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【小説】一一九の向こうがわ

あらすじ
「119番消防です。火事ですか、救急車ですか?」豊倉市消防局に務める女性指令員・福永未来みらいは、着信した通報に応答する。だが、大半は、いたずら電話のように緊急性のない通話ばかり……。
「こんな仕事をするために消防士になったんじゃない」女性には無理だと言われながらも、消防レスキュー隊員に憧れていた未来は、指令台を前にして、いつもストレスに苛まれていた。そんな未来を奇妙な人々が取り囲んでいく。迷惑通報の常習者「おばちゃん」、保育園の花火教室で出会った孤独な子「コウタ」、暑っ苦しい刑事「ブルゾン岩」……。
知らぬ間に燻ぶっていた事件の火種が、やがて姿を現し、とんでもない事態へと彼女らを巻き込んでいく。
事件は無事解決するのか、そして未来は消防士として生きる道を見つけられるのか――。ページをめくるたびに加速していく、消防ミステリーです。
※一部を無料公開します。

プロローグ

 凍えるような朝だった。私は背を丸めながら守衛室を出た。
市民病院の屋外巡回は、一時間毎に実施することになっている。不審者に対する警備だけをしていればいいわけではない。こっそりと散歩に出た入院患者が倒れている――そんな事態もあり得るからだ。
 ――でも、この寒さでは誰も外に出ようなんて思わないだろう。
その巡回を担当した私は、楽観的だった。それでも重要な職務であることに変わりはないから、植え込みの中まで念入りに見て回った。そういう性分だった。
 大方は済んだ。後は、駐輪場から玄関を回り、夜間通用口に戻ればいい。頭の中でルートをたどりながら玄関の見えるところまで差し掛かったときだった。白いものが目に入ったのである。玄関脇の植え込みに丸まった布のようなものが転がっているのだ。リネン室の窓からタオルケットが落ちたのだろうか。最初はそう思って近づいてみる。
違う――何かを巻いたバスタオルだった。それを拾い上げようと屈みこんだ瞬間、タオルの隙間から別の色が目に飛び込んできたのだ。伸ばしかけていた手を思わず引っ込めた。
 ――どうしよう。
 不審物はそのままにして、直ちに警備主任に報告する決まりだった。立ち上がると足先を守衛室のある夜間通用口へと向けた。しかし、一歩を踏み出すことはなかった。タオルの中から何かが呼び掛けているような気がしたからだ。
 再びその前に屈みこんで恐る恐るタオルの重ねを解く。顔が見えた。小さな顔だった。私は未婚で子供はいない。乳幼児を間近で見る経験は皆無に等しい。それでも生まれたばかりであるくらいは分かる。確かめるように少しタオルを開くと、へその緒――本物を見たことはないが多分そうだろう――が付いたままだ。
 肌は白い。植え込みの霜柱を思い浮かべるくらい白く、そして冷たく見えた。目を開けることもなく、口元も固まったままだ。死んでいるのかもしれない。そう思うと足がすくんだ。やはりそのままにして主任を呼ぶべきだったか。
 ――元に戻そう。
 開いたタオルの端を摘まもうと、右手を伸ばしたとき、動いたのだ。小さな手が、私の大きな手に向かって。太くてごつい人差し指を、雛人形のように繊細な指が握ったのだ。最初は左手で、さらに右手も添えて。
 私は感じた。その小さな手で力いっぱい握っていることを。二度と離すものか――そんな思いを込めて握り締めていることを。
思わず抱き上げた。タオルごと慎重に。そのとき、ぽとりと地面に落ちるものがあった。白い小さな封筒だった。
 ――こんなもの後回しだ。
 そのまま夜間通用口に駆け込んだ。すぐ脇には救急処置室がある。確か一時間くらい前に軽症患者が運び込まれたはずだから、まだ医師か看護師が残っているだろう。間に合う。大丈夫だ。腕の中にいる小さな命に叫び続けた。
 低体温状態になっているが助かると聞いてほっとした。
「病院の前に置いただけでもまだましか」処置を終えた医師が呟いた。
 それを耳にして思い出したのだ。あの封筒を。
 戻ってみた。そのままになっていた。この状態で主任に報告を――。しかし、私は拾い上げてしまった。封はしていない。小さな紙切れが入っている。
【この子をよろしくお願いします】
 乱れた字が並んでいた。子の行く末を多少なりとも案じる気持ちがあるのなら、何でこんなことを――。目の前の現実を受け入れることができなかった。
 この一行以外に何も書かれていない。産み落としたばかりで名前を付けることもできなかったのか。
 ――いい名前付けてやるぞ。希望にあふれた名前を。
 紙切れをぐっと握りしめた。不幸をすべて押しつぶすように。

Phase-1 うずみ火

Mission-1 指令員のストレス

「一一九番消防です。火事ですか、救急車ですか?」
 呼出音に素早く反応した福永未来みらいは、応答ボタンを押すと同時に話し始めた。しかし、ヘッドセットからは何も聞こえてこない。
「また、おばちゃんか?」
 傍らで指令主任の須賀川が尋ねると、未来はかぶりを振りながら、さらに耳を澄ませてみる。
 何かが聞こえた――そう思った瞬間、軽いノイズ音とともに切れてしまった。だが、一一九番回線というものは、受信側で切断操作をしない限り回線が保持される。呼び返しボタンを押せば、通報側の電話機が鳴る仕組みになっている。そのボタンを何度も操作したが応答はない。ため息をつきながら未来はヘッドセットを頭から外した。
「笑い声がしたとたん切られました。いたずらですね」
「そうか」
 須賀川も付き合うようにため息をついた。
 ここは、豊倉とよくら市消防局の指令室である。
 昨年の統計によると、年間三万二千五百十一件の一一九番を受信している。そのうち、一万四千三百四十九件が救急や救助を要請する通報で、百五十三件が火災の通報である。
 すると、残りは?
 毎日実施される試験通話を除いた一万六千三百二十七件は、問い合わせやいたずら電話なのである。つまり、一一九番の約半数が、緊急とは言い難い通話に使われてしまうのだ。指令室に勤務する指令員は、単純に言ってその労力の半分を、どうでもいい通話の対応に費やさねばならないのである。この二人がため息をついてしまうのは無理もない。
 一口にいたずら電話と言っても、二つに大別される。
 まず、『虚報』と呼ばれるケースである。火事だとか、交通事故だとか、かなり具体的に通報するが、そもそもありもしないこと――嘘を言っているわけである。嘘であると簡単に判別できるなら苦労はしないが、大抵は、念のために消防車や救急車を現場へ向かわせねばならないからどうにも厄介である。空振りを食らって戻ってきた消防隊などからは、必ずと言っていいほど文句を浴びせられる。「ちゃんと通報を聞けよ」と。そのようなことを言われる筋合いでもないのに、指令員は、ぶつけどころのない不満の受け皿とならざるを得ないのだ。
 もう一つのケースは、彼女――未来が受信したような無言電話である。これも場合によっては対応に苦慮する。本当に具合が悪く、救急要請のため一一九とプッシュするまではできたものの、様態が悪化し、意識を失ってしまうという事態もありうるからだ。
 通話の様子から緊急事態発生と判断した場合は、発信地表示システムという検索機能を使って住所を割り出し、救急隊を向かわせる。
 これとて空振りが多く、救急隊が到着すると、何しに来たと怒鳴りつける人もいるようである。散々な目にあって帰ってきた救急隊の話によると、その家では大掃除の真最中で、家具や電化製品の隅々までぴかぴかに磨き上げていたという。電話機を拭くとき、はずみで一一九とボタンを押してしまったのであろうというのが救急隊長の推測だった。
 そして、いたずら電話ではないが、指令員が持て余す通話もある。
 正直に住所も言い、名乗りもするが、火災の通報でも、救急要請でもない。ひたすら誰かと話をしたいだけの人がいるのである。須賀川が言っていた『おばちゃん』とは、この類で、迷惑電話の常連だったのである。
 一一九番通話は無料である。実質ゼロ円とかいう、どこかの携帯電話会社の割引キャンペーンなんて問題ではない。正真正銘のゼロ円なのだから気兼ねなく話ができる。しかし各電話中継局から敷設されている回線の数は限られている。取るに足らない話をしているうちに本当の緊急通報が入ろうとしても回線が塞がっていれば繋がらない。
 だから、緊急ではないと分かった途端、指令員は通話を終わらせようと必死になる。とりあえず話を聞くから一般回線に掛け直して、と譲歩しても応じてくれるケースは稀だ。一般回線は有料であることくらい誰でも知っている。
 とにかく無料通話の威力は絶大なのだ。
 それでも、指令員は何とかして通話を中断しようとする。悪質な場合は、「切ります」と宣言して一方的に終話しても構わないのであるが、下手な応対をすると、即座に市長のところへ抗議電話が入ったりするから面倒だ。
そう、指令員は毎日、本来の業務からかけ離れたストレスに苛まれているのである。
 未来は再びため息をつきながら、正面に据えられている十七インチのモニターに指を伸ばした。コマンドモニターと呼ばれているもので、情報の表示だけでなく、一一九番の応答や呼び返しなど通話に必要な操作ボタンがタッチセンサー画面に設定されている。
 その一番下にある【終話】と赤く表示されたボタンを押すと、コマンドモニターからすべての表示が消える。それと同時に、コマンドモニターの左側に据えられている地図検索用の二十三インチモニターからも豊倉市の地図が消え、これで一つの一一九番対応が終了したことになる。指令員たちは事案終了と呼んでいる。
 ――こんな電話の相手をするために消防士になったんじゃない。
 いたずら電話が終わるたびに、未来は、ブラックアウトしたモニターを見つめながら、そう嘆くのである。
 ならば、なぜ消防士になったのか?
 決まっているではないか。人を助けるためだ。しかも人命救助のスペシャリストであるレスキュー隊員になりたかったのだ。
 だのにこんな部屋に閉じ込められているなんて――。
 当たりどころのない不満を持て余していると、再び電子音が鳴った。【一一九着信】と表示される。
 未来は素早くヘッドセットを戻すと応答ボタンを押し、数分前と同じように問い掛ける。
『火事、火事よっ! 早く来て』
「落ち着いてください。住所は?」
『北浦町よ』
「番地は?」
『二九の三三六五。家が燃えているんだから、早くっ!』
 二九の三三六五? そんな番地あるわけがない。気が焦って、番地と電話番号を混同しているのは明らかである。
「近くに大きな建物など目標となるものありませんか」と言いながらモニターを操作し、目標物で災害地点を特定できるモードに切り替えた。
『小学校、北浦小学校の隣』
 通報者の声に合わせ、モニターの表示をスクロールしながら北浦小学校という表示を見つけた。それをタッチすると、地図モニターの表示が豊倉市全体図から詳細な住宅地図に変わり、中央に北浦小学校の校舎が表示されている。
「小学校の隣というと、どちら側になります?」
『どちら側って?』
「東西南北、いずれですか」
『そんなの、ええと――』
「どちら――」
 地図画面を覗き込みながら何度も訊き返している未来の視界を遮るように、メモが差し出された。『出せ』と殴り書きされている。振り向くと須賀川主任の唇が動いている。
 早く出せ――そう繰り返しているようだ。
「災害地点が未確定で――」
 そう反論しかけた未来の眼前に須賀川の右手が割り込んできた。コマンドモニターに伸びた指先は、【地点決定】ボタンを操作してしまうではないか。一瞬にして表示は出動部隊リストに変わった。五つのポンプ隊のほか、レスキュー隊、指揮隊、救急隊がリストアップされている。押しのけるようにして割り込んできた須賀川の視線がさっと一読すると、間髪入れずに【出動指令】ボタンが押された。
 ――横入りするなんて。
 未来の不満を無視するかのように署内に放送が流れる。
「北浦町二〇三番地、北浦小学校付近、建物火災。出場隊、本署ポンプ一……」
 すべて、指令装置のコンピューターが合成した音声である。
『ねえ、早くして!』
 ヘッドセットから溢れ出た声で未来は我に返った。
「消防隊は出動しますから、落ち着いてください。あなたの家が燃えているんですか?」
『そう……』
「煙に巻かれると危険ですから、無理しないで屋外に避難してください」
『もう外に……』
 おそらく、通報者はワイヤレスの子機で話しているのであろう。先ほどから雑音が気になっていたのだ。次第に音声が聴き取りにくくなり、そして、途絶えた。電波の届く範囲から出たからなのか、それとも親機が燃えてしまったのであろうか。未来はヘッドセットを押し当てて耳を澄ませたものの、音が入ってくることはなかった。


Mission-2 指令主任の悩み

「よし、出動したな」 ブラインドの隙間から赤い車列を見ると、須賀川は本来の位置である指揮台に戻った。
 指令部門の責任者は指令室長である。だが、室長が常に陣頭指揮を執るわけではない。毎日勤務者だから十七時になれば帰宅してしまう。実質的な指揮を任されているのが、当直勤務者のトップである指令主任だ。そのホームポジションが指揮台なのである。指揮台ではすべての指令台の通話状況を傍受できるし、必要に応じて指示を与えることもできるのだが――。
 未来が一一九番を受信すると、居ても立っても居られなくなり、指令台の方へ移動してしまうのである。そして、彼女の指令台の予備ジャックに自分のヘッドセットを繋ぎ、通話を監視してしまうのだ。
 ――任せなければ一人前にはならないぞ。
 いつものように悔やんでいる間もなく、一一九番の着信音が鳴り始めた。一つだけではない。未来以外の四人の指令員が順次応答を始める。
『火事。北浦町の小学校の裏……』
『うちの隣で火事よ。煙がすごい……』
『消防車まだか! みんな燃えちまうぞ……』
『何してんの!』
 ――同じ火災を通報している。かなり燃えているな。
 通話を傍受しながら須賀川はそう思った。
 炎上している火災の通報には、二つのパターンがある。大勢が目撃し、それぞれが通報するから、おのずと着信数が多くなるパターン。
 そしてもう一つは、ほとんど、いや場合によってはまったく通報されないパターンだ。
「こんなに燃えているんだし、大勢が見ているから誰かが通報しているはずだ」と誰もが思ってしまうらしい。結果としてかなり拡大した頃になって、  誰も通報していないことに気付くのだ。
 今回は前者のパターンであろう。そう思いながら須賀川は、対応している指令員たちを見渡し、一番右にある六番台で視線が止まった。
「福永、支援情報を送ったのか」
 須賀川の言葉に未来は、ぴくりと反応し、右手でメモを掴んだ。先ほどの通報を聴きながら書き留めたものだ。それに目を落としてから卓上にある無線送信ボタンを押す。
「豊倉消防から北浦町建物火災出動中の各隊へ――」
 須賀川は、その後姿を見ながら、不安そうに見つめる。
 一一九番通報の処理には基本的な流れがある。
 まず、災害の種別を確認しなければならない。火災なのか、救急車の要請なのか。これ以外にも交通事故により車両内に閉じ込められた人などを救出する救助要請や大雨による洪水の通報もあれば、一一〇番と間違えて掛けてくることもある。指令員は、通報者が何を要請しているのかを素早く聴き取り、災害種別を決定するとコマンドモニターのボタンを押して指令コンピューターに入力するのである。
 次に、発生地点を決定するための情報を聴き取る。通報者の自宅で発生した場合は、住所が判っているので聴き取りはそれほど難しくない。しかし今回のように慌てていると電話番号と混同してしまうケースもあるから油断はできない。
 一方、交通事故のように自宅以外の場所となると、住所を言える人は、ほとんどいないであろう。そこで著名な建物や交差点の名称など、いわゆる目標物を聴き出して地点を絞り込んでいく。これを手早く、しかも慎重にやっていかねばならない。時間をかけすぎると出動が大幅に遅れることになるからだ。
 北浦小学校の付近と絞り込まれた時点で、須賀川はゴーサインを出した。ここまで判っていれば、とりあえず消防隊を出動させておき、別の通報や出動途上から見える煙の様子などを頼りに、何とか現場までたどり着けるのでは、と判断したからだ。
 このあたりのさじ加減が未来は理解できていないのである。
 それはさておき、どうにか災害地点が絞り込まれると、その場所に近い消防署所から順番に、必要数の部隊をコンピューターが選択し自動編成される。指令員がそれを確認してボタンを押せば、合成音声による館内放送が流れ、消防隊は飛び出していくわけだ。
 そして、最後の仕上げがある。
 支援情報と称するものを出動隊に無線送信するのだ。通報により入手した様々な情報がある。逃げ遅れた人の有無、燃えている程度、危険物質の有無……。
 こうした消防活動に重要な情報を、受信した指令員が自ら伝えるのだ。その仕上げ作業を未来は怠っていたのである。
「――支援情報を送る。出火棟住所は、通報者慌てているため未確定。以上、豊倉消防」
「まだあるだろう」
 須賀川は我慢できなくなり六番台の脇に立った。しかし、当人は澄ましたまま微動だにしない。
 ――何を考えているんだ。
 ヘッドセットを奪い取ると、送信ボタンを押した。
「豊倉消防から各隊、追加情報。本件通報多数あり、炎上中と思われる。火元住人らしき第一通報者には、屋外避難を指示済み。要救助者の有無は未確認。通報者と接触し確認されたい。以上豊倉消防」
 ボタンから手を放すと黙ったままヘッドセットを返した。睨むような視線が跳ね返ってきたものの、すぐにそっぽを向かれた。
 ――こいつ……。
 どうしてこんなやつにムキになってしまうのかと、須賀川は不思議でならない。
 採用試験の面接で、試験官に楯突いたために落とされたという話を耳にしたことがある。翌年リベンジを果たし、採用決定後のあいさつで「私の目標はレスキュー隊です」と胸を張ったという噂も流れてきた。
 ――世間知らずも甚だしい。お前にレスキューの何が分かるというのだ。
 噂を聞いたときにそう腹を立ててもみた。しかし、つまらないことに意固地になっている自分が見透かされるようで、そんな思いを振り払った。若いんだし、それくらいの勢いがあってもいいではないかと。
 しかし、目の前にいるのは、何とも中途半端なやつだ。やることなすこと、すべてがどこを向いているのか分からない。レスキュー志望は見せかけだったのか。それとも指令員なんて馬鹿らしくてやってられないということなのか――。

 確かに指令業務というものは地味である。レスキューのように助けたという手応えが得られないことがほとんどだ。その上、一昔前に比べ、指令システムは飛躍的に進歩しており、指令員への負担が軽くなっているのも事実だ。それがかえって悩ましいのである。
 火事か救急かと尋ねられれば、大抵の人は返事ができるだろう。住所が言えなくても目標物などからある程度割り出すことができるし、いざとなれば発信地表示システムで探知することだってできるのだ。モニターにタッチしながら断片的な情報を入力するだけで、コンピューターが最適な部隊編成をしてくれる。あとは、出動指令ボタンを押すだけ――。
「このシステムさえあれば、素人だってできる。心配するな」
 問題児が指令室に異動してくると聞いた須賀川が、指令室長に抗議したとき、返ってきた言葉がこれだった。
「冗談じゃない」
「そう言うな。どこも引き取り手のないという噂だ。ウチで面倒見るしかないじゃないか」
 室長は、なだめたつもりだったのだろうが、さらに須賀川の心を苛つかせた。その一方で、どんなやつなんだと気になったことも事実だ。
 しかし、ふたを開けたらこの有様ではないか。ふらふらと日々を過ごして十カ月が経ち、四月の定期異動時期を迎えた。問題児はそのままである。ところが彼女を受け入れた指令室長自身は、「後をよろしくな」と言い残してさっさと御栄転だ。須賀川のやるせない気持ちは膨らむ一方だった。
 ――ここは問題児の面倒を見るところじゃないぞ。
 心の中で反発してみたものの、五年前の自分を思い出し、矛を収めた。あのときは、なぜ俺が指令室なんだと怒鳴り散らしてしまったのだった――。
 ――指令員は、指令装置の操作員ではない。
 五年かけてようやくたどり着いた答えだった。
 災害現場という極限に近い状態に追い詰められた人から必要な情報を引き出し、その場面に最適な部隊を編成して送り出す。それが指令業務である。そのための道具の一つとして指令装置を操作しているに過ぎない。指令員の高度な判断力が求められる仕事なのだ。
 ――それを分かってもらえるまで辛抱しなければならないのか。
 未来の背中を見つめながら、須賀川は再びため息をついた。

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 目次
プロローグ
Phase-1埋み火
Mission-1指令員のストレス/Mission-2指令主任の悩み/Mission-3どちらでもない一一九/Mission-4初出動/Mission-5自ら放棄したもの
Phase-2燻焼
Mission-1リズムに乗って踊れ/Mission-2地平線の向こうがわ/Mission-3指令員がいる意味/Mission-4途切れた電話/Mission-5百段坂の白い家
Phase-3発火
Mission-1聞き覚えのある名前/Mission-2見た目で判断するな/Mission-3ホームズではなくワトソン/Mission-4人間が考えていること/Mission-5刑事の嗅覚
Phase-4延焼
Mission-1待ち続ける人/Mission-2真っ赤な嘘/Mission-3連係プレーの成果/Mission-4指令主任の資格/Mission-5父親の資格
Phase-5火勢鎮圧
Mission-1捜査は踊る/Mission-2消防士の生き方/Mission-3共犯者の供述/Mission-4自分にできること/Mission-5母親の胸のうち
Phase-6残火
Mission-1それを押す資格/Mission-2向こうがわに灯る命/Mission-3二人の謝罪/Mission-4刑事の襟元/Mission-5さいごを知る人
エピローグ


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減災研究室LaboFB・永山政広
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