成績がよくなかった中学生の時、誘われて進学塾の英進館に通い始めた。ピアノや水泳の教室に通ったことはあったけど、勉強の教室は初めてだった。塾のテキストや先生は、学校とは全然違う。気迫がある、伝授することの気迫。時間内で喋って伝授するには、言葉も方法も密に練られるのだという体験。担任とクラスの時間・共同体のなかではない、ただ複数のコマの組み合わせと、成績伸び率に影響する時間が連なる。純粋に。初めて行った日に感じたその感じが、夏期講習のときもそのあともずっと続いた。さわやかな夏期講習。自転車、夜。軽い中毒性があったかもしれない。そのための時間を、たくさん作ろうとしていた。自分で勉強する味を覚え、ある種の自由度が増す。
遊びの自由ー手に、描いたり工作したりさせる自由を奪い、たくさん別の脳細胞を壊したかもしれない。しかし、勉強は中毒的に楽しかった。身体的な解放感があった。
中学生の自分にとって、学習塾と学校の技術家庭と美術の時間は、「外」だったのだとふと思った。

それ以前、外はいつどのように訪れたか。
家族で毎年、野生へと遊びに行ったこと。
どんな長距離も家族の車で向かったこと。
生活圏の外。同級生の女子が否定的だったユニコーンのボーカルと音楽を好きになったこと。
特別、抜きん出てる、人とちがう。

志村けん。
生まれた時からドリフは既にあって、そのノリと空気は私が居るより前にもうあって。その中で、志村けんは浮いていて、楽しくて下品で、新しく出てきたからこの人は私と同じ今だ。そう思って、親しみをこめて一緒に疎外感と美味しい役割を味わっていた。

もっとかなり、はじめの方。
のっぽさん。
喋らない、手で、存在でユーモアを作り出すノッポさんの魅力。その魅力を知る、1、2歳のわたし。


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