【アートのミカタ22】伊藤若冲
【概要】極彩色の異端絵師
2016年の若冲展では7時間待ちだったとされるほど、近年注目を集めていた絵師、伊藤若冲。少し前までは、あまり人気のある絵師だとは思いませんでしたが、日本のブームは凄まじいですね。
王道絵師たちとは打ってかわり、エキゾチックで奇妙な作風が、新しさを感じさせたのでしょうか。描写といい色使いといい、奇想芸術には圧倒されるばかりです。
今回は、そんな若冲についてまとめていきます。
なぜ美的センスをくのか。科学の発展に伴い、心を作る芸術的思考もより広く知ってもらいたい。
このブログは、歴史上の偉大な画家たちをテーマに、少しでも多くの人にアート思考を築くきっかけにならないかと書いています。
まずはそれぞれの画家の特徴を左脳で理解し苦手意識を払拭するのがこのブログの目標です。その後展示等でその画家に触れる前の下準備として御活用下さい。私たちの味方となり、見方を変える彼らの創造性を共有します。
【背景】王道に反発した京都絵師たち
まずは、この江戸時代にどんなジャンルの絵があったのか、ざっくり5つに分けてみます。
・狩野派(室町15世紀〜江戸末19世紀)権力者のお抱え絵師。王道中の王道。画像は狩野永徳の四季花鳥図(雪中梅竹鳥図)名古屋城障壁画(上洛殿三之間)。
・琳派(桃山後期16世紀〜近代)江戸というか全国区の派閥。自然的ではなくデフォルメデザインな派閥。画像は俵屋宗達の風神雷神図屏風。
・南画(17世紀から)「中国からやってきましたよー」という画風。元々は南宗画(なんしゅうが)という中国の絵画から名前をとり、日本で広まった派閥。画像は田近竹邨の春雲・秋靄。
・浮世絵(江戸)大量刷りの画風。絵師としての区分ではありませんが(実際、狩野派も多くみられるそう)風刺画ということで入れてみました。
・奇想(江戸)現代の美術史家、辻惟雄によって発見された派閥。今回の伊藤若冲は、この派閥に含まれます。
当時、最も品格のある作品を請け負っていたのは狩野派、権力者お抱えの絵師たちでした。その作風は、なんとも情緒的で心が洗われる思いです。
しかしまあ、そんな「良い子ちゃん」の作風に、眠たくなる人も一部いるでしょう。それが、奇想の系譜に流れ着いたことでしょう。
伊藤 若冲「梔子くちなし雄鶏図」
【核心】グロいけど鳥なら見てられる
辻さんに「奇想の系譜」と称された絵師たちの多くは、王道の道では評価されぬ者も多かったと言います。
現代こそ、花鳥画を多く残した若冲は評価されていますが、身分の高い女性が鬼にえぐり殺されるシーンや、おどろおどろしい作風は、見る人を選ぶ派閥に感じています。
おそらく現代の人が伊藤若冲を鑑賞するノリで曽我蕭白や岩佐又兵衛らをみたら、「精神的苦痛を受けた」「こんな展示だと思っていなかった」とか言って、会田誠に続く起訴事件となるでしょう。
その中で若冲は、花鳥画ばかりに目がいきがちですが、あれは狩野派を代表とする王道絵師たちのアンチテーゼとして完成された作風です。「間」とか「時間経過」を思わせる情緒的な作風とは打ってかわり、若冲の素晴らしさはこの描写力、時間の停滞さ、コラージュ作品のような空間の乱れにあると思います。
これはあくまで私が思う奇想の特徴となってしまいますが、それは「アンチ派」と「心臓をえぐるほど強烈に何か訴えてくる画」にあると思っています。
鳥獣花木図屏風
最初は他の画家と同じく画塾に通い、主流だった狩野派から学んでいたそうです。しかし「狩野派から学ぶ限り狩野派と異なる自分の画風は築けない」と、なんともストイックな言葉を残したそうです。
画塾をやめ、独学で絵を学ぶ際、当時の京都には中国から伝来した名画を多く見かけることができたのだそうです。(お寺など)
先に登場した南画からも、若冲は要素を受け継いだのかと感じさせます。
後に写生に止まらず、生き物の真の姿を描こうと鍛錬するようになったそうです。目の前の対象を描くことで、内側に潜む「神気」を表現したいということ。彼の作品に、どことなく吸込まれる感覚に陥る所以かもしれません。
このように王道から逸れるという意味では、印象派の発端も似たような境遇を辿っていますから、現代にまで訴えてくる何かを創造するには、時に反発も必要なのかもしれません。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
画家一人一人に焦点を当てると、環境や時代の中で見つけた生き方や姿勢を知ることができます。現代の私たちにヒントを与えてくれる画家も多くいます。
また次回、頑張って書くのでお楽しみに。
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