自分を整えるということ

人と自分の関係を、どう定めたらいいのかわからない。
関係というより、距離感の問題だろうか。

人に、
何かグサリとくるようなことを言われたりされたりした場合、
それを自分の中にどう位置づければいいのか、
わからないままきた。
もちろんすべてはケースバイケースで、
完全に相手の非である場合もあると思う。
ハラスメントや暴力なんかは、論外。

ただ。

ある程度の関係を築いてきたはずの場合、
100%相手だけの非、ということには、
やっぱりなりづらいんじゃないかと思う。
友達や恋人や知り合いや、対等な関係であればあるほど、
人間関係は相互的なものだと思うから。

何事かがあった時に、相手の思考や言動を死ぬほど考えたあと、
ようやく、自分の思考や言動を振り返り始める。
そうするとたいてい、
ああこのひとこと、とか、
あああの行動、とか、
思い当たる節が出てくる。
もちろんそれが、相手にどう映ったかは定かではないし確認のしようもない。
ついでに言えば、それがあったからといって、
相手からの傷つく言動を是とできるわけでもない。
仕方ない、と思う必要なんてない。

ただ、それが自分で浮かぶということは、
その自分の言動自体が、自分にとってなにか、おかしなものだったということなんじゃないだろうか。
その引っかかった自分の言動は、
らしさ、とか、良識、とか、軸、とか、芯、とか、
言い方は色々ある自分の何かにとって、
違うものだったんじゃないだろうかと思うのだ。

そしてそう感じるなら、それを修正していかなければならない。
修正することで、自分に対する違和感がなくなっていくはずだから。

とても難しいことだけれど、
すべては、自分で選べるはずなんだ。
物事の捉え方も、反応も、考え方も。
ある環境下において、それは仕方がなかったと、言うこともできる。
人に対しては、そう言える優しさが欲しい。
だけど、自分が感じる自分の違和感が出てきたところに対しては、
真摯に、向き合わなくてはいけないと思う。
それが自分を整えていくということなんだと思う。
変わっていく、生きていくということなんだと思う。

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