【アートのミカタ24】万葉集
【概要】令和で注目の和歌集
新元号が決まり、その繋がりから万葉集が注目を集めています。
中国から借りてきた漢字を、自分達が使っていた口語言葉で読まれることで発展しました。その歴史の中で生まれた日本最古の歌集ですね。
「万」とありますが、実際には一万首もあったわけではなく、約4500首(全20巻、当時は巻物)なのだそうです。
さて何故、この「アートのミカタ」で歌集を取り上げるのかと言うと。
「美術」という言葉は元々輸入されたものです。西洋では人々の意識統一のために宗教を使い、その伝達手段の1つが「美術」でした。
一方、日本では600〜700年頃展示。天皇を凄い人だと知らしめるため「言葉、言霊」を使いました。
さらに「言霊」は、歌にすればより効力が高いとされて出来たのが、が歌集です。
万葉集には公式行事で作られた和歌から始まり、段々と芸術的な歌が入ります。
近年我々が美術鑑賞で感じとる、心の揺さぶりやキュッと締め付けられる想いなどを感じとるのです。少なくとも当時は、絵よりも奥行きを持たせて。
そのため今回の「令和」に込められた中身には、言葉以上の「言霊」が宿るかと思います。
日本人にとっては、絵より歴史の深い「言霊」の世界。万葉集についてミカタを解説していきましょう。
なぜ美的センスをくのか。科学の発展に伴い、心を作る芸術的思考もより広く知ってもらいたい。このブログは、歴史上の偉大な画家たちをテーマに、少しでも多くの人にアート思考を築くきっかけにならないかと書いています。まずはそれぞれの画家の特徴を左脳で理解し苦手意識を払拭するのがこのブログの目標です。その後展示等でその画家に触れる前の下準備として御活用下さい。私たちの味方となり、見方を変える彼らの創造性を共有します。
【背景】天皇を敬う手段から芸術的観点へ
百人一首の元ネタも多く含む万葉集。
歌の分類は主に以下の3つです。
・雑歌(ぞうか)宮廷など公式行事で詠まれた歌・相聞(そうもん)恋の歌・挽歌(ばんか)死者を悔やむ悲しい歌
全20巻あるうち、前半のほうは雑歌が多く見られます。例えとして、第1首を取り上げて見ましょう。
籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児家聞かな名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われこそは 告らめ 家をも名をも 「天皇の御製歌」______________________________________________________籠(かご)よ 美しい籠を持ち 箆(ヘラ)よ 美しい箆を手に持ち この丘で菜を摘む乙女よ きみはどこの家の娘なの? 名はなんと言うの? この、そらみつ大和の国は、すべて僕が治めているんだよ 僕こそ名乗ろう 家柄も名も「天皇陛下が詠われた歌」
「君、どこの家?名前は?」
と、現代語訳すると単なるナンパの歌です。が、この当時、本名を名乗るとは大層ハードルの高いことだったそうです。基本みんなあだ名呼びで、本名を知っているのは生みの親ぐらいだったとか*。
そのためこの歌はナンパというより「結婚の申し込み」ということになります。
また、天皇陛下が女性を敬う言葉を使っているところから、女性が天皇より上の存在(神様に遣える人)である解釈もあるそうです。
万葉集も序章がすぎ、天智天皇がでてきた頃、万葉集の歌には華やかなものが残ります。宮廷歌人なる(宮廷画家みたいな)人もいたそうです。
大君(おおきみ)は神にし座(ま)せば天雲(あまくも)の雷の上に廬(いほ)らせるか______________________________________________________大君は神でいらっしゃるので、雷の上にいおりしていらっしゃる。(天空の上に君臨されている)
天皇は神様なんだから!みんなで賛美しましょう!という歌です。
このように、万葉集では前半には天皇(宮廷)の歌が多く残ります。
しかし、宮廷へのお言葉が和歌から漢文に変わると、和歌には庶民にも親しみのある歌へと変化し、より芸術的表現になってきたそうです。
世間(よのなか)を憂(う)しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば______________________________________________________世の中を辛いものだとも恥ずかしいものだとも思うけれど飛び立って逃げることもできない。鳥ではないのだから。
【核心】言葉の力は凄まじい
先ほど、「本名は名乗らない」と述べました。
それは言葉は事象と同じである考え方にあります。
本名を教えてしまうと、自分自身を野良にさらけ出してしまい、傷つけられるかもしれない。他にも、「口にした言葉はその通りになる」と、言葉の力は壮大なものだったと考えられています。
ちなみに、今のパソコンやインターネットは人間の脳を模して作られたそうですから、今のメールやネットのような影響力が、口にしただけであるのだと解釈します。
発音の記号化であるアルファベットと違い、象形文字(具象・事象)から成る漢字には、それだけでも芸術的センスを見いだすことができます。
そこから自国流に咀嚼してできた万葉集。
万葉集が始終大切にしている言葉の力。感銘を受ける、まさしく芸術であると私は思いました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。画家一人一人に焦点を当てると、環境や時代の中で見つけた生き方や姿勢を知ることができます。現代の私たちにヒントを与えてくれる画家も多くいます。また次回、頑張って書くのでお楽しみに。