デザイナー志望のアラサーが、気づいたらラブソルに辿り着いた話 @kuroguro_des
みなさんはじめまして、4月度より新しくラブソルで働かせていただいております、黒須亮平(くろすりょうへい)と申します。
「デザイナー」として成長したくて、こちらの環境に足を踏み入れました。
初めてnoteを執筆させていただくということで、なぜ僕がラブソルを知り、
今後どのように成長していきたいのか。その「経緯」と「展望」を綴ることができたらと思っています。
キッカケはTwitterのラジオ「ゆる合説ラジオ」だった
まず、簡単な自己紹介から。
黒須亮平と申します。北海道生まれ、茨城育ちの29歳です。
ちょうど1年前の2022年3月、IT企業のネットワーク監視の仕事を退職し、デザイン含むクリエイターの職種に就きたくて、学習をはじめました。
30代を手前にして、「自分とは○○」だ、と言い切れる武器が欲しかったのです。
前職では、「自分だからこそできる」という仕事をするのが、環境の構造的に厳しい業界で、日々そのギャップに苛まれていました。
20代の終焉を迎える直前で一度立ち止まって「これからの人生において、何を成し遂げたいのか、どんな価値を発揮したいのか、どんな傍(はた)を楽(らく)にしたいのか」、考える時間を設けました。
そこで、2022年は、これまで自分が時間的制約によってできていなかったことにひたすら挑戦しました。デザイン、カメラ、撮影・編集、イベント企画運営などなど。
その中から、自分自身が一番武器にしたいと思えたのが「デザイン」でした。
クライアントを持ち、ヒアリングをして、情報収集をして、曲がりなりにも、ロゴや名刺を制作して喜んでもらえた瞬間は、何よりも嬉しかったのです。
そうやって1年近くが経過。実際にデザインを仕事として取り扱っている企業を探していたある日、Twitterのタイムラインにある投稿が流れてきました。
たまたま時間が合ったので、こちらの「ゆる合説ラジオ」なるものを聞いてみたら、ラブソルの話に「ビビッ!」と来たのを鮮明に覚えています。
ポイントは、「多種多様なコンテンツを制作している」こと。
この1年間、幅広くいろいろなことに挑戦していたからこそ、「自分自身の可能性を拡げたい!」と思って、ラジオを聴き入っていたのを思い出します。
その後、そのラジオに出演されていたでらみさんの以下ツイートを目撃し、一目散にリプを飛ばしました...笑
訪れたオフィスで目の当たりにしたもの
それから、迅速にDMでやりとりをし、あれよあれよのうちにオフィスに遊びに行かせていただくことに。
そこで、ラブソルのクライアントとの距離の近さ、仕事に対する価値観・姿勢、コンテンツ制作への経緯や想いを聞く中で「この環境で己を磨きたい、成長したい」と強く感じました。
決定打になったのは、「明日、ラブソルがなくなっても生きていけるように」という代表・柴山の言葉でした。
まさに自分が生きていくための「武器」を探していた身からしたら、「在るべき姿、形」はまさにこれなのだと、心に響いたのと同時に、これまでの自分自身の仕事ぶりを省みるキッカケにもなりました。
痛感したのは、「自分はまだ何者でもない」のだということ
そして、年度が変わった4月。今、まさにこの環境に身を置いて感じることは、「まだ何者でもない」のだということ。
これまでの仕事に対しての考えの稚拙さ、不甲斐なさが日々滲み出ているのを痛感しています。「受け身」「スピード感」「スケジュール感」など、デザイナーである前に、「一社会人」、もはや「一人間」としての甘さが露呈しているのだと、ひしひしと感じています。
ただ、このままでは終わりたくないし、終われない。
あの日感じた、「デザインを通してクライアントを喜ばせて、感謝してもらえたことの嬉しさ」を、あの時の嬉しくて心が熱くなる、熱を帯びる感覚が忘れられない。誰かの役に立ちたい、貢献したい、という気持ちが昂ったからこそ、この環境に飛び込んだのだと思います。
1年後、 何かの拍子のキッカケでこのnoteを読んだときに、「この自分で選んだ道が間違いではなかった」と思えるように。
ただただ今は、目の前の環境に必死に喰らいついてもがいていくだけ。
これが、僕なりの所信表明かつ自戒を込めた己へのメッセージです。
黒須亮平 / Ryohei Kurosu▶︎SNS...Twitter
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