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【奏・奏・綺・羅】幽谷霧子 感想+α【シャニマス】
はじめに
こんにちは、l94skと申します。以前に【夜よこノ窓は塗らないデ】七草にちかの感想記事を衝動的に書いてから半年近く経ちました。前記事は多くの閲覧、ご評価を頂き本当にありがとうございます。
その後に実装されたコミュでずっと感想を書きたいと思っていたのが【奏・奏・綺・羅】幽谷霧子です。完全に機を逸して書きそびれていたのですが、最近このコミュを思い出す出来事もあったので、その件も触れつつ折角なら感想記事を書いてみようと思い立ちました。相変わらずの拙文ですがお付き合い頂けましたら幸いです。
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コミュのタイトルについて
各話の題になっている「ハ長調 K. 265」とはいわゆる「きらきら星変奏曲」のことで主題と12の変奏からなる変奏曲です(素人なのでおかしな解説をしていたらすみません…)。実際コミュ中にもきらきら星の演奏が流れるシーンがあります。
なぜ「きらきら星」なのかは色んな考え方があります。きらきら星の歌詞との関連(みんなの歌が届くといいな、というフレーズは霧子らしくて好きです)や、原題との関連(元々は、少女が恋心をお母さんに打ち明ける歌だそうです)、きらきら星という曲の位置付けに理由があるとする考えなどです。個人的には「きらきら星という曲の立ち位置」に特に意味があるように思います。
きらきら星は有名なバイオリン教本等で一番最初の曲に位置付けられています。このことなどからきらきら星は音楽教育の最初の曲、基本の曲としてのイメージがある方も多いかと思います。「きらきら星が基本となる練習曲である」ことが今回のコミュに特に関わっているように思われます。
さらに本コミュはきらきら星の第13変奏と第14変奏からなります。きらきら星変奏曲は第12変奏までで本来は13も14も存在しません。このことからは本コミュは「きらきら星の、その先の話である」ことや「第13変奏と第14変奏は続いている(=繋がっている話である)」ことが伺えます。
第1話「ハ長調 K. 265 第13変奏」
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レッスン場に向かう霧子、歩いている住宅街からはきらきら星を練習するピアノの音が聞こえてきます(本コミュでは住宅街が映るシーンで度々きらきら星が挿入されます)。そのまま霧子はダンスレッスンに臨みますが、ステップがうまくできず苦戦します。
場面が変わってランニングする樹里のシーン。商店街のおばちゃんとの心温まる会話があり、ここでも近隣宅からきらきら星が聞こえてきます。
場面は霧子に戻り、レッスン終わりに苦戦したステップを思い出しながら住宅街を歩いています。そこにピアノ練習の音が重なります。流れてくるピアノの音を聞いて霧子は「何度も繰り返すことでゆっくり音楽になっていく」という気づきを得ます。最初は拙いピアノの音でも、繰り返し練習することできらきら星の旋律になっていくのでしょう。この「音を繰り返して音楽になっていく」が今回のコミュの軸となるテーマです。
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日を改めて河原でダンスの自主練をする霧子。樹里も同時にランニングに励んでいます。樹里も近隣宅から流れてくるピアノ練習の音に「やってんなー」と反応しており、元気づけられているようです。
苦手なステップを繰り返して練習する霧子に樹里が合流します。頑張っている霧子の姿を見て、一呼吸おいて声をかけにいく樹里。頑張っているところを邪魔したくないからそっと去るという選択肢もあり得たのかもしれませんが、声をかけに行くのが樹里らしくて好きです。
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樹里は丁寧な練習をしている霧子の姿に元気づけられると告げます。そんな樹里に「もっと…行くの…?」と問う霧子、そこにきらきら星の旋律が重なります。「よしと思えるところまで行きたい」と答える樹里。お互いの姿に元気をもらい二人はまた自身の練習に戻ります。
樹里の走っていく音が音楽みたいだと霧子は言います。そして後日、霧子はダンスレッスンでステップが上達したことを講師に褒められます。樹里の足音が、自分のステップが音楽になったことを踏まえて「繰り返して音が音楽になっていく」というテーマがリフレインされます。さらに彼女たちはもっと遠くへ行きたいという向上心を見せて第1話が終わります。
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きらきら星の旋律を背景に、地道な練習の繰り返しが音楽になっていくことが描かれ、同時に霧子や樹里のさらに先を目指す姿勢が示されます。練習曲きらきら星のその先である「第13変奏」に相応しい内容になっていると思います。この話だけでも完結していて美しいお話なのですが、第13変奏は第14変奏に続きます。
第2話「ハ長調 K. 265 第14変奏」
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我らが(?)にちかの登場です。予定変更などもあり、バスで事務所に向かうことになったにちか。そこに霧子が乗車してきます。二人がお互いの存在に気づいたところで回想シーンに場面転換します。
練習がうまく行っていないのか、レッスン場でいつも通りプロデューサーに当たり散らすにちか。休養を促すプロデューサーに対して「お友達ごっこでアイドルやってる人たちには練習量なんか関係ないですもんね」という暴言を吐いてしまいます。
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この「お友達ごっこでアイドルやってる人たち」というのは、おそらくシーズ以外のすべての283プロのアイドルを指していると思われます。イベントコミュ『アイムベリーベリーソーリー』などで283プロの流儀に触れたにちかですが、彼女は未だ対話を恐れており、283プロのアイドルたちとの間には壁があります。にちかは美琴との現状を肯定する「アイドルは馴れ合いじゃない」というスタンスを自身に強いており、仲睦まじい他のアイドルたちにどこか抵抗や反発を抱いています(同世代間や世代を越えて仲良くする姿への羨ましさもあるでしょう)。
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そんなにちかは「お友達ごっこ」という暴言を吐いていたところをレッスン場で偶然居合わせた霧子に目撃されてしまいます。にちかは困惑する霧子に挨拶だけして逃げるように去っていきます。場面はバスに戻り、気まずさ全開のにちか。霧子が離れて座るように祈ったり、違うバス停で降りるように願ったり、気まずい閉鎖空間でのにちかの心情が描かれます。
さらににちかは先日の「お友達ごっこ」発言を思い出します。にちかの「八つ当たり」は、ひどいことを言ったという罪悪感と自己嫌悪で結局自分を傷つけてしまっていますね。
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そして案の定二人は同じバス停で降り、事務所に向かうことになります。気まずさ全開モードのにちかに霧子は「ゆっくりでいい、お話しなくていいから歩こう」と提案します。二人のいる住宅街からは再びきらきら星の旋律が聞こえてきます。
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困惑するにちかに「お友達ごっこ」というフレーズがフラッシュバックしますが、にちかは霧子の提案にどこか安心したような声色で応じます。二人が一緒に歩いて事務所に向かったことを想像させるかたちでコミュは終わります。
霧子はなぜこのような提案をしたのでしょうか。霧子がにちかの悪態をどこまで聞いていたかは不明ですが、癇癪を起こすにちかを見て「にちかがレッスンに行き詰っている」ことは恐らく察しているでしょう。霧子にも練習で行き詰った記憶があります。そんな時に聞こえたピアノ練習の音が「練習の繰り返しで音は音楽になっていく」と気づかせてくれました。だからこそ、きらきら星の旋律が聞こえるこの住宅街をゆっくり歩くことで同じ気づきを得て欲しかったのかもしれません。焦燥感の強いにちかに「焦らなくていいから、ゆっくり積み重ねていこう」というメッセージはとても意味があるように思われます。
もう一つは「二人で歩くこと」の意味です。端的に言ってしまえばにちかは「不協和音」です。シーズとしても未だ協和に至らず、283プロのアイドルたちとも心の壁があります。にちかの言葉は他人を傷つけ、何より自分を傷つけてしまい、彼女は対話を恐れています。
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そんなにちかに霧子は「お話しなくていいから歩こう」と伝えます。会話をせずとも二人が歩くことでその足音は重ねられます。霧子のステップが、樹里の走る足音が音楽になったように、霧子とにちかが重ねる足音もいつか音楽になるのかもしれません。ここでは「音を重ねて音楽になる」というのは「練習を積み重ねて上達する」という意味だけでなく「別々の音を重ね合わせて協和する」という意味もあるように感じられます。
練習の繰り返しはもちろん重要ですが、加えて事務所まで一緒に歩くような「お友達ごっこ」の積み重ねこそが、にちかを協和に導く鍵なのかもしれませんね。『モノラル・ダイアローグス』ではクリニックのカウンセリングという形で対話が試みられましたが、「話さなくていいから足音を重ねよう」というのはとても霧子らしいアプローチです。
「音の積み重ねが音楽になる」と学んだ霧子が、今度はにちかを優しく導くのが第14変奏です。
おまけ
ここからは完全に余談です。このコミュを最近になって思い出したのはTwitterで行われたアイドルプロフィールリレーがきっかけです。これは事務所のアイドルが、別のアイドルのプロフィールを想像で記入し紹介するという企画で、最後に公開されたのが「七草にちかによる櫻木真乃の紹介文」です。
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このプロフィール文はあらゆる面で「にちからしさ」が詰まっていて素晴らしいと思います。まずこれは楽しい文章だということです。真乃のニッチな魅力を語るにちかはアイドルオタクの本領発揮という感じで、さらにバイト先やバラエティ番組で発揮されているであろうにちかの宣伝力・営業力の高さも感じられます。にちかの才能やプロ意識が伝わる文章です。
しかし先の【奏・奏・綺・羅】幽谷霧子を読んでこの文を見るとまた別の感想もあるかもしれません。私がこの文を見て感じたことの一つは「真乃の内面、人間性には一切触れていない」という点です。283プロの別のアイドルが真乃を紹介するならばそこにはきっと真乃の人間性への言及があるでしょう(真乃の芯の強さ、優しさ、癒しなど)。しかしにちかはそういうことはできないし、するべきでないと自身も考えています。この点で彼女はまだ対話を恐れており「お友達ごっこ」への抵抗があるのかもしれません。「アイドルは馴れ合いじゃない」という呪いを自身にかけているのでなかなか根が深そうです。しかし霧子と音を重ねたように、にちかが283プロのみんなと交流を重ねていく中で、いつか協和できる日が来ることを信じたいですね。そんなことを思い出させる良い企画でした。
おわりに
【奏・奏・綺・羅】幽谷霧子感想と銘打っておきながら半分以上にちかの話をしてしまいました。にちかの越境という困難な課題に対して丁寧に回答されており今後の希望を感じる話という点でも魅力的ですが、霧子や樹里の暖かさ・優しさも描かれており、全編を通してテーマが一続きとなっている全体的に素晴らしいコミュだと思います(イラストの日が当たる霧子も象徴的で美しいですよね)。作中随所で流れるきらきら星も印象深く、ぜひ音量ありで読んでいただきたいコミュです。実装から時間が経ってしまいましたが(残念ながら入手できる期限も迫っています…)、この記事をきっかけに読んでみよう、読み直してみようかなと感じた方が一人でもいてくだされば幸いです。