列車---Kazakhstan~Uzbekstan
旅のはじめ。
カザフスタンのアルマトイからウズベキスタンのタシュケントへ17時間の列車移動。
列車内のコンパートメントは2段ベッドが2つあるタイプのもので、私の席は上段の方だった。列車がゆっくりと音を立てながら走り始め、目の前に広がったのは黄金色の草原と、寂しさが一面に広がる荒野が混ざったような場所だった。
ゴトンゴトン、という音は列車の、いやこの旅自体の鼓動と言ってもいいような気がする。これから土地を移り行き、太陽が沈んでゆくのを、そして月が昇ってゆくのを眺めるであろうこの列車と私には、確かにその心臓が打つ鼓動が流れているのだ。
ベッドの上で本を読んでいると、時折眠気に誘われふわふわと浮かんでいくような感覚が訪れた。夢なのか、現実なのかあいまいになっていく。私はまだずっと、夢の中にいるのかもしれない。
食堂車で昼食を食べたあと、しばらくほかの車両の窓から次々と移ろう景色をぼんやりと眺めていた。日の光に照らされ満天の空に浮かぶ星のように光る草原と、静かに鎮座しつつも迫りくるような偉大さのある山々。時折街が見えて集落の中にある家や墓地が見える。
生気の湧きだすような緑の草木の中を、一人の少年が走り回っている。
牛が横たわりながら彼を見つめている。
そこには青い匂いが立ち上っては風に揺られている。
その風景を眺めていた時間はほんの数秒だけだったけれど、
その間言葉にもならないいくつものみずみずしい雫が、
何年もずっと自分に降り注いでいるような気がした。
列車はTarazというキルギスとの国境にほど近い街に着いた。ここで10分ほど停車する。
見送りに来た人と、見送られる人。
駅のホームも列車もただ黙り、ただ静かに彼らを見守っている。
この数分後には、みんな駅の出口に向かうか再び列車に戻るかしてこのホームで見える景色からは見えなくなってゆく。さようならが散ってゆくのを感じ、それに身をゆだねるように目を閉じた。
列車も、じきにここから去る。去り行く人々の中に、私もいる。
これから訪れるであろう車掌、同部屋の乗客との別れに、それも言葉も交わし合うこともなくただただ別れゆくことに感じる寂しさを想う。
無事でありますように、という祈りもきっと仕方がないものだ。
祈っても仕方がないほどの、祈り。
列車の旅は別れが色濃く残っていて、あまりにも寂しいけれど、還る場所があるからこそその寂しさを受け止めることができるし、旅をすることができるのだと思う。
自分にとって、旅はいつも寂しさが土台となって続いている。
通り過ぎただけの風景、草木、すれ違っただけの人、共に過ごした短い時間の中で交わした言葉、それらに対して寂しいという感情を抱きつづけることで、もう二度と戻らないその瞬間が心の奥で鼓動となって生き続けられる。
それは、自分が世界を失わないことの一つの光であると言える。旅を重ねていくことで様々な色に色づき、褪せてゆくと同時に厚みを増す記憶の層が、
世界とのつながりの中で息づいている。
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