劇場版ポケットモンスター みんなの物語/ココ をみました
映画を見た記録。
・劇場版ポケットモンスター みんなの物語
ポケモン映画の短い尺でオムニバスをやるなんて不可能では?
と思ってましたがそもそもの「ポケモンのいる世界」という土台が当たり前になじんでいるので、全然登場人物にフォーカスして話が回ってました。
それぞれの登場人物に別々の事情がありつつ最後には同じところに向かう、終盤への展開もよかった。
◆びっくりポイント
ブルーの描写がきつかったです。あんなはっきり描きますかね。
これセーフラインなんだ!?と驚きました。
・劇場版ポケットモンスター ココ
どうせターザンだろと思ってなめてみましたが、以下のような配分だった。
ターザン 20% ベース
アバター 60% ストーリー
もののけ姫 10% セリフ
セレビィ 5% 隠し味
ナウシカ 5% 隠し味
みんなの物語はオリジナルっぽかったのでわくわくしましたが
ココは…なんというか既視感が強かったな~と
後半のロボとかまんますぎて笑ってしまいました。とはいえ多方から要素を引っ張ってきてうまいことやれてたんじゃないでしょうか。
◆びっくりポイント
ココのもともとの両親が事故死するシーン。これも結構直接的な描写でしたね。
ザルードの傷跡も、昔のポケモン映画とは違く、痛々しかった。児童向け映画って表現のラインかわったんですかね。鬼滅とか首飛んでるしな。
◆みんなの物語とココと、近年のポケモン映画
いずれも思ってたよりハラハラしました。前述の通り描写のラインが引きあがったから(むしろ下がったのか?)というのもありますが、ポケモン映画は確実に変わっています。何が変わったか。
「サトシがピンチにならない」
これです。毎年お約束の如く死にかけていたサトシでしたが、ここが変わりました。主軸をサトシからずらすことで、劇場版ポケットモンスターのマンネリ感が消えた。そしてストーリーから既視感が減ったのです。喜ばしいことです。
しかし物語として窮地に陥る描写は大きな役割があります。終盤の盛り上がりには必要です。それで毎年サトシがピンチになってたわけですが、サトシをピンチにするといつも通りになってしまう。そして、近年の作品は変わりました。
「サトシ以外がピンチになる」
最強のマサラ人であるサトシがピンチになっても、最強のマサラ人であるし…という安心感があり見てられましたが。サトシじゃないキャラクターがピンチになるので、平静が保てません。(特にみんなの物語は生まれつき病弱な子が逃げ場のない場所で毒ガスに見舞われちゃうし…。)
かなり心配させられてしまいますが、冷静にみるとこれはうまい方向転換だなと思っていて、ここが肝で近年のポケモン映画はより面白くみられたんだなあと思いました。