緋田美琴について
私が言葉を尽くしても汲みつくせない良さがセヴン#スにはあって、語りたいことも山ほどあるのだけど、それを書き散らすことは一旦差し控える。
この文章の目的は、緋田美琴を考えることだ。
彼女の心情はこれまで意図的に隠されており、私がどこまで考えてもそれは単なる憶測にしかならなかった。だが、セヴン#スで彼女の問題が一段落したことで、それらのあて推量にも多少の正当性を持たせられたように思う。よってこの記事では、美琴が抱えていた困難と、そこからの脱却についてまとめていく。最大限誠実な読解を心掛けたが、能力不足ゆえの取りこぼしや論理の飛躍は否めない。その点はご容赦いただきたい。
別れのワルツ
まず初めに、これまで提示されてきた美琴の人物像を整理しよう。
その足がかりとなるのが、感謝祭とセヴン#スにおける対比である。
そもそもなぜ、美琴とルカはユニットを解散したのか。その理由はW.I.N.G.で仄めかされており、ルカのマネージャーからも似た経緯が語られていた。
ここで実際に起こったことは、ファン感謝祭で断片的に描かれている。
コンテンポラリーダンスに挑戦しようとした二人が、ルカの多忙、事務所の方針を理由に挫折して(させられて)しまう。そうしたことの積み重ねが「ズレ」になったのだろう。美琴は事務所を移してにちかとユニットを組むことになる。だがSHHisになっても、彼女がやることは変わらなかった。「より良いステージ」のため、コンテンポラリーダンスに挑戦する。
このとき美琴の隣にいたのは、ルカではなくにちかだった。
このエピソードと対比になっているのが、セヴン#スにおけるトリビュートギグである。そこで美琴は、にちかが歌えなくなったことをきっかけに、W.I.N.G.では冷淡な態度を取っていた(ように見える)ルカと共演する。
そう、隣に立つ相手が違っていても、彼女は変わらずステージの上にいた。
この一連の行動を、このように理解することもできる。
隣に立っているのは誰でも構わない。
自分が完璧であるか。自分がやれたかどうか。
乱暴ではあるが、全くの的外れだとも言えないだろう。しかし重要なのは、
この独善的とも言える姿勢の裏に何が隠れていたのかということだ。
この点について、W.I.N.G.にさかのぼって考えていこう。
存在の耐えられない軽さ
私はこのシーンを読んで、彼女のことを忘れられなくなった。
そこまで惹きつけられたのは、その言葉ひとつひとつに
いかんともしがたい懊悩が滲みでていたからだ。
完璧とは何か。
テストであれば満点を取ることだ。だがパフォーマンスに絶対的な基準はない。例えば歌声が震えてしまったとして、それを失態だと捉える人もいれば、感情の表出だと捉える人もいるだろう。ステージの上に完璧はない。見る人のなかにそれはある。アイドルは、見られることでアイドルになる。
なぜ完璧じゃない方が応援したくなるのか。
観客がそこに介在する余地があるからだ。もし仮に絶対的な完璧があるとして、見る人はそこに何も付け足すことはできない。求められるのは上手な歌ではない。その人にしか歌えない歌だ。
果たして美琴は、この事実に気づいていなかったのだろうか。
あるいは気づいたうえで、意地を張っていたのだろうか。
いや、そうではないはずだ。
弱点を克服するためなら何時間でも鏡の前にいる、そんな彼女が絞り出した
「できなかった」の重みを、ここでもう一度思い起こさねばならない。
私には想像もできない歳月、途方もない自問自答のなかで、
幾度その考えが脳裏をよぎったのか。どれだけ苦しんできたのか。
いまから書くことは単なる自己投影で、ただの傲慢かもしれない。だけど私には、彼女の気持ちが少しだけ分かる気がする。他人の目に映る自分が、思う通りの姿でなかったら。それを恐れるせいでうまく振舞えなくて、それで人の視線がもっと恐ろしくなって。そんな経験が、あなたにもあるのではないだろうか。
そしてアイドルであることは、無数にいる他者の目に自己を委ねることだ。
そこでは数多の自分が解釈され生み出される。その形が歪んだものであったとして、矯正も消去も叶わない。他者の心を操ることはできないのだから。
このように考えれば、先ほどは独善的と表現した彼女の姿勢にもよりはっきりした輪郭を描き出せるように思える。完璧であろうとすることで、美琴は逃れようとしたのだ。他者の視線から。その目に映る自分から。
だがそれは同時に、「アイドル」から遠ざかることも意味する。
この矛盾を抱えて、美琴は走りつづけた。止まることはできなかった。
走っている間だけは、何も考えずにいられたから。
ほんとうの私
美琴とルカの解散理由について、先ほど私はそれを「ズレ」と表現した。
しかしこれまでの文章を踏まえると、そこにはまだ語るべきことがあるように思われる。
事務所の方針転換によって、ダンスよりもルカのキャラクターが重視されるようになった。そうして売れていくパートナーを見て、美琴は何を思っただろうか。完璧ではないその人が売れていくことに、活躍の場を与えられていくことに、果たして何も思わなかったのだろうか。
単刀直入に言おう。
ルカは美琴にとって、見ないでいた自分の矛盾を突きつけてくる存在になってしまったのだ。かつての同期が自分の根幹を脅かすものに変わったとき、彼女が取りうる選択肢はそこから背を向けることだった。
そして美琴はSHHisになった。
にちかと出会い、彼女は何を思ったか。
ノー・カラットのラスト、にちかへの出演希望がいくつも来ていることを知らされた美琴は、「―――見たことがある」とつぶやいた。
その声にならない声は、数少ない彼女の心理描写である。思い浮かべていたのは、間違いなくルカのことだろう。かつて自分が認められなかった存在に、いまのパートナーが近づいていくこと。「練習があるから」と電話を切った彼女の内には、どんな感情が渦巻いていたのか。
このクリニック講師のSHHis評は、モノラル・ダイアローグス時点での二人を端的に表現している、と思っていた。しかしいま改めて読むと(にちかはさておき)美琴の見方には違和感を覚える。
彼女は本当ににちかのことを見ていなかったのだろうか。
見ていなかったのではなく、見られなかったのではないか。
先ほど私は他者の視線に晒されることの恐怖について述べた。
他でもないにちかと見つめあうことは、
それとはまた別の恐怖を駆り立てるものだったのではないか。
もし彼女と視線を合わせ、暗がりに隠した自己矛盾を直視してしまったら。
その可能性に行きついたときの、無意識の恐怖。
だからこそ、美琴はにちかのことを見られなかったのだ。
では、SHHisとしての時間は、恐ろしいものでしかなかったのか?
決してそうではないだろう。
窓にサインを書いているとき
はちみつレモンを手に取ったとき
ペンシルターンを目にしたとき
一緒にピアノを弾いたとき
手書きのレビューを見つけたとき
私たちが読んできた(そして読んでこなかった)時間の中で彼女は、
暗がりを照らすだけでない、光の暖かさを感じたのではないか。
だからこそ美琴は、にちかと向き合う決意をする。
光に向けて、手を差し伸べた瞬間だった。
生は彼方に
美琴のG.R.A.D.を初めて読んだときは正直戸惑った。
モノラル・ダイアローグスとは描写が矛盾していたからだ。
自分から「何かを始めるために」故郷に帰るのと、プロデューサーに促されていやいや戻るのとでは全く意味が異なる。G.R.A.D.に出場しなければいけないというゲームの制約によって、物語が歪曲してしまったのだろうか。
そうだとすれば、このシナリオを検討材料に加えるのはあまり得策ではないかもしれない。
だが、美琴が家族やプロデューサーと交わした会話をなかったことにしてしまうのは悲しい。よって、これまでの理解をもとに彼女の言動を考えていこうと思う。これまで以上に論理の飛躍があるだろうが、その点はお目こぼししていただきたい。
以下は帰省先での、プロデューサーとのやり取りである。
澄んだ空気、奇麗になった部屋、調律されていないピアノ。
実家で美琴が過ごした「なにもしていない時間」は、
アイドルとしての死を想起させるものだった。
死。自我の喪失。積み上げてきたものが消え失せること。
死。生からの解放。執着からの解放。苦痛からの解放。
ステージに立つこと/生きることに苦しんできた彼女は果たして、
ステージを降りること/死ぬことを少しも考えなかっただろうか。
彼女がG.R.A.D.でみせた「なにもしていない時間」への恐怖は、
死の避けがたい誘惑の、0への強い憧憬の裏返しではないか。
死を心の片隅で希求するからこそ、
必死でそれに抗わねばならなかったのではないか。
「練習以外のものが、あった時間」を直視したら、
「帰る場所」をそこに見出してしまったら、
生きることから解き放たれてしまったら、
もう二度と、ステージへは上がれない。
だから、「帰る場所はなかった」
「帰ってなんて来たくなかった」
そう思い込めば、迷わずにいられる。
このように考えれば、家族との会話がやけにあっさりしていたことや、
性急に東京へ帰ってきたことにも説明がつく。彼女はそうせざるをえなかったのだ。ステージの上に立つために。立ちつづけるために。
だがそれは、果てしない苦しみが続いていくことも意味する。
生と死の狭間での、逃れられない堂々巡り・・・・・・
G.R.A.D.で描かれたのは逃避なのか。後退なのか。
もしかしたらそうかもしれない。咳は止まった。
けれど伸ばしかけた手は、つながることなく引っ込められた。
それでも、「ここで生きていきたい」と強く思い直すことは、
セヴン#スに至るまでに必要な一歩だったのではないか。
不滅
ここまでの文章を少し整理しよう。
W.I.N.G.からG.R.A.D.まで一貫して描かれてきたものは、一人で作り上げる完璧などないと知りつつ、見られることを恐れるがためにそれを求める美琴の姿だった。ルカ、にちかとの「不協和音」の根底には、その自己矛盾と向き合ってしまうことへの恐怖があった。
セヴン#スで写しだされたのは、その泥沼からの脱却である。
そこに至るまでにどのような過程があったのか、細かく検討していこう。
SHHisのシナリオはカットバック演出が多く、セヴン#スの第5話『shhh』はそれが顕著だ。話の流れを整理するために、プロデューサーにルカとの共演を打診されたときの場面を引用する。
ひとつひとつの言葉に、ここまで文脈を込められるものなのか。
この会話こそ、セヴン#スの完成度が卓越していることの証明である。
一行ごとに感想を書き連ねたいくらいだが、それは別の機会にする。
今回着目したいのは最後の部分である。
「そうでない」が否定しているのは、直前に発したこの言葉だ。
私を見ているのなら、私はステージの上にいる
私がシーズなら、シーズはそこにある
これがいかに重大な意味を持つかは明らかだろう。
ステージの上にいること、その内に潜む独善性の否定。
いままで描かれつづけた自己矛盾と対峙する瞬間である。
どうしてそれが可能だったのか。そこに恐怖はなかったのか。
まず思いつくのは、八雲なみのパフォーマンスをしたことだ。
八雲なみの視点に立つことで、客観性を保ちながら(他者の視線という恐怖に陥ることなく)アイドルに求められるものと向き合うことができたのだ。ありのままの自己は曝けだせなくても、パフォーマンスを通じてそこに迫ることはできる。これは美琴にとって、大きな意味のあることだった。
さらに考えられるのは、自分はアイドルだという自覚である。
他者からの視線を避けてきた美琴は、アイドルとしての自己を肯定される経験をしてこなかった(気づかなかった)。自分には届かないと思っていたところに、実は手を触れていたこと。自己矛盾のなかで苦しんできた彼女にとって、この事実がどれだけ救いになったことだろうか。
またこの出来事は、モノラル・ダイアローグスのラストで行われたことの鮮やかな再現であるとも言える。他の誰でもないにちかだったからこそ、美琴はその視線をまっすぐに受け入れることができたのだ。
八雲なみと七草にちか。
ふたりによって、閉ざされていた美琴の世界は開かれてく兆しをみせた。
他者と関わって、自分を見せること。
この根源的な恐怖が消えてなくなることはないかもしれない。
それでもいつか、彼女は彼女を見つけられるだろう。
大きくて眩しい、ひとりではないステージの上で。
結びに
長くなってしまったが、最後にいくつか補足と言い訳を許してほしい。
・各章の見出しには、ミラン・クンデラの小説タイトル(の邦訳)を借用した。冒頭の引用から分かる通り、クンデラ文学とSHHisには重なり合う点があるからだ。このことについてはより詳細な検討が必要だが、私の能力を超えるため、ここでは言及だけに留める。
・にちかのことにはもっと焦点を当てるべきだった。しかし、私の文章力ではどうしても冗長になってしまい、断念せざるを得なかった。同様の理由で、美琴についても言及できなかった部分がある。論点に沿って過不足のない取捨選択を行ったつもりだが、指摘があればぜひお願いしたい。
・ルカについては未だ描かれない部分も多く、これから先のシナリオを待たねばならないだろう。もしかしたらユニットの解散についても、新たに語られることがあるかもしれない。私の考察はあくまでセヴン#ス実装時点のものであり、以後変節する可能性は十分にある。
・主題の関係もあって、美琴の抱える矛盾や苦しみに重点をおいた記事になった。しかし彼女は、そういったところに限定されない豊かなパーソナリティを備えている。パフォーマンスへの真摯な情熱、たまに見せる茶目っ気、哀しさの内にある気高さ。他にも書ききれない、そして言葉にできない魅力が彼女にはある。この文章はあくまで、その多面的な人間性から一部を切り取って書いたものである。
美琴のW.I.N.G.を読んだときから、私は彼女のことを考えつづけてきた。
どこかに私の見えていないところがあって、そこで彼女が苦しんでいたとしたら、せめてそれに気づいてやりたかった。
色々と思いめぐらせて、そうして私の中で作り上げた彼女は、しかし、
歪んだ形をしているかもしれない。それを確かめる術はない。
他ならぬ私自身が、他者を解釈する暴力性を見せているかもしれない。
そう思うと、言葉をまとめて人に見せることはできなかった。
それでもいまの美琴なら、私の視線を受け止めてくれるのではないか。
私の中の、誰かの中の自分も呑みこんで、ステージの上で光り輝く。
そんな美琴の姿が、セヴン#スで垣間見えたような気がする。
だから私はこの文章を書いた。
独りよがりかもしれないけれど、届けばいいなと思う。美琴に。誰かに。