わたしは父の最高傑作ですからね。と思った話。
父の寿命が近づいてきている。
今、わたしの家族は、命を寿として終える準備をしている特別な時間の中にいる。
延命はしない。
我が家は昔からこのスタンスなので、本人にとって良き時に空に帰っていくのだとそれぞれがそれぞれの心の準備をしている。
そんな特別な時間を過ごしている。
人は具合が悪くなってから、
2週間ほどで旅立つのが美しい亡くなり方なのだと錬金術を学んでいたときに知った。
今、家族はまさに、その美しい亡くなり方の最中にいるのではないか、と私は思っている。
死は悪しきものではなく、寿である。
寿命という言葉にそう書かれている。
父のこの世での役割がもうすぐ終わるのだなぁと。
今日の病室で父にヒーリングとお手入れを行っているとそばにいた母が呼吸が楽になった感じするね。身体が柔らかくなってきたね。顔色が良くなってきたね。目がシャキとしてきたね。とその変化を感じていた。
わたしは自然療法を生業としているので、何度も父の体に触れながら生きてきた。
今日、お見舞いに行く前は、こうやって触れられるのもあと少しだと悲しくなるのかと思っていたけれど、実際はそうではなく、ただただ美しい時間で、感謝と愛しかなかった。
むしろ、触れながら笑顔さえ溢れた。
ポロポロと涙が溢れはしたのだけれど、悲しいというより、父の人生が美しいものであったのだとわかり、「天晴だな」と思った。
美味しいものを食べ、好きなことに没頭し、人を愛して、愛され、よく働く人だった。
大人になってからは、一緒にいる時間は少なかったけれど、その時間をゆうに埋めるだけの愛情を家を出るまでに受けとったという実感があるので、足りなかったものなどないし、逆に、何をしてあげられたか、はわからないけれど、わたしと父の関係はこれで良かったのではないかと。
なんの後悔も残っていない体。
素晴らしいとおもった。
父は自分の役割、使命を果たされたんだな、と。
父の使命と功績の1つは、
わたしという最高傑作をこの世に母と生みだしたことだと思う。(ワタシ的に)
娘はすくすく育ち、多くの人に大切にされながら仕事をし、多少は人の役にも立ち、楽しく生きている。平和な心をもち、父譲りの優しさも持っているでしょう。
ふりかえると、父はヒーローだったのかも、しれない。
基本的に優しくご機嫌で、サッパリとしていて良い人だったし!
わたしは父の娘で大満足だし、たぶん父もそうなはず。
お互い幸せな時間を一緒に過ごした。
それ以上のことがあるだろうか。
別れのときが近づいているのは、さみしいけれど、父の体に触れ、エネルギーを交流させ、大変満たされるという時間を過ごし、こんなときではあるのだけど幸せだ。
ゆっくり、ゆっくりみんなが心の準備をしていく時間。
愛の時間を家族として過ごしたんだなぁと噛みしめる時間。
静かに、なにかキラキラとした細かい光の粒子が飛んでいる。そんな感覚がしている。