私がCOVID-19ワクチンを打たない理由
私がCOVID-19ワクチンを打たない理由。
これほど「ワクチン」と「陰謀」という言葉を見た1年は無い。これまでのような日常を過ごしていれば、まったく接点のない二つの単語が吹き荒れている。あたかも「ワクチン接種」VS「非接種」が泥試合をしているような様相だ。
ある時、SNSに「ワクチンを打つつもりはない」とコメントしたら「頭が悪いアホ」だのなんだのと罵る「荒らし」達がやってきた。もちろん、この手のイキモノは遊んでやらずに黙殺するに限る。
私はCOVID-19ワクチンを打たない。理由は極めてシンプルだ。
理由1:COVID-19ワクチンを例外だと思っていない。
子供の頃にインフルエンザと日本脳炎の「予防接種」で死にそうな思いをして以来、ワクチンの類は打たないと決めている。
「予防接種」という上手くできた言葉も信用していない。健全な身体にウイルス様のモノを打ち込んで、免疫を獲得するという考え方に賛同できない。なぜなら、免疫獲得に至らず、ぶっ倒れたことが一度ではないからだ。
そもそも、自己免疫機能をを維持すれば大病でない限り、完治すると思っている。
ワクチンを打たなければ入国できない国は、行きたくても諦めてきた。生粋の「ワクチン類は打ちません」派なのだから、今回のCOVID-19ワクチンだとて例外ではない。
理由2:私は被治験者になりたくない。
ここのところ、日本の大衆メディアでは異常なくらいにワクチンの接種を推奨している。
とにかく、ワクチンなんだ!ワクチンを打てば万事うまく行くんだ!
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それは本当だろうか。このワクチンは治験中の薬剤である。
通常、新薬は開発→In vivo/In vitroなどの試験→治験→臨床試験という流れを辿る。今、このワクチンは「医療現場で使う薬の候補として問題ないのか」を調査する段階にある。十分な薬物動態が分かっていないどころか、その薬物動態を今、世界中の人々に打ちまくって調査をしているような状況ではないのか。
一時、「ブラックバイト」なる言葉が生まれた時に、治験薬を投与される被治験者となる「治験バイト」が紹介されることがあった。健康を害する恐れもある薬剤を打って実験台になるのだから、当然、報酬も高い。
何らかの事情があるにせよ、また、医療の発展のためには必要な過程であるにしろ「社会的弱者が命を担保に報酬を貰う」という印象が強く、考えるだけで苦しくなる。個人的には、なぜ、母親が命懸けで生んでくれた身体を、両親や祖父母が力を注いで育ててくれた「自分」を担保にせにゃならんのだ、と思わずにはいられない。
私は大金を積まれても被治験者にはなりたくないので、十分な説明を受けないまま(しかも無料で)治験薬を投薬されるなんて、考えられない。
理由3:日本の主要メディアの報道に疑問を感じる。
「理由2」でも書いたように「とにかくワクチンを打て」というスローガンめいた報道に違和感を感じる。
繰り返しになるが、治験段階である以上、その効果の程は未知に近い。また、薬剤による身体への影響は投薬直後に発生するものばかりではない。数年後に症状として表面化することも多い。
なぜ、今、この段階で執拗にワクチン接種を迫るのか、疑問だ。
一方で、ワクチン接種後のアナフィラキシーや何らかの影響があったのではないかと思われる死者数や重傷者の情報が極端に控えめに報道されているか、または報道されない。
「因果関係は不明」。そりゃ、そうだろう。今、治験中だもの。人体実験中なんだもの。何が起こるかを見極めている最中だものね。
毎朝、テレビに出演してはワクチン接種を呼びかけるどこぞの名誉教授など、何を根拠にあれほど推奨できるのだろう。同じウイルス学の分野で研究をする研究者や教授の中にも、有害性を示唆する方が多くいる。同じ分野でも自分とは異なる意見の研究者は完全無視することにきめているのかしら。
加えて、ワクチンに対する懸念情報が海外からインターネットを通じて届き始めると、テレビでは理解に苦しむ報道が増えた。
「イギリスではワクチン接種が進み、大勢の人々がマスクを取って街の通りを歩いています!」
そう言ってテレビが流した映像は、イギリス本国で「いつまでもロックダウン、やってられるか!禁酒法か?!」と反旗を翻した市民たちの映像だった。
ある朝、あるテレビ番組に登場したある緊急医が、こう言った。
「ワクチンの作用機序はわかりませんが、絶大な効果があります!」
・・・一瞬、札束が彼に振り落ちる映像が見えた気がした。
経験のない事態が起こる中、こうした報道を基準に判断をする国民もきっと多いだろう。報道倫理を軽く考えないでもらいたい。
また、ワクチン非接種者は「思いやりに欠ける」というような稚拙極まりない発想を暗喩する放送についても、見直してもらいたい。
また、選択を迫られる今、なぜか政府の意向とは逆の意見がSNSや動画配信サイト、Amazonの書籍コーナーから消える現象も続いている。なんで?情報が今、一番必要なのではあるまいか?
理由4:いま一つ、日本政府を信用できない。
これまでにも、国民を舐めてんのかよ?と思わせる嘘が多すぎた。薬害エイズ問題など歴史に残すべき悪行だし、その他の公害、外交、お金や教育が絡む事項だけを見ても、今の日本政府の動向を支持するという事は、まるで「週1で浮気してはバレて詫びる男を無条件に信じ抜く」ぐらいに愚かなことに思える。
治験薬は安全だと宣伝する河野大臣のツイッターには、ワクチンに疑問を持つ方からの質問が多く投稿されているが、そうした質問をする方やワクチンに疑問を持つ方のアカウントが次々にブロックされている。
治験薬に不安を感じるのは極めて普通の感覚だと思うけれど、説明もせず、返答もせず、ただ、アカウントをブロックし続けるのは、なんで?
ワクチン宣伝はするけど、疑問については答えませんって、変だなぁ。
飲食店に他する締め付けには当初より「???」だらけであった。そして、ここ最近の要請や策は、もはや感染症対策の部類には入らない。軌道を逸脱しているとしか思えない。
体力が弱い飲食店などは、何らかの理由でさっさと潰したいのだろう、アルコール飲料も何らかの理由で飲んでもらっては具合が悪いのだろう、という憶測は脳みそが正常に動いている人ならば、当然浮かぶのではなかろうか?
去年のいつ頃だったか、「感染を防ぐにはお金のやり取りをは減らす。電子マネーの活用を!」と政府が言い始めたころに「!!」と感じたが、ますます、疑念は募るばかりの日々を過ごしている。
理由5:陰謀説・デマを唱えていると揶揄される医師や専門家
人気ユーチューバーと共演し、接種を訴えた河野大臣は、このワクチンが有害である可能性が高く、接種をしないよう呼びかける医師や専門家の意見を「デマ」と言い切ったどころか「デマを流す医者」と呼び、著しく名誉を傷つけた。
少し考えてみる。
仮に「反ワクチン派」とされる医師や専門家のいう事が「デマ」だとしたら、彼らは何のために、顔と名前を公衆に晒して、デマを流し続けているのだろう。
彼らは学者や開業医である。アホなデマを流していては、彼らがこれまで築き上げてきた信頼や社会的立場を失う可能性は極めて高い。そのようなリスクを抱えてまで「このワクチンは危険が伴う」と訴えるだろうか。悪ふざけにしてはリスクが高すぎる。
なのに、だ。
なぜ彼らは「デマ」と称される内容を、厚労省のデータに基づいて、わざわざ会見で発表したりするのだろう。ある程度の確信が持てない限り、このような発表をすることは彼らにとって「命取り」になるのに、なぜ、敢えて、今、それをするのだろう。
そして、こうしたことが、殆どのテレビやニュースで報道されないのは、なぜだろう?
ファイザー副社長であったマイケル・イートン博士が、ワクチンの有害性を強く訴えるのはなぜだろう。なぜ、ワクチン供給をする製薬会社の上級職であったこの学者兼副社長は、今、世界に向かって「デマ」と称される内容を、自分の名誉をかけてまで発する必要があるのだろう?
ノーベル賞を受賞したPCR検査の開発者であるキャリー・マリス博士も、コロナウィルス感染症にPCRが適切ではないと発表している。この辺りについて詳しく説明をいただきたいところだが、この発表後、しばらくして彼は突然死している。残念だけれど、もう彼の意見を聞くことはできない。
仮に「彼らは無知・無能な学者や医者だ」というのが日本政府の見解であるならば、そのような無知で無能な人に学位や医師免許を与えているこの国の制度は破綻していないか。政治家には野次を飛ばすより、はたまたユーチューバーと対談するよりも、早急に破綻した制度の改定を検討してもらいたい。
【今、思うこと】
いったい、何なんだよ、こりゃ?
今、世界で起こっている事態は、ただ、治験ワクチンの是非や接種の有無を問うだけの問題ではない。
今の日本の権威主義と同調圧力、支離滅裂な報道や記事に少しも疑問を持たない洗脳じみた風潮を恐ろしく感じる。
個人が自由に意見を述べる事ができる社会こそが成熟した社会ではなのかい?分断されて罵り合うだけでは、誰かの思うツボではないのかい?
「何が正しくて何が間違っているのかは歴史が証明してくれる」という言葉があるが、歴史さえも、勝者のモノかもしれないのが現実だ。
何を信じるかは個々に委ねられている。そして、その結果も個々で受け止めるしかない。
生まれてきた以上、自分の命だけには責任を持ちたい、と思う。
大切な決断を、周囲の雰囲気だけで容易に判断をしないで欲しい。情報を集め、自分は何を信じるのか、どうしたいのかを見極めてもらいたい。
民主主義のお面を着けた共産主義者オバケに飲み込まれたくないよ。