指からこぼれる葡萄の粒
一緒に食べた葡萄が、まるで優しさのようで、
その優しさがあまりにも多すぎて、指からこぼれ落ちてしまうほどだ。眩しくて、みずみずしくて、思い出すたびにその葡萄の光が空に浮かぶ星空のように瞼の裏で降り注いでいく。
ダラ遺跡から車で30分ほどで、Kemarの家族の住む家に着いた。子供達がベランダから手を振ってくれた。家の中へ入ると、Kemarの妹とお母さんがチャイとパンを差し出してくれた。無邪気に、珍しい日本人が来たとはしゃぐ子供達と対照的に、彼女達の目の奥には戸惑いが滲んでいたのを覚えている。当たり前だ、突然見知らぬ外国人が家へ上がってきたのだ。驚くし戸惑うだろう。
自分は危険な人物ではないと、どうしたら伝わるだろう、と不安な気持ちが大きかった。
自己紹介をして、どうしてマルディンに来たのか、マルディンで感じたことや美味しかったトルコ料理のことを話した。
チャイを一緒に飲みながら、お互いのことを少し話していると、少しだけ家族の表情が和らいだように見えて、嬉しかった。
夕方、日が落ちる前に、家族が所有している畑に連れて行ってもらった。
子供達が繋いでくれた手の体温を感じて、
明日の朝にはイスタンブールは戻らないといけないことや、それでも子供達や私の生活はそれぞれ進んでいくことを思い巡らして寂しくなった。
畑にはKemarの奥さんがいて、畑仕事をしていた。「あなたが来ると聞いてとても嬉しかった」と言って、手を握ってくれた。
畑では色々なものを育てていて、Kemarがおもむろに、畑に生えているミントをちぎり私に「食べてみて」と差し出した。
ミントをそのまま食べるのは初めてだったので一瞬驚いたが、食べてみると甘くて爽やかな味がした。それは、マルディンに広がる大地を走る車の窓から顔を出して受け止めていた風の香りのようだった。
畑でトマトやきゅうりを一緒に収穫したあと、
家族と一緒にチャイを飲みながら話をした。
日本ではどんな仕事をしているのか、ボーイフレンドはいるのか、住んでいる場所はどんなところなのか、いろんなことを聞かれた。こういう時に自分の話をするのはあまり好きではなかったけれど、彼らの話すテンポがとても心地よくて、自分を晒すのが苦ではなかった。
Kemarの妹さんに、「トルコ料理で1番好きなのは何?」と聞かれたので、「キョフテがとてもおいしかった!」と言った。キョフテというのは、ハンバーグみたいなものなのだが、ハーブやスパイスが効いていて、私はキョフテを食べた時の鼻を通り抜ける香りがエキゾチックで好きだ。
「それなら、今夜はチーキョフテを作るね。マルディンの郷土料理でおいしいんだよ。」
そう言って笑ってくれた。
私なんかのために、突然来た知らない日本人のために、私の好きな食べ物を作ってくれるということが、私にとってとても優しすぎて、戸惑った。差し出された優しさや愛を、どうやって受け取って返したらいいかわからなかった。
それでも、その戸惑いすら皆は包み込んでくれていた。
夜になると、家族の親戚がたくさん来て話をしてくれた。皆で輪になって、夕食を囲んだ。
目の前に並ぶ料理は、どれもいい匂いがして、これから皆で分け合って一緒に食べさせてもらえると思うと、それだけで胸が熱くなった。
綺麗に角切りにされたきゅうりやトマトのサラダは、宝石のように煌めいていて、楕円に成形されたチーキョフテは厚みがあってスパイスの香りが奥からふわっと漂ってきた。
夕食を食べ終えると、子供達がベランダへ連れて行ってくれた。家で採れた葡萄を一緒に食べよう、と言って、また輪になって話をしながら葡萄を一粒ずつ、取って食べた。思ったよりも酸味が強くて、夏の日差しのような味がした。
トルコ語はこの言葉はなんて言うの?と聞いたりして、少し一緒にトルコ語の練習に付き合ってもらった。何度も同じ単語、フレーズを練習すると、だんだんと迷いなく言葉を発音できてきて、
子供達と現地の言葉を交わし合う喜びを忘れたくないと思った。いつか、忘れてしまうかもしれないし、忘れられてしまうかもしれないけれど、そこにある言葉の花束のようなものを、忘れたくなかった。
時計が22時を指そうとしているところで、子供達と一緒にベランダに布団を運んだ。外で寝るなんて、ほぼ初めてのことだった。
「ベランダで寝ると星が綺麗に見えるよ〜」
「Yuri、I love you〜」
「Yuri〜!」
と子供達が次々に言ってくれて、その声が空の星のように次から次へと降り注いでいた。
このまま寝なかったら明日にならずに済むだろうか、と考えながら、同時に押し寄せる幸せと寂しさを抱きしめながら泣いた。
いつだって、ひとり旅の中で誰かがいてくれて、誰かの優しさや光をもらって過ごしていられている。あまりにも、大きすぎて、指からこぼれそうなのを必死で掴んでいたいと思い続けている。
目の前に広がる星空が、涙で滲んでいく、藍色と白が混ざって体全体に染み込んでいくようだった。喜びの温かさは、切に望んだ心の痛みそのものだと思った。