盛大なるフィナーレ
花火大会が催された。怒涛のラッシュ、フィナーレの盛大さに沸く。あまりの打ちっぷりに拍手も鳴り止まなかった。
今年もお盆。そして、原爆投下の日を過ぎた。尺玉を打ち上げる平和をいつまでも願う。そして、火薬のにおいが恋しいほど、平和を取り戻した。
戦争のはじまりとおわり
今年、遠く海の向こうで戦争がはじまった。ハッシュタグNoWarを見ない日はくるのだろうか。だれもが終戦を望む。
しかし、戦争を終わらせるのはむずかしい。つい最近それを知ったのだ。80年前の夏、第2次世界大戦(以下、WW2)もそうだったから。
WW2と日本
アメリカはあのとき、戦争を終結すべく尺玉を使い、強引に幕を閉じるように命じた。そうそうに降伏したイタリアとドイツは難を逃れた。
結果、日本のねばり強さは運の尽きだった。このねばり強さ。日本人同士ではなにかと美化されやすい。しかし、国際舞台では槍玉に挙がるのだ。いわば国家レベルの盲点である。
戦争の影を残すモノたち
戦争の傷から癒えた今、立ち上がるとき。女性の参画・デジタル化の遅れと、へん屈な「ねばり強さ」は影を残している。
このような課題を山積しては、世界の視線は20世紀のまま冷たい。あるいは、世界の足並みを揃えるときのお荷物にもなる。
国家プロジェクトは100年史
このような歴史を受けてプロジェクトは始動する。100年を歩む「ゾウの足」と対峙するために。それは100年越しに空から降ってくるからだ。
某国の夜空
戦争、そして原発事故。ウクライナには母国のように思いを馳せるときがある。今夏の花火大会もそうだった。某国の夜空を見上げてる、そんな気がした。
おわり
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