文章を書くのが下手な人
「文章を書くのが下手な人」というのがいる。
別にこれは自分が「僕は文章が上手いですよ」なんて誇るために言っていることではない(そもそも僕もさほど上手くない)のだが、ともかく文章を書くのが下手な人がいる。
文章が下手、と一概に言っても様々なタイプがある。やたら読点が多いタイプ、同じ助詞や接続詞を連続して使ってしまうタイプ、「だ・である」と「ですます」が同じ段落に混在してしまうタイプ、などなど。
読点の多いタイプは意味を取りづらい上に某戦場カメラマンよろしく間延びした印象を受けるし、同じ助詞が連続するタイプは純粋に黙読に支障が出る(脳内で読み上げる人間なので)。文体が混在するタイプは、全体を俯瞰したときに物凄く違和感に思うはずなのだが、気づかないものなのだろうか……。
とまあ、そんなことを思うようになったのは大学でレポートや文献を読むようになってからだ。大学生なので当然他の学生のレポートやレジュメも目にするのだが、何というか、言葉では上手く言い表せないような感情になる(最大限の配慮)。「ら」抜きや誤字・脱字は当たり前、人によっては文体が「だ・である」と「ですます」を行ったり来たり……という物もあった。
「すごいなこれは……」と思うと同時に、「なぜだろう」とも思った。自分のことは棚に上げるとしても、人間――しかもそれなりの大学に通っている優秀な人――って、こんなにも文が書けないものだったっけ? と思った。
ところで、つい最近PISA(国際学習到達度調査。15歳が対象)における日本の読解力の順位が、8位から15位にまで転落したことが報じられていた。僕の思考の発端は大抵誰かのツイートだったりするのだが、例によって今回も「読解力の低下は『練られた文』に触れる機会が減ったからではないか」という旨のツイートを見かけたことが本記事を書くきっかけになった。
ちなみに僕はこの意見については全面的に賛成している。SNSの普及で、推敲などを挟まない言葉(仮に「ライトな文」とする)を手軽に発信できるようになり、代わりに伝えることに重きを置いた文(「フォーマルな文」)を摂取する機会が減ったのだと感じた。
唐突にこんな話をして何が言いたいのかというと、これは「文章を書く」という点においても当てはめられると考えたのだ。なぜなら、そもそも人は自分に理解できる文しか書けないからだ(あくまで仮定だが)。僕がギャル語を操って文を書けないのと同じように、彼らも理解の範疇以上の文は書けないと考えている。
「ライトな文」が活字上を闊歩する時代、どうも「正しい文」の書き方が希薄になっているような気がする。正しい、というと少し過激のような気がするが、意味が伝わらなければとどのつまり文章に意味はないのだ。
それでは「フォーマルな文」を読むにはどうすれば良いのか。……結局、「ちゃんと伝えるために考えられた本を読め」というありきたりな結論に行き着いてしまうのだが。自分で小説を書いて誰かに見せてみろ、というのもあるが、流石にハードルが高すぎるか……。
そんなもやもやした気持ちを抱えながら、ここらで筆を置きたいと思う。
Twitterではこんなに堅苦しくないので気軽に絡んでくださいね。真面目なお話も大好きです。それでは。
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