見出し画像

灼熱 ---Termez,Uzbekistan

長い間忘れ去られてしまっていたこの場所が、再び記憶の光のもとに照らされるようになったこと。
今こうして土の乾きに触れ、灼熱の風を受け、燦然と荒野の中に存在していることを目にできていること。

アフガニスタンとの国境からほど近い、このテルメズという街。
ウズベキスタン国内で最南端の街である。
シルクロードのメインルート中にあることを知ったことがきっかけで
行ってみたいと思うようになった。
調べていくと、アレクサンダー大王がマケドニアからこの地、オクシアナにたどり着き、城塞を築いたそうだ。そして彼の死後、セレウコス朝、グレコ・バクトリア王国、クシャーナ朝と支配勢力が変わり、このクシャーナ朝時代に仏教文化が栄えたとのこと。ここでもともと根付いていたギリシア・ヘレニズム文化と融合し、ガンダーラ美術が生まれたようだ。
この仏教文化がやがて中国を経由して日本に伝わったとも言われている。

こうしてテルメズへと伝播し栄えた仏教文化を伝える代表的な遺跡が、ファヤズ・テパと、カラ・テパ。
案内してくれたガイド(タクシーから降りると誰も入場口にいなかったのだが、3分後に500m程度先から走ってきた男性がなんとガイドだった)によれば、ファヤズ・テパは仏教僧の生活場所だったようで、この中で儀式を行ったり、食事を作ったり、洗濯をしたりしていたそうだ。
その後チンギス・ハーンの中央アジア遠征による破壊をはじめ、何度もこの町は壊され消えかけたが、20世紀に美しいガンダーラ美術の結晶である三尊仏像が発掘された。

それまで瓦礫の中で眠っていたこの土地の歴史が、再び息を吹き返したこと。そして、時代を超えて、自分が今、アムダリヤ川を見ながら暮らしていた人々の足音を聴いていることを感じた。

カラ・テパはファヤズテパよりさらにアフガニスタンとの国境に近い場所にある。地山に日干しレンガを積み上げて構築した、大規模な仏教伽藍があり、大きな中庭とその周辺にあるいくつもの僧房がともなっている。時折熱風が吹く中、目が眩むほどの日の光を受けながら、タクシー運転手に遺跡を案内してもらった。乾いた土の匂いが風に乗ってどこまでも飛んでいく。
炎の街と言われていたことも納得だ、焼けるような日射しと自分を纏う高温の空気とで、絶えず汗が噴き出してくる。ただ、湿度がとても低いために歩いているとすぐに乾いてくれるので、じめじめした不快さは残らずに済んでいた。

この遺跡は丘の上に立っており、カラ・テパから15km先に見えるアムダリヤ川が日の光に照らされて煌めいている。アムダリヤ川を隔てたその向こうはもうアフガニスタンだ。タリバン制圧時には、多くのアフガン人がテルメズに渡ってきたという。この地からつながっていることがこの目で確実に分かるのに、国境によって分断されたその先は世界からの関心が驚くほど少ない。この地から出土された仏像は、タリバンによって破壊されたバーミヤンの仏像と同じ文化圏のものだ。アムダリヤ川の水面の煌めきと同時に目に映る青の深さに目を移し、その向こうの地を見つめ思いを馳せたとしても、崩れ落ちたあの仏像も、彼らの愛した穏やかな風の吹く日々も、もう戻ってこないのだ。褪せる記憶と共にしか生きられない、と嘆くしかないのだろうか。

カラ・テパは、僧房として使われていたであろう洞窟式の小部屋がいくつもあった。それぞれの部屋に入ると、内部はそれまで感じていた突き刺すような日射しの熱さから隔たれ、長い間取り残されてきたような冷たさと暗闇が目の前を覆った。小部屋は人が5人ほどは入れるような広さから自分ひとりがやっとは入れるほどの広さしかないものまであったが、ほとんどの部屋の上部に小窓のような穴があり、そこから光が差し込んできていた。柔らかく静かな、沈黙。
当時まだ存在さえしていない、しかしこれから存在しうる可能性があった自分が時を超えてこの土壁に今触れている。記憶のより遠くで、風に吹かれた砂塵が舞い上がっている。私以前の記憶の中でどれだけの痛みがこの地で風に吹かれてきたのか。きっと何もわからないのだと思い知る。どれだけこの土と砂を集めても手からこぼれていくばかりだ。私には語りえぬ言葉や視線の交じり合い、嘆きや足跡が砂埃に立ち現れてくるときにやっと、私は語りえぬ言葉のもつ「語りえなさ」を知ることができる。


いいなと思ったら応援しよう!