休学の失敗例
休学生活も終盤、春に戻れる気は全くしない今日この頃。というかやる気とか研究意義とかそういうものがぽっきり折れてしまった。義務感も切迫感もないし刹那的に生きている感覚。部活動を辞めたくて毎日泣いて死にたくて仕方がなかった時、親が「今辞めたら逃げ癖がつく」という理由で私を見放したけど、その教育方針は間違ってなかったかもしれないと思う。両親よごめんなさい。日中の眠気や倦怠感も無くなって落ち込みも減って犬の散歩に行けるようになったけど、友達と出掛けもするけど、大学にだけ戻れない。
もどりたくない気すらする。もう緊張で頭が真っ白になったり劣等感に苛まれたりしたくない。私は所謂「お勉強」はできたけど全然中身は空っぽで、それなのに大学に入ってしまったのがそもそも間違いだったのかもしれない。教科書通りはできるし求められた正解に応えることもできるけど、自分で創造するということが致命的にできない。あとは単純に論文を読むのが下手。論理的思考力にも欠けている。必死で考えた意見や観点も、何も考えずに発言しただろうと笑われてしまうような有様で、それがトラウマになって何も言えなくなって、言わないでいると正解か不正解かも分からず成長は止まって、まぁそれでも出席すれば単位は出るけどそんな風に卒業したくないみたいな変なプライドはあって。あのとき泣いてでもいいから「必死に考えたんです、でも間違っていたようだから論文の読み方を教えてください」って言えてたら良かったのかな。自分の能力の無さに赤面してひどく恥ずかしくて黙って歪に笑うことしかできなかったからだめだったのかな。あの時には戻れないしそんなにもう頑張る気力もないんだけれど。頭は回らないし本は読めなくなったし…と書いていて私は実は元気になるのが怖いんじゃないかなと思った。大学に戻るのが社会に戻るのが怖いだけなんじゃないかと。頭が回って論文が読めるようになったとしても元からなかった能力は生まれるわけじゃない。休学して休養できたとして大学に在籍する資質があるかと言われたら答えは否じゃないだろうか。それを突きつけられるのが怖いだけじゃないかと。
アルバイトのひとつでもしないとなーと思いつつ、気力はなく、ずっと家で「ごろごろ」していると家族に揶揄されつつ、感覚は麻痺し、もういいかなーと思いつつ、なんとなく日々を消耗している。小さい頃からの夢があるのでそれが叶うまで死ぬつもりは今のところないけど(というか夢が叶ったら死ねないけど)。大学戻れなそうで就労も無理そうででも大した病名もお金も肩書きもないので私はいずれ無理そうです。今は夢を見てるようなもの。
友達や趣味関連の人々には精神科通いは隠し休学も前向きな理由と騙し嘘を重ねて重ねて疲れて悲しくてもう来年はそっとフェードアウトしようと思っている。虚栄心や承認欲求を満たすための道具としてしか見れなくなっていた。人として向き合えなかった。それが苦しかった。苦しいから、逃避する。やっぱり私は逃げ癖がついてしまったみたいだった。今年の精神科入院も結局逃げただけだった。卒論から人間関係から何もかもから逃れたかっただけだった。その究極が死で代替手段が入院だっただけだ。
私はどこまでも逃げ続けている。そのうち行き止まりになるんだろう。
最近毎日悪夢を見る。眠るのが怖い。