低気圧と頭痛の間
大学に行き際、不思議な家を見た。
左右のレンガ模様。シートであることは一目でわかるんだけど、なんで左右で全然綻び方が違うんだろう。
風向きの劣化か、破損した補修結果か、もしくは…どちらかが全く違う加工だったとか、隣は実は建物で、人に見せる向きじゃなかったとか、いろんな想像が膨らむ。
建築が面白いな〜って思うのはこんな時。やっぱり私はいつでも建築のことを考えてる。
うまく頭を切り替えながら考えたら、もっと上手くいくんだろうな。
ところで低気圧で最近かなりやられ気味。天気が悪くなったことは頭痛が教えてくれる。しんどいけれどそんな頭でいろんなことを考えると、いつもと違う考えになってちょっと面白い。
例えば。
私ってあと10年生きられるのかな、とか。
ふっと昔のしんどかったころの感覚になって、でも、「違うな、生きられるのかな、じゃなくて生きたくない、なんだろうな。私は、生きすぎたひとや頑張りすぎたひとが最後に死んでしまうという映画やドラマの主人公の妄想をまだしてるんだ」なんて自答したりして。
例えばとても真面目な人が一生懸命やりすぎて頑張れなくなったとして、小説ならよければなんかきっかけで立ち直る、悪ければ自殺か急病かフェードアウトで話が終わる。立ち直るにしてもその後のことはわからないし、生き急いだ短い時間に、多くの人生の代償と長い戦いの時間が残されているだなんて、教えてはくれない。自殺や急病の悲劇の主人公か、変化のきっかけ作りとして無様に死ぬか、なんとなく解決したふうにフェードアウトしてしまって、一部のごく限られた苦しみの断片だけしか描かれない。その人にとっては自分の見ているものが全てで、自分が死ぬというのは現実的に見れば自分の世界がなくなる壮絶な苦しみなのに、そんな認識をして私たちは小説を読まない。
ようは、私は苦しいことは綺麗に終わらせたいと思っていて、それは小説の影響だと思う。綺麗なものばかり集めてしまったくせに、どうしようもなく不器用で汚いから、自分のことが嫌いになる。だからますますやめたくなる。それでもやめれないから、人生って小説ではなくナマモノだなってやっぱり思う。
面白いな。苦しいけど。