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【子どもの頃の私へ】がんばってたこと本当にすごいし、偉かったよ。
幼い頃、私には毎日こなさなければいけない
勉強のタスクがあった。
詳細までは覚えていないけど、
百マス計算や日本地図のパズルなど、
単純で一定時間内に終わるものがいくつか
タスクにされていて、そのセットを
ひたすら毎日やるというものだった。
母からやるよう言われていたそれは、
当時通っていた塾講師から家庭学習として
指示を受けたというものだった。
_____
風邪をよく引き、学校を休みがちだった
私が勉強から遅れを取らないように。
将来を選ぶときに、勉強を理由に選択肢が
狭くなってしまわないように。
私が幼い頃から、母がたくさん考えレールに
乗せてくれていた気持ちは痛いほどわかる。
そういう未来のことを心配して、
今から出来ることを考え、人一倍調べ、
全力で私の力になってくれる母なのだ。
その考えや姿勢には感謝しているし、
そのおかげで私は程々に困らないくらいの
学力を持つことが出来た。
勉強を理由に何かを諦めたことや、
学力が理由で困ったことは無かったと思う。
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人よりお金をかけてもらった自覚もあるし、
人より手のかかる方だったと思うし、
人よりも容量が悪かった方だと思う。
そう、そこまでしてもらっていたのにも関わらず
わたしは本当に容量が悪く、その挙句に
向上心というものもあまりなかったのだ。
与えられる勉強を楽しむことや、
意欲を持ってやることが出来ず、
毎日毎日しんどいという感情でこなしていた。
今日もやらなきゃいけない、
明日もやらなきゃいけない、
明後日も明々後日もその先も毎日ずっと。
本当にたまに、たまーに友達と遊ぶ日でも
帰ってきたらそれをやらなければいけなかった。
帰りたくなかった。
このまま時間が止まればいいのに、
なにかの間違いで今日は免除になればいいのに、
そう子どもながらに願っていた。
本当に向いていなかったのだと思う。
きっとこの勉強法が合う子どももいるし、
何も思わず毎日こなせる子どももいると思う。
本当にただただ私が出来ない子だったのだ。
漠然と死ぬと言う言葉だけを知っている
子どもながらに、とても安易に、本当に軽く
「死んだらこの勉強しなくていいのかな
これをやらなくても怒られないで済むのかな」と
考えいたことを、大人になった今でも覚えている。
そんなことで死を考えるなんて不謹慎だけど、
当時の私にはそれくらい、毎日与えられるそれが
大きく、重く、頭の中を占めていたのだ。
器用にこなせない自分には、
今も昔も、本当に困ってしまう。
__
今回こうして幼い頃のことを
思い出しながら書いたのには理由がある。
この件で母とぶつかってしまったからだ。
大人になってから
「家で与えられる勉強がきつかった。
毎日毎日、私にはしんどすぎて辛かった。」と
不満を溢すようになった私。
その不満を言われるたびに我慢をしていたが、
子育てへの肯定感が徐々に下がっていった母。
それが今回感情となって現れたのだった。
もちろん大人になってから
後出しジャンケンのように不満を溢す私も
ずるいし、ひどいことを言っているのだと思う。
でもむずかしい。
____
幼い頃の私は、親から与えられるそれを
放棄することも、蹴ることもできなかった。
子どもというものはそういうものだ。
やらなかったら怒られる。
脅し文句として使われていたのだけど、
「じゃあ施設行く?」という母の言葉を、
そのまま捉えていた私は、何かがダメなら
捨てられるかも、と頭の片隅で怯えていたのだ。
言うことを聞くしかなかったら子どもの頃。
そして毎日こなすにはしんどいと感じること。
でもやらなければ怒られる。
最悪の場合は捨てられるかもしれない。
そんな気持ちやしんどさを子どもの頃に
伝えることができず、嫌という感情だけを抱え、
なんとか形だけ、それなりにこなしてきた私は、
そのまま大人になってしまったのだ。
成仏できないまま、
子どもの頃の負の感情を残したまま、
そんな昔のことも鮮明に記憶に残したまま、
大人になってしまったのだ。
だからこの歳になってまで、
当時の不満を親に溢してしまうのだと思う。
子どもの頃にもっと強く
できない、しんどい、やりたくないと
伝えられていたら、今はもっと違ったのかな。
自分でしっかり伝えられていれば、
親はやらなくていいと言ってくれたのかな。
そんなこと今考えてもわからない。
___
どうして今になって不満を溢してしまうのか、
自分なりにたくさん考えた。
自分の感情をしっかり話せるようになった今、
あの頃の気持ちを吐き出してあげないと、とか。
言えなかったしんどさを伝えないと、とか。
きっとそう言うことじゃない。
たぶん私は、子どもの頃の私を
がんばったと認めてあげたいのだと思う。
偉かったねと褒めてほしいのだと思う。
不満を伝えたくて言っているわけではない。
母の子育てを否定したいわけでもない。
しんどくてやめたかった日々の勉強だったけど、
それでも頑張っていた。
私の感覚では厳しいと感じるものだったけど、
でも褒めてもらうために頑張っていたのだ。
勉強は褒められるために
するものではないこともわかってる。
毎日のタスクのような勉強が
褒められる対象じゃないこともわかっている。
でもきっとずっと、それが引っかかっていて、
大人になった今でも鮮明に残ってしまったのだ。
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初めから素直に伝えられていればよかった。
「子どもの時のこと、褒めてほしい。
しんどかったけど褒めて欲しく頑張ってた。」と。
そしてしっかり感謝も伝えられていればよかった。
「たくさん考えて、たくさん調べて、
未来の選択肢を広げてくれてありがとう。
たくさん協力してきてくれてありがとう。
これからもなんでも話せる味方で居てね」