだったんです。

本心では、ホントはギャル男になりたくなかった。でも、ダンス部に入って、カラコンも入れて、チャラ男になって目立とうとして。でもある日、親父に殴られました。「ちゃんとしろ」と(笑)
そこで、ああ、流されるのはよくないな、と思い元に戻りました。
今となっては完全に黒歴史ですね!

ジョニーさんにとってのギャル男時代は、自分自身の本心を裏切ってしまった歴史だったんですね...!

ただ、人に合わせたくなるのってもはや日本の現代病だと思うんですよ。

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ぼくが運営しているLAC八ヶ岳拠点のキャッチフレーズは「Be Outsiders」。
Outsidersという英単語の意味は、のけもの、出る杭、精神障害者、よそもの、ばかもの...などなど、いわば「ハミ出た人たち」というニュアンスです。
生きづらさを抱えてきた人たちが、自分らしくいられる場所であってほしいという思いを込めています。

2020年に起きているさまざまな現象にも当てはめたい言葉です。例えばこのコロナ禍では、室内ではなく「お外(そと)」のポテンシャルをもっと探って行こう、という意味でもあります。
また、LAC運営母体のLIFULLが目指すところとも共通していて、「都市の外へ」という地方創生的な意味合いもあって。

「家の外へ、都市の外へ、そして想像の外へ。」
これが、八ヶ岳北杜拠点が大事にしている考え方です。

ーー私は大学生の時に、アメリカオレゴン州はポートランド市に留学していたのですが、市のスローガンが「Keep Portland Weird(ポートランド、ずっと変わり者のままでいようよ)」でした。Weirdは「変人」って意味。このWeird精神が浸透した街は、マジョリティもマイノリティも一緒になってそれぞれの暮らしを楽しんでいました。OutsideもInsideもない、そんな雰囲気が心地良かったですね。

そう、本当はOutsideもInsideもないんですけどね!

ーーただ、ポートランドを真似して日本でいきなり「変人になろう」と呼びかけても全くしっくりこないと思うんです(笑)Be Outsidersって、今の日本にとてもマッチしてる言葉だなと思います。同調圧力の外へ、個性を出すことを恐れない...こんなメッセージが刺さる現代人って、多いんじゃないかなぁ。

「世の中おかしい」という違和感が、現代社会の在り方と向き合うきっかけに

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小学校時代にいじめにあった経験が、「世の中」に目を向ける原体験になっています。

小学校六年生のときに、住んでいた横浜から埼玉のど田舎に転校して、そこでいじめにあいました。
その1ヶ月後に別の転校生がきて、いじめの矛先がその子に変わったので、ぼくへのいじめは止まりました。

ーーいじめられれば誰でもいい、という悪意を感じますね。

いじめは、ぼくにとって「世の中の悪」をいきなり突きつけられた体験だったんです。
幸運にも、同級生にヒーローみたいなヤツがいて「あいつらのことは気にするな」と一緒に遊んでくれたのでくじけませんでしたけど。

世の中のいけない部分が許せない。どうしたら「そうじゃない」ように暮らせるのか?ってことを、子どもながらに考え始めましたね。

ーージョニーさんの意識が「世の中」に向いた原体験だったんですね。

あとは、高校卒業後の進路を考えていた時がちょうど世紀末で、NHKスペシャル「映像の世紀」など20世紀を総括する番組などを見ることが多くて、20世紀ってクソじゃん!と感じた体験も大きかったと思います。

20世紀の世の中がやってきたことって、「ライフスタイルのカタログを作って売る」だったんじゃないか?と、批判的に捉え始めたというか。

頑張って汗水垂らして手に入れるのが、都会の満員電車で通勤する生活だったり、愛着のわかない近代化された殺風景な家だったり。
誰かが都合よく用意したライフスタイルを選ばされているのか...と思うと、嫌気が差しました。

ーー都会の人々が当たり前としている根本的な部分にも違和感のセンサーが働いていたんですね。それって、なかなか鋭い視点ですよね。

うーん、ぼくは漫画もゲームも映画も、鑑賞してても全然気持ちが入っていかないような学生だったんです。誰かのシナリオに踊らされてるだけじゃん!と感じてしまって(笑)

大学では都市計画について学ぼうとしましたが、当時は壮大に思えたまちづくりは飽き性の僕には長続きせず、すぐに手応えのあるプログラミングに没頭するようになりました。
ただ大学卒業後は、キャリア的な試行錯誤が続いて、ちょっとしんどい時期でしたね。
無職、広告代理店、GoogleキャンペーンボーイでYouTuber活動、ブロガー...さまざまな挑戦をしてきました。

大学の研究室にいた時に、研究を仕事にすると時代の先を行きすぎているから、もう少し手前の段階でアイデアを実際に社会実装するほうが向いているのかなと気付きました。
自分がやったことになにかしら手応えが残るほうがよかったんです。

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ジム・キャリー主演の「トゥルーマンショー」という洋画があるんですが、作品のメッセージがぼくの気持ちを代弁してくれている感じがあって。
理想のアイデアはいろいろ頭の中にあったので、それをきちんと形にしていくために、とにかく体当たりでやっていこう!と後押しされました。

ーーあの映画、私も観ました。とにかくチャレンジすることへの勇気をもらいますよね。

あと、どうせやるなら「突き抜けること」を意識してやっているんです。
「え、そこまでやる?」ってことができる実験者はそこまで多くない。そう思いませんか?

ぼくは座右の名が「人生は人柱」です。これは、人生を捧げて実験をしていこう!という覚悟でもあります。
まあ実験をしまくった結果、家庭は崩壊しましたが...(笑)

ーーせ、説得力があります!(笑)

「暮らしをつくる」根底には、パンクな精神が息づいている。

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30代は、熊本や北海道に地方移住して、「暮らしかた冒険家」としてライフスタイルの実験をしていました。

熊本では、誰も見向きもしなかったお化け屋敷みたいな古民家を再生して、命を吹き込む活動も成功させました。
ぼくにとってこの古民家再生は、消費行動に依存するのではなく「欲しいものがないなら自分たちでつくろう」の精神を実践できた経験。
このチャレンジには、お金以上の価値があると思いましたね。

ーー暮らしかた冒険家として、積極的に「冒険」していったんですね。

冒険家として開拓していく過程で分かったのは、冒険そのものではなく、日常生活の充実が幸せにつながっていくということ。

“戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。” 吉田健一『長崎』
文化評論家である吉田健一さんの随筆で書かれたこの言葉にも、影響を受けていますね。

ーーLAC八ヶ岳拠点のホームページを初めてみたときの印象は、「自然に囲まれて、インスタ映えする場所でのんびり暮らせそう」って感じだったんですが...。お話を伺っている中で、この拠点には「世の中どうなの?」っていうパンク精神が根付いているんだなと感じています。

おお、その精神が伝わっているのは嬉しいですね!

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ぼく、デモ活動に参加していたこともあったんです。

東日本大震災(3.11)のちょうど1週間前に、四国に原発をつくる話が持ち上がって、原発運動の現状をリサーチしてたんです。

原発賛成派と反対派の議論をみていくと、賛成派はだいたい「原発には5重の壁があって絶対安全だしエネルギー政策上も必要なものだ」と理論武装していたんです。
でも、その直後に3.11があって、福島第一原子力発電所が爆発して...。一気にロジックが破綻です。
まさかぼくも、原発が爆発するなんて思ってなかったですよ!「絶対」なんてないんだな、と思いました。

いちばん違和感を持ったのは、原発事故があった1ヶ月後にはもう東京の経済活動がしれっと再開していたという事実ですね。
「本当にそれでいいのか?」って、唖然としました。

ただ、反原発デモに参加しても、結局選挙結果は変わらなかったですし、力や声で訴えかけるやり方では、世の中は変えられないんじゃないか?と痛感したんです。

ただ、危機感や違和感をもっている人は必ずいるはずなのに、これからどんな暮らしをしていけばよいのかわからない。
誰かや仕組みを批判するでもなく、「あっちの暮らしのほうがいいな」と思えるライフスタイルを作ろうと思ったんです。

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世の中がおかしいなら、自分達で直していく。
面白いものがないなら自分達で作って、面白くする。

ーー「面白きこともなき世を面白く」って言葉を思い出しました。私が八ヶ岳拠点に抱いていたイメージって、どっちかというと世間離れしている感じだったんです。隠居チックというか...。でも実は反対で、世の中に近づく活動というか、そこに一石を投じるような意味合いを持っていたんだなと。

そうですね。2014年には坂本龍一さんに札幌国際芸術祭にも招聘いただき、「自分がやっていることはアートなんだな」と思いました。

LAC八ヶ岳では「世の中に対してツッコミを入れ続ける人」を歓迎。

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ぼくは、世の中のやりたくないことに対してツッコミを入れ続けているんです。奥さんにはよく「愚痴っぽい」とか言われますね(笑)
普通の人だったら、諦めたり、問題だと思わないところに対してしつこく言い続けてるんです。

ーージョニーさんにとってそれは「やりたいこと」なんですか?

いえ、やりたくないことをしないためにやってる、という感じですね。
「何をやりたいですか?」と聞かれても分からないんです。
でも、やりたくないことに対して明確で、どうしたらやらなくて済むかを、考えてますね。

ぼく、科学が発展して、ごはんを食べずに注射を打って生きられるとしても、それは嫌です。たぶんごはんを食べ続けるために頑張るんだろうなって思うんです(笑)

ージョニーさんのパンク精神がよく伝わってきました(笑)では、LAC八ヶ岳拠点は、どんな人たちに集まって欲しいですか?

3種類のタイプの人たちに使って欲しいなと思っています。

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メイカーズ:パンクな人、バンライフしてる人はここ
ローカルズ:都会を離れてみたけど、仕事どうしようって思ってる人
シフターズ:なんか暮らし方に違和感ある、でもどうしたらいいか分からないって人

最終的には誰もが “LivingAnywhere" できるための仕組みを作りたいんです。
「これさえあればどこでも豊かに生きていけるというオフグリッド的なパッケージ」です。

「キャンプを口実に訪れてみたら人生が変わった」っていうような、unlearn(アンラーン、すでに学んだことをあえて忘れる、という学習)の機会を提供できたらいいなと思います。

ーーそうですね、「八ヶ岳に行ってみたい」「自然の中でリトリートしたい」「オートキャンプしたい」「バンライフ体験してみたい」...切り口は様々かもしれませんが、ここに来て自分の暮らし方を見つめ直すようなきっかけを持てるといいですよね。本日はインタビューありがとうございました!

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LivingAnywhereCommons八ヶ岳北杜の詳細はこちら

《ライター・ぽかべ


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