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かつて好きで通い詰めていた、地元アイドルの現場に久しぶりに戻ってきて感じたこと。~第1篇~

2011年、自身が20歳になるちょっと前に不意なきっかけで、地元アイドルグループと生涯で一番の推しメンに出会いました。
その後は幾たびも足しげくライブや接触現場、撮影会、イベントのステージへ通い続けて、2017年11月に推しメンがグループを卒業する最後の瞬間まで応援し続け、その後もソロでタレント業を続けているのを陰ながら応援していました。

昨年春、推しメンは一般の方と結婚されて、つい先日には懐妊の発表もありました。ここ数年は「もういいかな」という気持ちをずっと引きずっていたのを重々分かっていたので、「これが良い機会なのかな」と思い立ち、実は昨年ひっそりと周囲には打ち明けずに、いわゆる『担降り』という形を取っていました。

かつて推しメンが在籍していたグループといえば、推しメンが人気順でNo.1だったこともあり、その後は緩やかに低迷していっていたのを記憶しています。その後にはコロナ禍に見舞われて、ジャンル問わずエンタメ業界自体が苦難の時代に突入していました。自身も推しメンの卒業を契機に、通い詰めていた現場から離れようと考えていたのもありましたが、次第に足が遠ざかって、ある時からはほとんど見向きもしないで、気づけば6年以上が過ぎていました。

その地元アイドルグループは『OS☆U(おーえすゆー)』という名前です。

2024年1月、年始休みは毎年することもないからと、例年通りで大須に繰り出して、そのタイミングで観たライブをきっかけにして、その後に約1か月半のリハビリのような期間を経て、かつて通い詰めていた地元アイドルグループの現場に戻ることにしました。そんな30代の備忘録代わりの記録です。

きっかけは「年始の恒例事」

2024年1月、年始のタイミングで大須商店街での路上ライブがあることをキャッチしていたので、「時間もあることだし行ってみよう」という軽い気持ちで大須に向かいました。

実は2023年1月にも、同じように年始のタイミングで行けるチャンスがあり、大須商店街での路上ライブには行っていたのですが、その時はもう一つ気持ちがなびく様なことも無く、結局はその1回のみで再び行かなくなりました。嫌なことがあったとか、ダメだなぁと思うことがあったのではなく、その時点ではコロナ禍の出口が見えてきた頃とはいえ、長く続いたその生活に引きずられて、映像や音源で満足してしまうことが故に、アイドルに「会いに行く」意欲自体が減退していたのは目に見えて分かっていました。

かつては何度も何度も足を運んだこともあって、大須商店街の中の目的の場所へ向かうことなど、ほぼ無意識にでも歩いていける程度でした。それも、コロナ禍を経て一部は様変わりしてしまった街並みの影響で、確認作業を要すことも出てきてしまってました。

『OS☆U』というグループ自体も、自身が通っていた頃からはすっかり変わってました。2024年現在では、本体である『OS☆U』と、本体への昇格の可能性もある”研究生ユニット”という位置づけの『OS☆K(おーえすけー)』、更に2023年4月に派生として『O₂(おーつー)』というグループも結成していました。
OS☆Uが所属する事務所自体も組織が一変していて、この他には東京拠点のグループも複数所属するようになりました。
この点については、他人伝えやSNSを通じて以前から聴いていた話ではありましたが、新しく出来ていたグループがどんなグループでどんなメンバーなのか、どういう楽曲を歌っているのかは、2023年1月に行った時点でもきちんと把握できないままで終わり、2024年の年始の時点でも概要も全く知らないままでした。

「バランスの良さが目立つグループ」という視点

この日の路上ライブはの出演順は、OS☆K→O₂→OS☆Uという順番。
ただし、O₂はメンバー4人中2名が体調不良での欠席で、2名でライブを成立させるという難しい局面を迫られていた。時節柄、他の2グループでも体調を崩すメンバーが多い中ではあったが、こういうところは8人以上とかのそれなりに所属人数がいるグループだとなんとかカバー出来てしまうのが一つのメリットでもある。6人以下などの少数だと歌割りや振りの変更がシビアにはなりどうしてもデメリットになるが、その分に色々と小回りは効くし動きやすいのがメリットでもあって、一長一短だ。

「おーつーさん、ただでさえ人数が少ないグループで病欠はかなり辛いな…しっかり観るの初めてだけど、今日は出演キャンセルもあり得るかな……」
ライブ前はそんなことも考えてしまっていたのですが、いざ時間になると2名で現れてビックリ。「攻めたことするなぁ」と感心した瞬間に、後から考えればおそらくもう心を掴まれていたのでしょう。
不安は大きかったのだろうと感じたけども、ライブ中の生き生きとした姿を見て、その攻めの姿勢と自信には目を見張るところを感じた。

おーつーさんのライブの前後を通して際立ったのが、『バランスの良さ』。
その後に4人のライブを観た時にも思ったが、4人のスタイル、雰囲気、性格、スキル等が丁度良くマッチしていて、そういう意味で自分としては「バランスが良い」というワードを当てた。
アイドルグループには敢えてそれらのバランスを偏らせて、『ガーリー』『清楚』でまとめたり『尖った』『はみ出し』と斜に構えた形だったり、偏ったバランスの一辺倒で売り込むグループも存在するが、一部では振り切りが悪くて中途半端に見えるグループもある。
そういった意味では、個人的には『とても好み』であったおーつーさん、後に本格的に観ていくことになるが、それは別の章で。

「最後の一人」という視点

その後のOS☆Uのライブに話は戻る。
約1年ぶりに観るとはいえ、やはり楽曲はあの頃よりも新しいものがいくつも増えている。当時は気に入らない作曲家・作詞家の曲もあり、全ての曲を他人に勧められるものではなかったと個人的には記憶している。もっと過去に遡れば、そもそもの音源やレコーディング環境も悪かったせいの質の悪い楽曲も存在していた。そんな頃を思えば、今は十分に質の良いものを制作できる体制が整っているように見えて、「あの頃にこんな曲があれば…」と思うのも一入だった。
その一方で、『ガンガン☆ダンス』や『もうすぐkissだよ☆』の、自分が通っていた頃のキラーチューンが、初披露から10年近く経った今でも現役でライブを盛り上げる曲として存在していることに色褪せなさも感じた。もう何年も振りコピしてなくても、曲が流れると自然に身体を動かせるというのは本当に不思議なものだ。

年始に観に行ったタイミングでは、すでに2名の卒業が発表されていた。
一人は佐々木菜摘さん、2017年8月の8期生デビューのタイミングをリアルタイムで観ていたが、時を同じくして推しメンのグループ卒業発表に立ち会うこととなった。その後に8期生には全く行かなかったため人となりはほぼ知らないけども、大変なものを背負ってくれてたんだろうなとはずっと思ってた。『OS☆Uの赤色担当』といえば絶対的キャプテンという代名詞になっていたし、そうさせてきた自分たちからしたら、いずれは誰かが引き継ぐとしても重荷じゃないか?と心配になるも容易だった。それでもしっかりと『自分の色』として歴史に刻んでくれていたことはとても嬉しかった。残念ながら1月の早々に卒業してしまったが、ほんの少しだけでも最後の雄姿を見届けられたのは、何かの縁なのかなとも思った次第。

もう一人が、このタイミングから最後まで見届けることとなる、夏川愛実さん。
彼女が2016年に路上ライブデビューした時から知っているメンバーで、その時の特典会(当時は「ふれあい☆タイム」と呼称していた)では”鍵開け”に並んでいた。以後も定期的には接触に行っていたが、大体が認知が切れるタイミングに繋ぎ止めるような程度…結局はそこまで多く通ってなかったが、最初に会った時からずっと「伸びる子」ではあるだろうなってずっと思っていた。
離れ始めた2017年以降も当然のようにメンバーの入れ替わりは進んでいってたこともあり、通い詰めていた頃にいたメンバーの中では、2024年まで唯一残っていたメンバーとなっていた。

コロナ禍を経て、キャプテンやエースの卒業を経て、グループとしても一番つらい時代を、4代目キャプテンとして苦悩しつつも過ごして、ついに自分の卒業の番。
「ここで改めて観ようと思ったのも何かの縁だし、最後まで「伸びていく」姿がみたいかな。」
本当に些細な気持ちではあったが、年始のタイミングから卒業する3月9日までの間で出来る限り追いかけてみようと思ったきっかけとなった、そんな路上ライブだった。

(続きはまた今度。早く文章が書きあがれば良いけど…。)

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