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たりないあなたとたりないわたし



5月31日、「たりないふたり」という大好きなコンビが解散した。

あまり言葉にするのも無粋な気もするし、こういったところに書くのも違うんじゃないかと思うのですが…
私は忘れやすいタイプなので、もらった感情を忘れないために文字にしようと思います。


※内容にはそんなに触れてませんが、間接的にネタバレが含まれる可能性がありますので、視聴がまだの方はお気をつけください。


本当は配信をみるのが、最後を見届けるのが、少し不安だった。
2019年の「さよならたりないふたり」があまりに衝撃で、感情かき乱されすぎて、あれ以上の漫才を私はもうきっと見れないと思ってたから。
あの時感じた、頭の先から足の先までしびれる感覚なんてもう味わえないんじゃないかと思ってた。

だからかもしれないですが、春夏秋はなんとなくしか見ていなかった。しっかりHuluには加入したくせに。
大好きな二人の大好きな番組なのに、いつものようにのめりこめなくて熱中できなくて「これどうやって終わらせるんだろうなぁ」とぼんやり思いながら見ていた。

だけど秋が終わり、いつもと少し空気が違うと感じ、場外乱闘が繰り広げられたあたりでどんどんわくわくしてきていた。
結果的に、ライブを見ながらびっくりするくらい泣いた。それはもう声を上げて。ちょっと自分で引いたぐらい。

こんなに漫才で泣いたのは14年前に大好きだったコンビが解散するとき以来だった。
あの時は失う喪失感しかなかったけど、今回は全然違った。当たり前だけど。
今回は喪失感なんて感じさせてくれなかった、それどころじゃなかった。
二人の生きざまを見せられて、きっとこれから一生忘れられない漫才を見せられて、未来に希望まで見せてくれた。あんなのかっこいいに決まってるやん。

若ちゃんの演じる(?)おじさんの「秋も好きだよ」って優しい言葉に完全にやられてしまった。
それ以降は涙腺がばかになった。
どんな武器で戦う二人も結局好きだしどの時代の二人も好きだな、なんて
そんなメンヘラ全開の感情で埋め尽くされた。

相手がどんな武器で戦っていても決してバカにすることなく受け止めて、応援して、面白がって、慰めてくれる
そんな優しい二人に何回背中を押されて、何回救われたんだろうか。
そして、私はこの漫才にこれからの人生で何度勇気をもらうんだろう。
そんな人が一体日本に何人いるんだろう。
本人たちがそんなつもりかは別として。
自分の中でそんなに大きなものになるなんて正直思ってなかった。

最後のほうはずっと嗚咽が止まらなかった。
ドキュメンタリー映画のラストシーンを見ているのかと錯覚した。
12年続いたたりないふたりというドキュメントが今日で一区切りついてしまうのか、とやっぱり少し寂しかった。

全部全部今日のための伏線だったのかと思うほどに今までの全部が詰め込まれた100分ほどの漫才だった。

最高にトゥースな武道館も、二人の結婚も、ラジオで泣きながら報告をしていたあの日も、「悔しい」と語っていたあの日も、仲直りがしたいと言った直後にカレーライスが乱入してきたあの日も
二人が吐き出す感情に勝手にこちらが感情移入して泣いた日も
なんなら今日個人的にあった嫌なことすらも、全部この漫才のためだったのではないかと思った。
どこからどこまでがこの二人のショーなのか途中から何も分からなくなってしまった。
もはや無観客さえも演出に思えた。

竹槍を捨てられなかった山ちゃんとモデルガンに武器を変えた若ちゃん。
取り繕うことなんてきっといくらでもできるのに、全力で私たちに感情を見せてくれるこの二人のことを一体だれが笑えるだろうか。いやまぁそりゃ漫才だから見ながら笑ってんだけども。

外からみたらもう十分「たりてる」二人なのに、こんなもんじゃねえってずっと第一線で戦い続ける姿はあまりにも狂気で傷だらけでとてつもなくかっこよかった。
同時に二人のお互いへの愛が重くてその関係性に嫉妬した。

変わらないこと、変われないこと、変わりたくないこと、変わってしまうこと
たくさんあってどれもきっと譲れないもので、大切なもので、たぶん他の人から見たらくだらないものなんだなって思った。

「コントが始まる」というドラマの中で売れない芸人役の主人公が言ってた「変わらないのって難しいよ」みたいなセリフを思い出した。
変わることが難しければ、変わらないことも難しくてしんどいことなんだなんて、私は知らなかった。

配信を見た後は随分と感傷的になってしまった。
久しぶりに芸人交換日記のDVDを見て
久しぶりに結婚の記者会見を見て
久しぶりに武道館のDVDを見て
久しぶりにオードリーとオールナイトニッポンでの二人の対談を読んだ。  

ああ、変わらない。ずっと変わらない。ずっと最高だ。

私がこの二人を好きなのは「共感できるようなたりなさをもっているから」じゃなくて
「自分自身の生き方をまっすぐに見せてくれるから」だった。

そんなオトナがいるのが、私にとって最高に輝く未来であり、最高にうれしくて最高に悔しいです。こんなかっこいい将来があるのなら、頑張らないとだめだな。諦めさせてくれないんだな。

もちろん画面を通して、ラジオを通してしかこの二人の姿をしらない。
何を知ってんだ、なんていわれるかもしれないけど、でも今見てる部分、 その姿にこんなにも心臓を撃ち抜かれているから、もうそれでそれで充分なんです。

あー、たりなくてよかった。
2014年、人生で1番辛い時にオードリーのANNに出会って、たりないふたりを知ってよかった。
たりないふたりを好きになって、それがきっかけでまた別のたりないふたりを好きになって
私の人生はどんどん悔しくて辛くて大変で、とても楽しいものになっています。

ライブのタイトルがずっと府に落ちなかったけど、最後の松永さんへ言葉で全部回収されてしまった。
あんなかっこいい5文字聞いたことない。ずるいなぁ。

私の「たりない」も、いつかなにかになるんだろうか。
何かに消化、昇華できるのだろうか。そこに私は向き合えるんだろうか。

最高の時間をありがとうございました。
あの漫才をお守りみたいにして、私はもう少しだけちゃんと生きていけます。
またラジオを楽しみにして1週間を頑張れそうです。

6時間ぐらいかけて書いてるんですけど、どうやっても稚拙な感想になってしまって恥ずかしいです。どんな言葉でも相応しくないような気がする。終わり方も見えなくなった。

まだまだ私には、言葉がたりない。



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