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Make Chikuro Great Again
女性が地方から出て、都会で就職するニュースがあり色々と意見が出ました。私も福井嶺南から愛知へのいわゆる「流出組」であり、それに対して一つ意見を言うのなら、地方にも一応ちゃんと高校を真面目(成績が優秀)なら、電力会社、郵便局、大手銀行の一般採用などそれなりにお手当が保障されている就職口は存在し、絶対に地方から出なければならないほど食事すらままならないほど逼迫しているわけではないですが、独り立ちできるほどキャリアアップができる職場が少ないのは事実。私の同級生も半分は成績優秀かどうかは置いといて、「流出組」になりました。私の場合は最初は県内から出るつもりはなく、進路を決定する際、亡くなった父と大喧嘩になってしまい家を出るため選択肢がたまたま愛知県が都合が良かった、都会を目指すという気もなかったわけではないですが、愛知には叔父がいました。という事で一種の打算があって愛知県を選び、実際何かあればもう実家に戻ろうかなと思う日はなかったわけではないですが、すでに愛知在住は実家より長くなってしまい生活基盤もこちらが圧倒的。亡くなる前に父と和解し、親孝行はほとんどできなかったのですが孫の顔を見せることができ、わだかまりもなくなったと思っています。私の一方的な思い込みかもしれませんが。
もし私がそのまま地元で就職していたら果たして労働組合活動をしていたがどうかは微妙です。一応労組がある会社に就職をしようとしました。トップクラスではないけど、学校推薦で就職先を選べる立場ぐらいには学生時代頑張っていました。今となっては学生時代頑張っていた事はなんの自慢にならないですが。これはある程度どの地方もあるかもしれませんが、当時において基本的に女性の就職は結婚までの社会勉強、ただ福井県全般に言えるのですが共働き率は全国1位であり子育てがひと段落したら働いて家計を助けるというのがある種スタンダードでした。福井に限らず北陸地方は持ち家率も多く、男は家を構えて当然という風潮は間違いなくあります。こうした周りのスタンダードな考え方を受け入れらない人もいるのは当然の事で、地方と都会の意識の差をいかに縮めるかは今後の課題の一つでしょう。国が違えば考え方が違うように、地域地方もやはり価値観の相違はあります。旧弊を打破しつつ、かといって排除するのではなく個性を認め合う社会は都会だけではなく地方にも求められています。
前置きが長くなりましたが、ここで今回の本題を。敗戦を迎えた日本でGHQの改革から戦前一度は解体された本格的なナショナルセンターの再建が行われました。当時の労働運動は日本共産党を支持する「全日本産業別労働組合会議」と日本社会党を支持する「日本労働組合総同盟」の2つの派閥がありました。前者である「産別会議」は160万人以上を組織化しており、それに対して「総同盟」は80万人ほどです。差は歴然とし、「産別会議」はニ・一ゼネストなどを指揮しますが、後に日本共産党主体の労働運動は内部に多くの不満を持つ組合員を「民主化同盟」に参入させる導火線となり、共産党の衰退と共に組合員も激減し、総評結成後は解散に追い込まれます。さて社会党側のナショナルセンター「総同盟」は、多くの地方組織を持ち総評に加入後もその地方組織として「地区労」という形で多く残ります。地区労は総評傘下と地場の労働組合が同居をし、これが後の社会党左右分裂、民社党結党後も社会党支持にとどまり派閥抗争によって弱体化した社会党地方組織がまともに選挙を闘えたのは、この地区労の存在抜きにしては語れないです。かつて社会党の政策審議会長を務めた伊藤茂は「社会党は村山内閣より地区労の解体の方が打撃を与えた」と言われた地区労は労戦統一のさなか、基本的に連合の地域協議会に置き換わり、平成不況もあり多くの企業が倒産すると同時に組合も解散に追い込まれ、残った地区労もかつての面影はなかなか見出せなくなっています。
といっても連合の地方組織である地域協議会も一定の擁護をするなら、各地域に産別の出向組とは言え連合の専従を置いたという事はかなり画期的な出来事でした。地域協議会によっては専従1人と事務職員1人で回している地域もありますが、これは労戦統一前の地区労や同盟の地方組織である地区同盟にも見られなかった事です。それを活かしきれているかと言われるとまた別問題ですが。ただローカル運動が低調な労働運動に明日はないと確信しています。さてなぜ地域労働運動が重要視されるのでしょうか?
地区労とは何か?
前述したように「地区労」自体は総評結成以前からのものがほとんどで、ナショナルセンターの傘下というより地域の労働組合の集合体であり、総評、同盟、中連、独立系労組関係なく混在していた地域もあり、日本社会党委員長になった石橋政嗣は佐世保地区労議長から代議士に転身しました。こうした地区労はイデオロギー色というより地域の仲間という連帯意識を持っており、多くの地場企業の組織化において一種の中立性が買われ多くの中小企業労組を生み出しました。遠くの親戚より近くの他人という言葉がありますが地区労においてもこの言葉が通用します。必ずしも総評路線に賛成はしないが、信頼する地域の働く仲間が推すから社会党に投票するという本来は党組織や代議士の後援会が独自に行う地域活動を代行し、面倒見の良い組織として革新勢力の中核を担っていました。ただこうした日本社会党の選挙スタイルは自民党の派閥を政党組織として行なっていると批判され、社会党の代議士は候補者とその支持者しか存在せず本来地域活動を行うべき党員の数は驚くほど少ない事から「幽霊政党」とマルクス主義政治学者である田口富久治に指摘されました。これは現在の立憲民主党や国民民主党にも言える事です。選挙をすると言われ、集まってみたものの周りは労働組合の人ばかりで肝心の党員の姿は一切ないという非常に大きな弱点を抱えている以上「ネットドブ板」なるものがどこまで通用するのか疑問です。愛知県は比較的マシですが、私の故郷である福井県の立憲民主党や国民民主党は党員の姿なく地方議員が党員以外の支持者をまとめ上げ当選しているだけで、いざ地力が問われる場面になればてんで話にならず労組や旧民主党の支援団体が最後は敗戦処理のため、神風特攻のような出馬をしないといけない。地方組織の地力不足を棚に上げて一部の数人だけで県連の方向をまとめ上げ、一応事後報告はあるがそれをやり切ることもできず、結局は支援団体が労組や市民団体を含め尻拭いをするパターンはもう何百回あります。その最大のものが希望の党騒動ですが、こちらは連合の中央も関わっているので私たちも最後までそれにつき合わないといけないのは仕方ないでしょう。地方組織の私たちも、中央の独断専行で色々と説明して回らないといけない立場は一緒なのです。といっても連合の役員ならびに私も連合の運動に参画しているので仕方ないと言えば仕方ないですが。
脱線が長くなりました。こうした弱点を補っていたのが地区労です。自民党の場合は支援団体を巧みに振り分けて、票割を成功させますが地区労ー社会党ラインには当然そこまでの余裕はなく当然中選挙区制において、社会党の複数擁立は共倒れの危機を抱えないといけませんでした。今回はこれが主旨ではないので、政治運動としての地区労はここで終了ですが、こうした地区労の面倒見の良さが地域労働運動の活力となりひいては総評の「ぐるみ闘争」の活力になりました。未組織の中小企業の労働者は農村や漁村の出稼ぎも多く、中央の政局ばかりにかまける総評中央に比べ地区労は田舎から来た労働者にも手を差し伸べました。案外、農村部において社会民主党の地方組織が残っているのはこうした地区労の活動も無視できないです。地区労が力を失い、連合労働運動として、数奇ではなくある意味必然的に私のライフワークになった。私が目指すべきものはローカルにおいても、力強い発信ができる強い労働運動です。地区労は大いなるヒントになる。
ローカルAFLーCIO
アメリカのナショナルセンター「AFLーCIO」において、その報道が最近日本でも取り上げられてきました。AFLーCIOはかつては労使協調の名の下にマフィアと組合幹部の癒着があっても、ボス交において執行部の瑕疵はほとんど追及されず、未組織の労働者から見放されることもしばしばありました。しかし、そうした運動においてローカル主義を見つめ直すことで現在アメリカ世論は労働組合に好意的です。その運動論においてAFLーCIOは一部産別の離脱があり、ナショナルセンター自体は若干縮小しましたが、アメリカの同志から学ぶ事は日本の労働運動において大いにあります。
リビング・ウェイジという言葉を聞いた事がありますか?最低賃金とは別に労働者が健康で文化的な生活を営めるように保障する賃金の事であり連合も広報しています。1990年以降からアメリカの労働運動はこのリビング・ウェイジを重視していきました。サンフランシスコのホテル産業にも同様に多くのホテル従業員が労使交渉の中でリビング・ウェイジを勝ち取りましたが、実行するかどうかは資本の胸先三寸です。世論に訴え多くのホテルがリビング・ウェイジの支払いに応じましたが、あるホテルだけはそれに応じず、逆に裁判を起こした移民労働者を解雇しました。ホテル・レストラン従業員国際労働組合は、その決定に闘争を宣言。地域の労働NGOから宗教団体まで巻き込み法廷闘争に勝利。未払い賃金と解雇撤回を勝ち取りました。ホテル・レストラン労組と労働NGOの運動は広範な市民に対し、分かりやすい言葉を使って多くの共感を呼び世論を味方につけ法廷闘争を勝利に導きました。地域の労働運動がしっかりと根づいていたからできた事です。
トラックドライバーの労働組合であるチームスターズも地域を巻き込んだ闘争を行いました。アメリカのトラック運転手は特に港の仕事は「請負人」という形でその労働者性は否定され、トラックも自前に所有する自営業の扱いを受けていました。生活のため報酬が安くても多くの作業をこなす事で補填をし当然商売道具であるトラックの老朽化は早まります。オークランド港においてもそうした出来事は多くありました。ただいわば自営業化しているトラック運転手の組織化は難しいものです。チームスターズは多くの市民団体と連携し、フォーラム型の住民と労組の一体型の組織を目指しました。トラック産業においても多くの移民労働者が働いています。そこには地域住民との一体化を産むために環境問題など一見労働運動とは異なる呼びかけをする事で住民の支持を獲得し制度改革に一定の成果を得る事ができました。よく労働組合が平和運動や環境問題、ジェンダー平等に取り組んでばかりで肝心の労働運動は何もやっていないという批判を浴びますが、逆に私たちが自分の利益ばかりを追求して住民運動を起こしても誰もついていかないです。住民と共通の課題に取り組む事で地域の労働運動を知ってもらい労働環境の改善を図っていく。そういう意味においては労働組合が社会課題に取り組む意義はあります。社会的な要請なら労働運動はそれを受け止め、広範な市民の支持を得るために協力すべきで、それがいざ私達が闘争すると決めた瞬間多くの後押しを受けるのだから、こうした運動を軽視すべきではないです。もう一度、日本においても地区労を復活させよう。あえてタイトルは私なりの現在の世相に対して一つの回答です。もちろん労組はその偉大さを誇るのではなく、かつて地域住民の輪の中に入り地域の中で溶け込むことで大きな運動とその利益を得て、得た利益を再分配する事で組織化を成功させました。もう一度地区労運動の再興を地域の労働運動家として、故郷から離れた場所で働く人として目指します。
連合は第二の地区労を復活させうるのか?
連合宮崎の元会長である中川育江さんは県内を回るうちに「学校、病院、働く場所があれば地元に残りたい」という声をよく聞いたそうです。過疎化の影響は学ぶ場所、治癒する場所、そして生活の糧を徐々に奪われています。働く場所はある事はある。ただ地域の公共の衰退を感じる事は多々あります。「流出組」の私は強く感じます。確かに就職先は、別の場所であったとしても故郷の衰退に危機感を感じている人はいないと思います。失いたくはないないです。誰にだって当たり前のはずです。例え苦い思い出しかない故郷だったとしてもです。
「地域ゼネラル連合」というコミュニティユニオンを全ての地方連合において設置を目指すという方針は何年前に決定され、2026年にはそれを完了することを目標に掲げています。散々企業別労組の弊害を説いておきながら、私自身全く合同労組の経験はなく手伝う仲間も皆、手探りで進んでいます。素人集団で何ができるのかわからないですが、最初は皆何も知らずに始めるのだから、やれる事は存分にやってみたいと思います。労戦統一以降の世代は心合わせどころか顔合わせも進んでいる状況とは言えないですが、それなら様々な産別と顔を合わせ、心を合わせた経験はある労働組合経験者はやらないといけない宿題は数多く残っています。私の労働運動はこれからですね。
連合福岡ユニオンの志水輝美は、国鉄職員から30歳で地区労労働運動に入りそのまま労戦統一の中で、地区労から連合に入ってもローカル労働運動を続けました。お会いした事もありますが、「団交の鬼」と呼ばれているとは思えないほど温厚なお人柄でした。彼の足元ぐらいは超えて私も腰元ぐらいには粘ってみたいです。
労働運動に限らず、何事もグローバルな視点を持たねばならない事は確実ですが、足元のローカルが見えなくなっている人が多いのも事実。私もまだまだ修行が足りないと思うことは多々あります。ローカルの人間はしっかりとローカルの課題に取り組みそれが全国を世界を巻き込む労働運動になれば、間違いなく働く場所は良くなります。逆説的に言えば、ローカルの運動において市民団体や市民を巻き込んだ運動ができない以上どれだけ口では大きなことを言っても、その言葉は誰にも伝わらず虚しく響くだけでしょう。地域を巻き込む運動ができないなら、国際連帯はできるはずがない。私にとって大きな宿題になりそうです。学生時代の長期休暇と違って私に課せられた宿題は期限はないですが、膨大です。だからこそ一つ一つ取り組みます。この言葉がちゃんと皆々様に伝わりますように。