4月30日
キティちゃんやノンタンの着ぐるみとか、ディズニーランドのような世界にまるで興味が湧かない。というのを、このところ何度かしゃべったりした。今日の昼休みにも、少しそんな話をした。
小さい頃、狂ったようにキティちゃんが好きだった。ノンタンに対しては共感というか身近な存在、むしろ分身のように思っていた節もあり、絵本の全巻をもっていることを誇りとしていた。
そんな彼らが「着ぐるみ」で現れて、それが嬉しい、という気持ちがまるでわからないのだ。アニメなら許容していけるとしても、人サイズの着ぐるみがあらわれてショックはないのだろうか。
ディズニーランドにも、行ってみたいと思ったことが一度もない。あんなに素晴らしいアニメーションの世界があるのに、なぜわざわざランドを建てるのか。立体的な再現にどんな良さがあるというのか。
でも。ニコニコ島がもし目の前にあったら。
興奮して潜入してみたいと、今でも今すぐ思うかもしれない、と今日ふと思った。
どうしてなのか、しばらく考えた。
一つは、ニコニコ島とニコニコぷんの3人は、はじめからあの世界で、はじめから着ぐるみの姿だったこと。私にとってそれは、実写化とかではないのだ。
それは、前から着ぐるみについての許容としてうすうす感じていたことだ。
もう一つ新たに思いついたのは、声。
じゃじゃまる、ピッコロ、ポロリの3人や、はなはなガールズや木のおじさん。かれらは、声と姿があまりにも一体化している。
だからあの声で現れたなら、子どもの私も現在の私も、まちがいなく感極まって抱きつくだろう。
子ども時代の写真に、遊園地でからまれた知らない着ぐるみのキャラクターに対して、引の目線で警戒している私の姿がある。その気持ち、今でも変わってないよ。と思う。
もし、そんな私がニコニコぷんを劇場に見に行ったことがあったら。と思うと、胸が熱くなる。