3月31日
ツイッターでたまたま見かけた”Aquirax Asada”のサインがかっこよかった。表面がシルバーのようなざらついた照らされ方をしたボードに、来店した人のサインが映っている。Aquirax Asadaといえば、Tarupho Inaguaqui。それからFoujitaとか。仏の雰囲気だけでなく近代のかなの雰囲気とまじわっているところがいい。そういえば私の現在の名字は仏では「ウユスジ」と呼ばれるらしい。その線で何か名前を綟れたらいいのかもしれない.
連続講座の前回のアーカイブをそういえば、と開こうとしたら視聴期限が4/1迄とあって焦って視聴する。時間が時間だったので、ひとまず途中まで見る。続きをギリギリの時間に見ることになる。
限定アーカイブは危険だ。気をつけないと、購入したのにもかかわらず見逃して、だいぶ遅れてショックをうけるということがこのところ何度かあった。この連続講座も、次回の講座の時まで見られるものと思い込んでいた。quonkaiの講座は浅田先生の配布資料がまた熱い。パワーポイントでは、時間内に見きれないくらいの画像資料も(これは配布はされていない)用意されていた。展示や映画の案内、万博の頃の近代建築と当時のポストモダン思想、時事、戦争、政治思想、パレスチナ。イスラエルのように千年以上抱えられた歴史的な問題を、千年以上抱えられた問題なのだから簡単でないと決めつけてしまうのでなく、実は解決できる面もある、実際いいところまでやっていたのだ、という内容の言葉に冷静さと熱さとが集約されていて、ズンと思考に響いた。
中断していた、伊藤比呂美『切腹考』をまた読み進める。
文学の批評や研究には、詩における提携と同じような型があり、文体にも一定の型があり、隠語があり、それらを解さなければ読み取れない。それは日本語のようだが、どうしても日本語に聞こえない。聞こえない、聞こえないと言えば、Mがいくらでもかみ砕いて語り直してくれる。学問に対する信仰で心がかき曇った人の言葉はゆがんでいる。ゆがんでいるけれども、その信仰に心が動かされる。
Mはさらに語った。東欧の文学について。ひねくれた文学について。移民文学について。わたしは書きつけた、それを。Mの言葉を。
そこには家の壁があった。家の壁のなかで夫の言葉を書きつけている妻がいた。
わたしは悔しくて、汚れた茶碗を握りしめたまま下を向いて黙りこんだ。しかしどう見ても、同じことばかり同じ言葉で書いている自分の性癖が文学的に価値がないことは否定できない。しかしそれまで、目の前にあるものを書くのが詩だと思っていたのである。Mに気づかされて、目の前にないものを書くのも、目の前のものをゆがませて書くのも、詩だとわかった。原作や、自らの体験や、歴史的資料や、先人の伝記から書いてばかりいられないのだとわかった。でもそのとき、わたしの目の前には夥しいものばかりあった。それをわたしがこの目で見ていた。いろんなものが次々に空から降り、地から生えた。自分の体内から生み出した。生み出したものはむくむくと肥えふとった。あらゆる過剰で夥しいものに、わたしは目をみはった。雨や、クズや、スギや、クスノキや、帰化植物や、蓑虫や、蝉や、月経や。なんであれ過剰なもの、生きるもの死ぬものだ。国を追われ、ひねくれて、文化と文化の狭間で苦しんでいるものなんか目に入らなかった。