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もし幸せに形があるのなら

ラジオになるといつもよりうわずる声、後ろで独り自分の世界に入って次の発言を伺っている時の仕草、最近するようになった歌詞に合わせて表情を変えるパフォーマンス、楽しいことをしている時のきらきらとした瞳、先輩にはデレる意外な一面、すきな子にはとことん甘やかしちゃうところ、指の先まで神経を通わせているダンス、どんな場面でも果敢に前に出る姿勢、誰よりも情に厚く人情深いところ、話を聞いているときに自分の中で噛み砕いて自分なりの解釈を出してからする相槌、「わんこ」「おまわりさん」とか柔らかい喋り方、いつ何時でも周りに流されず「吉川太郎」を貫いているところ、「見る」「観る」とかの漢字の使い分けをちゃんとするところ、頭の回転がひたすら早いところ、犬だったらマルチーズがすきなこと、他人と比較するのではなく自分のキャパシティ内での最高を目指し続ける姿勢、昔から顔が変わらないと自覚しているところ、凝り性なところ、桜・花火・読書・雪とかで季節を体感で感じてブログで共有してくれるところ、実は感情が顔に出やすいところ、自分がやると決めたことはとことんストイックになって完遂するところ、言葉にしないけれど誰よりも熱い心を持っているところ、「よしいったろ〜」の波線が波ダッシュなところ、マイクを両手で持ちがちなところ、日頃から家族思いなところ、頑固なのにお茶目なところ・・・


いきなり字圧がすごくて、このページを開いてくださった方は驚いているかもしれませんが、アイドルとしての「吉川太郎くん」だけでも、パッと浮かんだ分だけでもこんなに“いいな”と思うところが溢れて止まらないこと、とても嬉しく思います。私が見ている太郎くんは偶像で、本質の太郎くんは全然違う人なのかもしれない。けれど、太郎くんが見ている世界が、感じている世界が、いつまでもあたたかな、幸せな世界であることを願っていますし、こんなにいいなと思える人に出会えたこの気持ちが、いつまでも変わらずにあればいいなと願います。


吉川太郎くん、23歳のお誕生日、おめでとうございます!


突然だけど。
太郎くんにとって、22歳はどんな一年でしたか?
楽しかったですか?忘れたくないですか?充実してましたか?素敵だと思えることに出会えましたか?やり残したことはないですか?

きっと、太郎くんのことだから、清々しく23歳を迎えられていることかな。

22歳の太郎くんは、直近でも、ananに初掲載されたり、初の単独全国ツアーをしたり、ぬいができたりと、“初めて”をたくさん分け与えてくれたなと、思い返すだけでも嬉しくて心があったかくなります。


そして迎えた10月9日。

太郎くんが23歳の一年、私も「コツコツと地道に努力する骨太な一年」にしたいなとananを手に取り勝手ながら思いました。
隙自語で申し訳ないですが、これからの私は、人生を大きく左右する岐路に立っていると思っています。毎日時間に追われて(なのでこれも当日に間に合わず・・・)、心に余裕がなくなって全部がいやになったとき、何も見たくなくなって全てをシャットダウンしちゃったり、自暴自棄になったり。0か100かみたいな人間なので、それこそ自然発生するエネルギー爆発の連続みたいな人生を歩んでいます。だから、心に吉川太郎を。じゃないですけれど、太郎くんみたいに、骨太に、着実にコツコツ実績を積み上げていく一年にしたいなんて、思いました。


私にとっての太郎くんは、星であり、光であり、道しるべでもあります。
序盤で述べていた体を鍛えている目的、英語を勉強している目的、さらに、AmBitiousが結成された時の心境など、わたしが触れるには畏れ多いようなことを包み隠さず教えてくれたことが、嬉しかったです。考えていることを、言葉にすることって簡単じゃないですし、太郎くんは自分で「自分の話をしない」と言っているからこそ、太郎くんの心の奥底の核心に、触れてしまうことが怖くもありました。

でも、ananさんは、誕生日の10月9日に初めてのソロ掲載、(たまたまかもしれないけれど)ページ数が109(10月9日にちなんで)であるなど粋な計らいをしてくださっていたり。これはきっと、たとえば最近の雑誌で言っていたような、「ありがとう、いただきます、とかは言うようにしている」みたいな日頃の太郎くんの行いが招いた事実だと思っています。

小さいことかもしれませんが、日頃から意識していないとできないことでもあるからこそ、そうやって私の中の「太郎くんのここがとてもいいな」が蓄積され、次第に「私もこう在りたい」と思えるから。だから道しるべだと勝手にですが思っています。

最近は、日常を過ごしていて、かわいいものを見つけた時に、美味しいものを見つけた時に、空を見上げて変わった雲があった時に、俯いて歩いてしまった時に、日常のどんな場面にも、私の心にもそこかしこに太郎くんが溶け込んでいると感じます。そんな時にいつも思うことは決まって「これ、太郎くんならどう思うかな」ってことで。あくまで“私は私”であるけれど、心の底には「こう在りたい」という気持ちがあるからこそ浮かぶ感情で。例えば、わたしが嬉しいと感じたことでも、太郎くんは嫌と感じるかもしれないし、逆も然りで、私が嫌と感じたことでも、太郎くんからしたら嬉しいと感じるかもしれない。けれど、わたしの「どう思うかな」の根底には、太郎くんの嫌だと思うことは応援して一緒に乗り越えてゆきたい、という気持ちも混ざっているから、勝手に人生の共闘者みたいな存在だとも思っています。でもやっぱりどこか、先を歩んでいるように感じるから。道しるべなのかもしれません。

太郎くんは強いです。だから、会う度に強さを分けてくれます。太郎くんは儚いです。だから、もっともっと思い出を濃く残したいと思ってしまいます。笑顔を向けられた瞬間に、日々を闘うわたしたちに、少しの勇気と頑張るスパイスを分け与えてくれる人。悔しくて落ち込んだ日も、ばら撒いてくれたかけらを拾い集めて立ち上がる選択ができています。寂しくなった時に、太郎くんの言葉を思い出して心がほかほかするのは、たまにかけてくれる温かな言葉があるからで。太郎くんはananで、「ファンの皆さんが支えてくださっているからこそ。ファンの方って、ほんまに一人ひとりがすごい影響力を持っているんですよね。これからもお互いを思い合って、いい影響を与え合える関係でいたいなと思います。」と言ってくれていたけれど、太郎くんがわたしたちのことを燃料にしてステージで輝いてくれているのならば、わたしたちが持っているその燃料は、日々目覚ましい活躍を見せてくれる太郎くんからもらっているのです。お互いを頼りにしながら。もし太郎くんが、本当にわたしたちを燃料にしてどこまでも羽ばたいて行けるのならば、わたしたちは、いつでも太郎くんのことをあつあつにさせる準備はできています!

ZeppやEXシアターなど、慣れない環境を過ごしてきたけれど、指定席から見たときのペンライトが持つ熱量が忘れられません。キラキラ反射する波のようかと思えば満点の星空のようでもあり、光が強いものもあれば弱いものもあって、それがいかに儚いものなのか。ファンの方々がそれぞれ抱えている思いが全て乗ったその光が、まるでこれからのAmBitiousの未来を彷彿とさせるような。わたしは、その時に感じた胸の高揚を、視覚で、聴覚で、触感で、必死に掬い取ってずっと憶えていたいともがいていますが、それは太郎くんも同じでしょうか?自分を語らない太郎くんだからこそ、応援していて心配になって、聞きたくなります。

多分前にもツイートしたことがありますが、とりわけ寒くて厳しい冬だった年の野菜や果物は、甘くて味が濃くて栄養価が高いと聞いたことがあります。ですから、特別な才能があったわけではないかもしれないけれど、折れたり踏ん張ったりしてここまで漕ぎつけた太郎くんに見合った人間的な優しさや深さが獲得されたなら、それはきっとかけがえのない力になると思います。だから、大丈夫だよね。秋の足音が見え隠れしてきて、肌寒くなってくれば来るほど不安が掻き立てられてしまうけれど、わたしが太郎くんをいつまでも紫のペンライトで照らし続ければいいもんね。


最後に、これを読んでくれているみんなは、みんなのすきな人(ここでは自担を指す)に対して、どういう感情を抱いていますか?わたしは、「楽しい!」です。勿論、かっこいいし、かわいいし、愛おしくもあるけれど、いちばんに浮かぶのは、「楽しい」という感情です。今まで好きになってきたアイドルたちにはあまり抱いたことのない感情なので、初めてで面白いなと非常に感じます。じゃあ何故太郎くんを見ていて「楽しい」と思うのかというと、きっと太郎くんが起こすアクション全ての根底に「楽しい」が見え隠れしているからかなと思います。あ、太郎くんは「楽しい」じゃなくて、「愉しい」かもしれません。「愉しい」って、内側から自然と湧き上がってくる喜びのことで、他人の評価はどうでもよくて、ただ自分の心地よさを追求していくこと、の意なのですが。「愉しい」を見つけることはすごく難しいことではありますが、難しいからこそ夢中になって愉しくなると思うので、その愉しいが太郎くんから連続発生されているものを浴びているからわたしは「楽しい」と思えている、「愉しい」のお裾分けをしてもらっているのかもしれないなと感じています。


太郎くんの叶えたい夢が全て叶う一年になりますように。目標という花が、早く太郎くんのもとに舞い降りてくれますように。1日でも、「今日は良い日だった」と思える日が増えますように。ちっぽけな願いだから、叶えてね、神様


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