あのエビフライの気持ちは
好きなものを最初に食べるか、最後に食べるか。
小さい頃、エビフライは1番最後まで取っておいた。
年に数回、おばあちゃんにファミレスに連れて行ってもらった。
エビフライのセットを頼む。
お皿の真ん中にエビフライが2本並んでいる。
ファミレスは貴族の館だ。
たまにお弁当に入っているエビフライに比べて太い。長い。
丸々とした恰幅のいい姿は、大切に育てられた「いいとこの子」である。
エビフライを見ながら、まずは添えられたニンジンを食べる。
キャベツを食べる。スープを飲む。
皿の上のものが少しずつこの世から姿を消していく。
エビフライだけは1番最初の姿のままこちらを見つめ返してくる。
少し反り返った姿に王たる気品さえ感じられる。
特別なものと過ごす時間は甘美なものになる。
スニーカーが好きな友人は、リビングにスニーカーを並べながら酒が飲めると言っていた。
好きなものを眺めながら飲む酒は美味いそうだ。
エビフライを眺めながら食べる飯は旨い。
そのエビフライが自分のものなら、なおさらだ。
2番目に好きなちょっとだけ盛られたスパゲティを食べ終える。
もう目の前にはエビフライしかいない。
映画のラストを迎えた気持ちだ。
ボスに辿り着くまでに、散々敵を蹴散らしてきた。
オーロラソース(当時はそんなお洒落な名前は知らなくて、ケチャップだと思っていた)をエビフライにこんもりと付ける。
エビフライを食べるのか、オーロラソースを食べるのか、分からないほどソースを乗せた方が美味い。あったかいエビフライと、冷たいソースが口の中でハーモニーを奏でる。
海の家でかき氷を食べるように、こたつで雪見だいふくを食べるように。
温度差が口と心に与えてくれる幸福感は神が作り出した芸術的トリックだ。
ギャップに惚れ込むのは恋愛だけではない
エビフライを包む衣をこえて、歯がエビの身にあたる。
衣によって過保護に守られていたプリプリの身と対面する。
グッバイ引きこもり、初めましてエビさん。
本当の姿を口の中で確かめる。
タンパクで引き締まった身と、油が染みた衣、甘いオーロラソース。
脳内で小さな花火が打ち上がる。
美味い。
ご飯をかき込む。
この世にこんな美味いものがあっていいのだろうか。
エビフライひと口に、ご飯が進む、進む。
ノンストップ、一方通行白米。
美味い!の花火が上がるたびに、ご飯をかき込む。
ご飯とおかずの分量を計算できるほど、大人ではない。
いや、大人になっても、その数式は難問である。
エビフライを1本食べ終える。
残すは最後のエビフライ、ご飯はもうない。
それまでは、この瞬間の為のウォーミングアップだったのかもしれない。
エビフライだけを食べる。
それは人間だけに許された最高の贅沢なのだ。
ファミレスでエビフライを注文する犬や猫を見たことはない。
その贅沢をただ享受するだけだ。
だが、運命は時に残酷である。
そうお腹いっぱいなのだ。
毎回、そうなのだ。
最後のエビフライを食べるあたりで、胸焼けさえしてくる。
太く長い分、まとった衣の油も多いのだ。
たっぷりつけたオーロラソースも胃もたれ、胸焼けをアシストしている。
急いでかき込んだ白米の糖質が追い打ちをかける。
だからキャベツは途中、途中で食べるようにすれば良かったのに。
過去の偉人たちが後悔と挫折の上に見出した人類の知恵を学ばない。
1本目は尻尾まで軽々と残さず食べた。
2本目は尻尾まで長い。
エビフライはうどん麺のように伸びてしまうのだろうか。
きみ、さっきより、ちょっとデカない?
明らかにスピードダウンする。
ご飯をあんなにかき込まなければよかった。
ファミレスに来る度に興奮と反省会を繰り返す。
なのに、また次に来ると、「あの時の俺とはもう違う」と同じ食べ方をする。
エビフライを最後まで取っておく。
何も違うことなどない。
あの時と同じおバカなままである。
2本目のエビフライはどんな気持ちだったのだろうか?
玉座に座るが如く堂々と構えていたのに。
1本目は嬉々として平らげてもらっているにも関わらず、自分の番では意気消沈した子供の顔がそこにあるだけだ。
大好きだったものが、そうではなくなる瞬間。
いつも肌身離さずに持っていたヒーローのおもちゃがいつの間にがタンスの肥やしになる。
どこにでもある平凡で残酷なストーリーがランチタイムに凝縮される。
大トリで、締めであるのに、盛り上がらないヘッドライナーのライブ。
そんなことを繰り返しているうちに中学校に上がり部活を始めた。
身体も成長して、体力もついて、エビフライは2本目も美味しく食べられる食欲を胃に持て余すようになったのに。
その頃にはもうファミレスに行くことはなくなった。
最後までエビフライを美味しく食べたい。
その想いを叶えられるようになったのに、叶えるチャンスがない。
これが2本目エビフライの気持ちかもしれない。
やっと食べてもらえると思った時は、もうそのタイミングではないのだ。
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