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スピッツ・ヒストリー(spitz)

●1998年03月発売『月刊歌謡曲』 CDレビューより~

スピッツ ~進化の10年~

ささやかだけれど、とても大切な愛しい想いを届けてくれるスピッツの歌。
バンド結成から10年という年月の中でゆるやかに進化を遂げていった、
彼らのサウンド形成の流れを時間とともに追ってみました。

 1987年7月のバンド結成から10年の年月を経て、今11年目の海へと泳ぎ出したスピッツ。1998年3月25日に発売されるニューアルバム「フェイクファー」には、そんな彼らの確かな足取りがくっきりと現れている。
 前作「インディゴ地平線」で辿り着いた陸地から離れ、今度は新たな波の中へと向かう4人・・・・・。その変貌の過程を知るべく、スピッツ10年の歴史を紐解いてみることにしました。


1998年3月当時にリリースされたアルバム「フェイクファー」のサンプル盤

 1987年夏、大学進学のために福岡から上京してきた草野マサムネ(ヴォーカル)と田村明浩(ベース)が出会い、静岡出身の田村と同郷の三輪テツヤ(ギター)が加わり、バンドを結成。その後、ライブのサポートが縁で崎山龍男(ドラムス)がメンバーにーー。“スピッツ”というバンド名は、草野が学生時代からあたためていた名前。「弱い犬ほど、よく吠える」という意味が込められているとか・・・・・。新宿JAM、渋谷ラ・ママなどを中心に、地道なライブ活動を重ねていく。

 結成から2年後には、新宿ロフトで初のワンマンライブを敢行。300人の観客を動員した。そして1990年3月、インディーズレーベル・ミストラルより6曲入りCD「ヒバリのこころ」を発売。(現在では入手困難だが名盤!)

ーーこうして4年間のアマチュア活動を経て、1991年3月25日にシングル「ヒバリのこころ」&アルバム「スピッツ」でポリドールよりメジャー・デビューを果たす。草野特有の叙情的な詞世界と美しいメロディラインは、この頃から既にその片鱗をのぞかせていた。

 以降、セカンドアルバム「名前をつけてやる」(1991年10月発売)、オーケストラ・アレンジを取り入れたミニアルバム「オーロラになれなかった人のために」(1992年04月発売)、サードアルバム「惑星のかけら(1992年09月発売)と順調にリリースを重ね、その独特の世界に磨きをかけていったスピッツ。

 4枚目のアルバム「Crispy!」(1993年09月発売)で大きな転機が訪れる。それは自らプロデュースを手がけていた彼らが、初めて外部のプロデューサーを呼んだこと。その人の名は、笹路正徳(ささじ・まさのり)。PRINCESS PRINCESSやユニコーンをヒットチャートに送り込んだことでも著名な人である。
 それまではどちらかと言うと、ギター色の強かったスピッツ・サウンドに、笹路流のストリングスやブラスを使った華やかなアレンジが加わることによって、新たな“万華鏡ポップワールド”が確立されたのでした。

 この経験を活かし、5枚目のアルバム「空の飛び方」(1994年09月発売)も誕生し、後のヒットシングル「ロビンソン」での大ブレイクを示唆するかのような、傑作となった。そして遂に1995年4月5日リリースの11枚目のシングル「ロビンソン」がミリオンヒットとなり、全国のスピッツ人気は加速!
 続いてリリースされたシングル「涙がキラリ☆」、6枚目のアルバム「ハチミツ」(1995年09月発売)で、その人気を不動のものにした。

 そんなビッグヒットにおごることなく、彼らはじっくりマイペースな活動を展開。地道な全国ツアーを通して、着実にスピッツの世界を多くの人に届けていった・・・・・。やがてその精力的なライブ活動から得た自信がみなぎる7枚目のアルバム「インディゴ地平線」(1996年10月発売)が完成。メロディー、サウンド、ヴォーカル、歌詞、どれをとっても力強さが際立つ1枚となった。

 こうして10年目の夏を越えた1997年の秋、スピッツに2度目の転機が訪れる。通算17枚目のシングル「運命の人」でプロデューサーの笹路氏から離れ、再び自分たちの足取りで歩き始めたのだ。
 さらに迷うことなく自らの世界を突き進む彼らは、8枚目のアルバム「フェイクファー」を制作。表情豊かな愛の歌にあふれた全12曲。ここに新たなスピッツ王国が完成した。


当時の雑誌の表紙を飾ったスピッツ

★編集後記★ 前回のL⇔Rに引き続き、学生時代から愛聴していたバンド、スピッツ。彼らについては、LIVEレポートやCD全曲紹介、ニューシングルのリリース記事など、様々な誌面を担当させてもらいました。自分の中ではうまく表現できた記事はあまり無いのですが、上記の特集記事が唯一、当時の上司に褒められた記憶があるので、今回掲載してみました。
 「ロビンソン」ブレイク以前からリアルタイムで追いかけてきたファンの一人として、スピッツがいまだに音楽シーンの大一線で活躍していることは、とても誇らしい奇跡なのです。

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