昭和・平成・令和、時代ごとの運動会

○○の秋で何を思い出すかで、好きなものが分かるといいます。
本好きな私はやっぱり「読書の秋」。子ども達に聞いてみると、お菓子作りが好きな子は「食欲の秋」、運動が好きな子は「スポーツの秋」でした。
スポーツと言えば運動会。先日、末娘の学校の運動会に参加して、これまでの運動会のことを思い出しました。
本日は昭和・平成・令和の運動会の違いと感じたことを書き記します。

昭和の運動会

私は沖縄本土復帰後の、沖縄国際海洋博覧会が開催された年に生まれました。
(年齢がバレますね)
昭和の時代の運動会は…万国旗がたなびくグラウンドで、親子参加型の競技も多かったと記憶しています。同級生には運動会を楽しみにしている子も多かったですが、個人的には…水泳以外のスポーツが全くできないのと、運動会は軍隊っぽく感じてちょっと苦手なイベントでした。
行進の足のあげ方や隊列が揃わないと先生にすごく怒られましたし、体が小さかったので、組体操のピラミッドの一番上に乗って…運動会は楽しい思い出より痛い思い出の方が多めです。

運動会の開催時期
昭和の沖縄の運動会、開催時期は「秋」でした。
当時の東京オリンピックの影響で10月10日が「体育の日」に制定され、それで秋に運動会を開催するようになったと聞きました。
10月はまだ半袖で過ごしているほど暑い沖縄では、秋ではなく冬に開催してもいいのでは?と個人的に思っていました。

国旗掲揚
そして、開会式の際に学校の旗と日本の国旗を掲揚し、閉会式にはその旗を下げる時間が組み込まれていました。
沖縄戦を体験した祖父母世代の感覚では、日本の国旗に良いイメージはなかったようですが、私達の学校の運動会では、国旗と国歌斉唱の時間もそれほど荒れることもなく穏やかにやり過ごしていたと記憶しています。

運動会と言えばお弁当
沖縄の昭和の運動会は、各自治会ごとに日除けのテントが設置されていました。
グラウンドの土が乾燥して、土ぼこりが舞い上がらないよう先生方が水を巻く中、テントの下にレジャーシートを敷いて、地域の方と談笑しながら重箱いっぱいのおにぎりやお弁当をいただいて楽しかったのを覚えています。

運動会

平成の運動会

我が子の運動会で参加する機会が多かったのは平成時代。
沖縄の学校の運動会と、関東に引越してからは本土の学校の両方の運動会を経験しました。

運動会の開催時期
「秋の運動会」のイメージを持っていましたが、本土での平成の運動会は「春の運動会」でした。気候的には涼しいうちに、そして新しいクラスのお友達とスムーズに団結できるように、春に運動会を開催するようになったとお聞きしました。

運動会の種目
平成の運動会の競技種目は昭和時代とだいぶ代わり、親が参加する種目はほとんどなくなっていました。
事故も多く危険な組体操が見直されてきた時期で、高学年に必ず行われた組体操の代わりにダンスを取り入れている学校もありました。
子ども達が運動会で踊るダンスの種類も代わり、地域の伝統的な踊り(沖縄ならエイサーなど)だけではなく、その時に流行っている曲のダンスを踊っていて、時代の流れを感じました。

万国旗
運動会と言えば頭上にズラーっと飾られる万国旗のイメージがあります。
昭和の運動会に万国旗は欠かせないものだったと思いますが、平成になると万国旗がない学校もチラホラ。
地方の伝統か校長先生の方針?で続けている学校もありましたが、平成の運動会では万国旗はあまり見かけなくなったと記しておきます。

平成の運動会のお弁当
小学校の運動会は一緒にグラウンドで食べましたが、中学校は生徒だけクラスごとに教室で食べると、事前にお知らせがありました。
そのため運動会のお弁当は大きな重箱ではなく、子ども達それぞれ個別の小さなお弁当箱に詰めて持って行きました。
いろいろな事情を抱えたお子さんが増えているので…保護者が仕事などで来られない場合、孤食する子がいないようにという配慮だったそうです。
昭和の運動会では両親が揃って来れない人も、地域の方と一緒にお弁当を食べておかずや果物をいただいたり交流して過ごしましたが…
お弁当の対応にも、昭和と平成の時代の変化を感じました。

個別のお弁当

令和の運動会

昭和→平成の運動会について思い出しながら書きました。次は現在の元号である「令和」の運動会について。私の一番上の子と末っ子は18歳年が離れていて、最近末っ子の学校で運動会が開催されたばかりですが…
令和の運動会は、ないないづくしだったことについて記します。

万国旗のない運動会
昭和生まれの私は、運動会のシンボルだと思っていた万国旗
令和の運動会では1枚たりとも国旗は見られず、学校の校旗を掲揚しただけ。
ちょっと気になり家に戻ってから文部科学省のwebサイトを調べてみると…
学習指導要領が新しくなり、小学校にも英語教育が取り入れられた今は、外国の文化に触れるのは万国旗じゃなくても良いとなった模様。
なるほど〜学校は学習指導要領に基づいて指導案を立てますが、大変だと感じるところは削っていったのでしょうね。
だって、先生方が運動場のネットや柱など高いところに登って万国旗を張るのはかなりの大仕事だと思うので🏳️‍🌈

行進のない運動会
令和の運動会。ブラスバンドの演奏に合わせた行進ではなく、最近の流行りの音楽に合わせて軽やかに駆け足で入場していました。
リズムにのって足元もバラバラで…昭和世代にやったら怒られそうな入場。
入場待機中もマサイ族みたいにジャンプしたり、手踊りしながら入場したり、工夫が見られておもしろいと思いましたよ。

お弁当のない運動会
昭和は集団で、平成は個別でお弁当を食べていた運動会。
令和の運動会は、なんとお弁当なし
新型コロナ出現後、集団での飲食タブーや、教師や子ども達の行事負担の軽減もあって、運動会は午前中で終了でした。なので、お昼は帰り道にある飲食店へ。
娘が家でも練習をがんばっていたダンスやかけっこのことなど、楽しく運動会の思い出を話しながらランチをいただきました。

娘が選んだランチは、オムライス&唐揚げ

最後に

昭和→平成→令和の運動会について書き記しました。
地域や学校によって運動会の内容や開催方法は違うと思いますが、いつの時代でも子ども達が一生懸命に取り組んでいる姿を見ると感動しちゃいます。
車イスの子も運動会に参加できたり、運動が苦手な子も楽しめるよう競技に工夫が見られたり…感動の涙で手持ちのハンドタオルがビショビショになったので、来年の運動会にはバスタオルを持って行こうと思います。


本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました🍀

皆さまの運動会の思い出も、コメントなどでお知らせいただけると嬉しいです。

*感謝* お読みいただいた上に、サポートまでありがとうございます😊 子ども達が笑顔になることに使います💕