私たちは生きているだけで、それだけで良いんだってこと。


友人が兄を亡くした。

随分前から家を出ていて
それも家出というか失踪のような形で
家族が連絡が取れる状態にはなかった。

亡くなったという連絡は
家に突然一枚の紙が届いたとのこと。

彼女が最後に兄に会ったのは
1年以上前、突然実家に帰ってきて
そしてまた出て行ったっきりだった。

今はまだ突然のことで
現実がのみこめていないようだった。


私は父を亡くしている。

癌で闘病していた父は
最後は骨にまで癌が転移していて
あちこち痛がっていた。

そんな父の痛みを和らげるために
涙を浮かべながら
細くなった背中をさすっていた母の姿が
私は一番辛かった。

悲しんでいる親の姿は
とても見ていられない。

そしてそれをどう支えるかは
とても難しいことだ。

それから
1年はとても辛かった。

時折ふと何気ない記憶が蘇って
号泣するようなこともあった。

家族の死というのは
すぐには現実として受け入れることが難しい分
ゆっくりと時間をかけて
「もうここにはいない」ということを
感じさせられるものなのかもしれない。


だからこそ
死を近く感じられるようにも
なった気がする。

いつだって
今日死ぬかもしれない
明日死ぬかもしれない
そう思っている。

絨毯にジュースをこぼそうが
洗濯ものを取り込むのを忘れようが
買い換えればいい。
もう一回洗濯すればいい。

そんなことで
死ぬわけじゃない。

やり直せることは
生きていればやり直せる。

「生きてるだけで丸儲け」って
さんまさんの言葉を思い出した。

生きていればいつだってやり直せるから。


友人に「私たちは生きよう!」
そう伝えそびれた。


「死」に直面したときこそ、
生きることを一番望んできたはずで
生きているだけで良い。
それだけで本当は良いんだってこと。

生きてるってきっと
そういうこと。

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