イラストと対価と責任の話。
※この記事は考えを上手いこと具現化できずにこねくり回した粘土細工のような記事です。ゆえに明確な結論はありません。それでもよければお読みください。
つい先ほど、とあるnoteの記事を見た。具体的に名前は出さないが(URLで引用すると相手方に通知が行くし、こんなくだらない記事が相手の目に止まるのもはばかられるので。僕がTwitterの方でRTしてるので適宜掘り返してください)、その記事の内容は以下のようだった。
イラスト、ひいては自分の力を安値で売ってはいけない。
安くすれば客の質の問題や収入の問題で自分に悪影響をもたらすし、価格破壊によってプロのクリエイターも迷惑を被る。
なので無料でイラストを提供したり、安売りすることはやめよう(意訳)
もちろん僕もこの意見には賛成ではあるのだが、実際に価格を上げよう、となったとき、また別の問題が発生することになる。
「責任」の問題だ。そしてこれは、客の質や価格破壊といった「外」の問題ではなく、自分自身に端を発する「内」の問題だ。
お金の重さ=責任の重さ
個人的な思想として……いや、多分世間一般の意識(だと思いたい)として、「お金のやり取りには責任が伴う」ということがある。要するに、支払われたお金の分だけこちらは責任を負うということだ。
保育園を例に取って話す。親は保育料として月3万円を支払い、保育園側は「子どもを預かる」というサービスを提供する。ここで重要なのが、「子供を預かる」ということがただ預かるだけではなく、「怪我のないように安全に配慮する責任がある」という要素を内包していることだ。その責任を負っているがゆえに、そのサービスには3万円の価値が発生する。これはどんな職種にあっても共通することだ。
イラストの話に置き換えると、クライアントは対価として依頼料を支払い、クリエイターはイラストを提供する。そこには例によって責任が発生するわけだが、それは「(任意の値段)を出してもいいくらいの作品を制作する」ということだと思う。宝石が買えるほどの値段でただの石ころを掴まされたら、誰だって憤慨するだろう。だからこそ、クリエイターはクオリティを上げて値段に見合うようにせねばならない。
お金の重さ=クオリティの高さ?
ここで僕が懸念しているのは、「自分の実力はその対価に見合ったものであるか?」ということだ。
自分もイラストを描く身ではあるのだが、まだしばらくは価格を設定する気にはなれない。仮に僕が「7000円でイラスト描きます」と言ったとする。すると、その瞬間に僕の双肩には7000円分の責任がのしかかる。これで僕が依頼を受けたとして、果たして7000円分のイラストを描きあげることができるのか。もしかすると5000円、いや3000円くらいかもしれない。そんなことを考えてしまい、結局価格を設定するのが怖くなる。これが「内」の問題だ。
上述の記事では「費やした時間、機材や教本の値段は決してゼロではない」(≒それを価格に反映させてもよい)ということがあった(もちろんこれも正しいと思う)が、僕は結局のところ「設定する価格は提供できるクオリティ、今の自分に負える責任の重さと等しい」のではないかと思っている。設定した価格と実際のクオリティの差額分を無駄にさせてしまうのは、作り手としてあまりに心苦しく思うから(もちろんそれでもいいと言ってくれる方がいれば嬉しいのだが)。
おわりに
僕は絵を描き始めてこれっっっぽっちも日が経っていない若輩者だ。そんな僕がイラストの価値について語るのもおこがましい気もするが、ふと考えてしまったので、こうしてここに残しておいた次第だ。
そして、僕の意見と上述の記事の意見、どちらが正しいかなどというのは一生かかっても決められないことだろう。ただ僕は駆け出しの描き手として「実力不相応の期待を受けるのは怖いんだ」ということが主張したかっただけだ。ただの弱音だろう、と思われることは重々承知だ。その上で、やはり僕は主張したいのだ。
それでは、この辺りで筆を置きたいと思う。
ご覧いただきありがとうございました。
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文責: 洛葉みかん
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