八雲には日常のなかに喜びがある|LAC八雲 コミュニティマネージャー・ 赤井義大さんインタビュー
場所やライフライン、仕事など、あらゆる制約に縛られることなく、好きな場所でやりたいことをしながら暮らす生き方「LivingAnywhere(リビングエニウェア)」。
そんな暮らしをユーザーと共に実践していくコミュニティLivingAnywhere Commonsに、2022年6月、新しい拠点がオープンしました。
それが今回取材をさせていただいたLivingAnywhere Commons八雲(以下、LAC八雲)。
LAC八雲は築100年を超える銭湯をリノベーションして作られたゲストハウスで、すぐ隣にはカフェが併設され、街の人と滞在者が交流できる場作りが施されています。
LAC八雲は、LivingAnywhere Commonsで初めてとなる北海道拠点。すでに多くのユーザーが滞在しているLAC八雲拠点で、コミュニティマネージャーをつとめる赤井義大さんに今回はお話を伺いました。
北海道拠点は銭湯が舞台!LAC八雲「SENTO」とは
ーーLAC八雲のオープンおめでとうございます。北海道には今まで拠点がなかったので、LAC八雲ができたことはユーザーにとってとても嬉しいニュースでした。早速ですが、今回LAC八雲となった「SENTO」という施設はどんな場所か教えていただけますか?
「SENTO」は名前の通り、元々銭湯だった物件を4年前にリノベーションして作られています。
ここには3つの機能があり、ゲストハウスという宿の機能、カフェという飲食の機能、あとはそこで仕事もできるのでコワーキングの機能を兼ね備えています。
LAC八雲に泊まりにきた人は、主にこのゲストハウスとカフェを使用していただきながら、お仕事や宿泊をしていただく形になります。
ーーゲストハウスを建てる際、新しく施設を建てるという選択肢もあったと思うのですが、なぜ昔ながらの銭湯を活用したのでしょうか?
確かにゲストハウスのオープンにあたり、新しく施設を建てるという選択肢はありました。
ただここがオープンした当初、八雲は空き家が増えていたんです。新しく作らず、古いものを活用していく。そんな流れを作りたくて、僕たちはリノベーションできる物件を探していました。
当時は宿にきてくれるお客さんとして海外の方を想定していたこともあり、日本の古き良きものに触れてもらいたいという気持ちもありました。
そんな考えのなかで出会ったのがこの場所。明治時代に建設され、その後大正時代から銭湯として活用されてきた施設を、僕らはゲストハウスとして再活用したんです。
ーーオープンから4年がたった「SENTO」が、今回LAC拠点として登録した経緯にはどんな流れがあったのでしょう?
施設のオープン後は、主に東南アジアやヨーロッパなど、海外の方がメインのお客様として利用してくれていました。
八雲は一次産業が盛んで、SENTOに宿泊してもらいながら農業体験や漁業体験ができるので海外の方にとても喜ばれていたんです。
でもコロナウイルスの影響によって、そんな海外のお客さんは減ってしまいました。
これからどうしようか?を考えたとき、これまでのお客さんのなかでフリーランスの方がSENTOのやっていることと、とても相性がいいなと思ったんです。
フリーランスが使うようなコミュニティはいくつもあると思うんですが、そのなかでもLACは空気感やユーザーの雰囲気が僕らのゲストハウスに合っていると感じていました。
その後実際にLACの方とお話をして、今回LAC八雲としてオープンする運びとなったんです。
LAC八雲がある八雲町とはどんな町?
ーーLAC八雲のある北海道は、広い土地だからこそ場所に応じて異なる魅力がありますよね。赤井さんからみて八雲の魅力ってなんなのでしょうか?
八雲は一次産業が盛んで、農業・酪農・林業・漁業などすべてが揃ってることが一つの魅力ですね。
農家さんや漁師さんとの距離が近いので、実際にLAC八雲に滞在してもらうと「アクティビティとしての農業体験」や「仕事としての季節労働」など、希望に合わせて一次産業を体験することができます。
またそんな一次産業が盛んな場所だからこそ、自然が近いのも大きな魅力。
僕は昔からアウトドアが好きで、「自然のなかで遊ぶ」ということをライフスタイルに取り入れながら暮らしていきたいと思っていました。
前に住んでいた東京でも週末や連休をつかってアクティビティを楽しむことはできたけれど、もっと気軽に、もっと身近に、仕事の前後でふらっと自然のなかにいけてしまう暮らしがここ八雲にはあるんです。
四季の移り変わりも美しく、春になるととれる山菜やほたて、夏になると農家さんからいただくとうもろこし、秋になるとかぼちゃや栗まで美味しくなって、天気だけじゃなくそういった面からも四季を感じることができます。
1年を本当に充実して過ごすことができ、都会のようにお金や労力をかけずとも、さまざまな喜びを感じることができる。自然と共に生き、日常のなかに喜びがある。八雲はそんな場所だと僕は思います。
また街全体の規模が大きすぎず小さすぎないところも魅力で、バスやJRも通っていて交通の便もいいですし、生活する上で困らない程度のスーパーやコンビニなども揃っています。
自然のなかで暮らせるのにそこそこの利便性もある。とても住みやすく滞在しやすい場所だと思いますよ。
学生時代を海外で過ごし、東京からUターンした赤井さんのこれまでとは
ーーではここからは赤井さんのこれまでのストーリーについて教えてください。赤井さんは高校をニュージーランド、大学をカナダで過ごされ、その後一度は東京で就職されていますよね?そこからなぜ八雲に戻ることになったのでしょうか?
一つはシンプルに、都会での暮らしは自然が遠くていやだったんです。
自然と共に暮らす生き方が自分には合っていると思ったし、そういう暮らしがQOLをあげてくれる。そう感じていたので、東京で就職して1年が過ぎた頃から、「ある程度自分で生きていける力がついたら都会を離れたい」と考えていました。
就職して2年がたった頃、そろそろ自分でなにかしようと思い、はじめは東京と北海道の二拠点で暮らしを開始。
東京では友人と、地方の農家さんや漁師さんと都会の若者をつなぐマッチング事業をしていました。
僕はもともと八雲の生まれで、地元に一次産業をしている友人も多かったので、受け入れ先の確保などがしやすい側面もあって、八雲に戻り始めたんです。
ーーはじめは二拠点で生活をしていたのですね。完全に八雲に戻ったのはいつ頃だったんですか?
二拠点での暮らしをはじめてから半年くらいした頃ですね。
八雲に戻ってみたら、やりがいもあってとても楽しかった。やりたいことがどんどん出てきて、これは都会にいなくてもいいかなって。
とはいえ、当時はいろいろなことをはじめるにあたって八雲がちょうどよかったという話で、やっていくなかでここじゃないと思えばまた移住したらいいし、海外に行ってもいいというような気持ちでした。
ーー今でこそ複数の事業をされている赤井さんですが、元々いつかは自分で事業をしたいと思っていたんですか?
そうですね、僕は結構自由人で、縛られるのが好きじゃないんです。
だから就職を決めたときも、ずっとどこかに勤める働き方は僕には合ってないんじゃないかと思っていました。
それでも一度就職したのは、当時やりたいことがわからなかったから。
そもそも自分にスキルや力がなかったし、海外での暮らしが長く日本の常識がわからないようなところがあったので、一度は社会勉強をした方がいいだろうという気持ちもありました。
働き出して2年くらい経った頃、会社で学べることは学んだし、やりたいこともできたので、そのタイミングで会社を辞め事業を開始することにしたんです。
昔から「みんなと同じ」はいやだった
ーー先ほど赤井さんは、ご自分のことを「自由人で縛られるのが好きじゃない」とおっしゃっていましたよね。働き方だけじゃなく暮らし方としても高校から海外進学を選んだと思うのですが、そこはなにかきっかけがあったのでしょうか?
地方出身の方は共感してもらえると思うんですが、地方で生まれ育つと大体その後のルートって決まってくるんですよね。
地元の小中高に行き、高校を卒業したら家業を継ぐか就職をする。少し頑張って地方都市に進学する人もいるけれど、そんな決まりきったルートでは面白くない人生になりそうだ…と中学生の僕は漠然と思っていたんです。
僕、昔から人と同じことをするのが嫌いで、なにかと反対のことをしたがるんですよ。小学校も一度もランドセルで行ったことがなかったし(笑)。
同じ中学の友達がだいたい地元の高校に進学するなかで、僕は誰も選ばない道を進みたいと思い海外に進学しました。
ーーそれで海外に行かれたのですね。計7年間の海外生活で学んだことってなんでしたか?
一番感じたのは、それまでの自分がいかに狭い世界で生きていたのかということです。
世界に出ると「そんなのあり?」と思うような価値観や生き方があり、自分が想像さえしていなかったものがたくさん広がっていました。
もしあの時海外に出ていなければ、それを知らないまま僕は大人になっていた。
あの時の経験が今の僕の価値観に繋がっているし、海外での経験があるからこそちょっとしたトラブルや問題にも動じない自分がいます。
「なにがあってもなんとかなる」と思えるので、チャレンジする前にビビったりすることもなく、今こうしていろいろな事業をやるための土台が育まれたと感じます。
コミュニティ運営を通して、関わる人に成長を。
ーーLAC八雲にはこれまで様々な方が滞在してきたと思うのですが、赤井さんが思い出に残っているエピソードがあれば教えてください。
元々LAC八雲には海外からの滞在者さんを多く呼び込んでいました。それは、僕が海外でした経験を、町の人にも体験してほしいという気持ちがあったから。
そんななかで、ある時ドイツからロビンという男の子がワーキングホリデーを使って八雲に来てくれました。
SENTOには「ヘルパー」という制度があり、ゲストハウスを手伝ってくれたら滞在費を安くできるというものなのですが、ロビンはその制度を使ってうちに長期滞在してくれたんです。
長く八雲にいるなかで、彼は本当に八雲のことを気に入ってくれた。しかも滞在のなかで出会った酪農をやっている家の女の子と国際結婚までして、結果八雲に永住することになったんですよ。
ーーそれは素敵なエピソードですね!
あとは日本の方が滞在してくれるようになってからは、言語のハードルがなくなったぶん、自主的に継続的な関係を築いてくれる人が増えましたね。
それこそ以前、八雲に半年間滞在してくれた男の子は、はじめのきっかけ作りこそ仲介したものの、どんどん自分から友達を作り、滞在中に山登りやツアーを企画して町の人と交流していました。
彼が出ていく時、町の人がとても寂しがっていたのが、いい思い出ですね。
ーーLAC八雲となったこの場所には、そんな素敵なエピソードがあったんですね。赤井さんがコミュニティを運営していく上で大切にしていることはなんですか?
僕は、「関わる人には成長してほしい」という思いが強いんです。
ただ楽しいだけで終わってほしくない。楽しいだけだと、やっぱりそれは観光になってしまいますもんね。そうなると2度目はありません。
だけどここでの滞在を通して少しでも感じることがあれば、「もう少し居てみたい」「また来たい」ってなると思うんです。
楽しいだけで終わらない何か。それを提供できる場を作ることで、滞在者さん自身が気づき、ここにくる意味を持てたらいいなと思っています。
ーー現状赤井さんがコミュニティを運営しているなかで、課題に思っていることはありますか?
それでいうと、もっともっと自主的にイベントや企画を進めてくれる人がいたらいいなと思いますね。
本当なら僕は裏方にまわりたいんです。コミュニティに関わる人のやりたいことを応援しながら、地域の人にとっても滞在者さんにとっても刺激になる場作りができたらいいなと思っているので。
今は僕が企画や運営をすることが多いけど、僕がいなくても価値ある場所に「SENTO」や「LAC八雲」をしていきたい。だからもっと自主的にイベントを企画運営してくれる人がいたら嬉しいです。
あとさらにいえば、僕はもっと複数の事業を展開していきたいんですよね。
ゲストハウスってそれだけでやっていても発展がなくて、農業体験などのアクティビティ事業や自然のなかで遊べるキャンプ事業、長期滞在したい人のためのシェアハウス事業や完全移住したい人のための移住サポート事業など、いろいろなものを掛け合わせた方がより充実したサービスを提供できます。
ただ現状、シンプルにマンパワーが足りないという課題があって。
もちろん泊まりにきてくれるだけでも嬉しいけれど、今後そうやって事業を一緒にやってくれる仲間が現れたら嬉しいし、これから巡り合っていけるんだろうなと思っています。
小さな一歩を踏み出してほしい。赤井さんがLACユーザーに送るメッセージとは
ーー赤井さん、今日は貴重なお話をありがとうございました。最後にLAC八雲やリビングエニウェアな暮らしに興味がある方へ、赤井さんからメッセージをお願いします。
僕はいきなり家を捨てるってハードルが高いと思うんです。だからユーザーさんやリビングエニウェアな暮らしに興味がある人には、小さな一歩を踏み出してほしい。
今まで1〜2泊でホテルに泊まっていたのなら、次は3泊くらいゲストハウスに泊まってみる。そのなかでただ観光をするのではなく、地域の人と触れ合える何かに参加してみる。
そうやって知らない世界に触れることで、人生はもっと前に進むと思うんです。
全然違う世界をまずはライトに体験しながら、自分の人生にとってインパクトのある経験をしてくれたら嬉しいですね。
いまLAC八雲では、八雲町だけじゃなく道南(※1)全体を楽しめるようなネットワークづくりもしています。ぜひ北海道の拠点として遊びにきてください。
道南(※1):北海道の南西部(渡島半島とその周辺)を指す地域区分のこと
〈取材ライター:蓑口あずさ〉
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