行き止まりへ走る
無題
最近モニターを破壊したのに性懲りもなく、扇風機を蹴り飛ばしカバーを破壊するという愚行に出た。
これまでもテニスラケットの連続破壊や参考書の焼却等、癇癪による破壊行為を繰り返してきた。いくら反省しようとこればかりは治りそうにない。
朝方は悪い夢や寝起きが悪いなどの理由で機嫌が悪いことが多い。誰かに起こされたときは必ず物に当たる。
僕の破壊癖は異常、はっきりいってキチガイだろう。誰か直してくれ。
参考書を燃やしたときの画像
哲学
2020年のクリスマスあたり、本をたくさん読みたいなという考えになり、安い本をたくさん買おうとしていた。
Amazonで本を漁っていたら、岩波文庫という比較的安いレーベルを見つけた。
当時僕は教養を蓄えたい、知的になりたいという意識の高い心持ちだったのでデカルトの方法序説を購入した。
手元に届いたら思ったより薄かったのでこれならすぐに読み切れるな!と読み始めた。
ほお、ふん、ん?(読み返し)あぁ〜、は?(読み返し)は?(読み返し)…
読めるが、理解はできなかった。ただ目を通すだけ、ただ声に出すだけ…
もうダメだ、クソだと諦めて積読にした。
春ごろ、買ってあった蔭山のセンター倫理を暇潰しに読んだ。するとそこにあのデカルトが載っていた。
合理論の源流、物心二元論、そしてどんな人物か、などのデカルトに関して最低限の知識を手に入れた。
前より勉強しているし、今度は理解できるか?
再び読み出した。
え?(読み返し)いや〜まあまあまあ。え?うーん、飛ばすか。ふーん。
分からないところは飛ばしたが、一通り読み切った。
分かった…?分からんわ。と読破後もふにゃふにゃした感想しか出なかった。
その後ニーチェの言葉やショーペンハウアーの読書についてなど、少しづつ哲学に触れていく中で、これが哲学ですかと、分からない部分も多いがたくさん触れてみたいと思った。
そして夏の終わり、友人が倫理に興味を持ち始めたので、友人がやるならと僕も倫理を勉強しようと考えた。
倫理をやると哲学に少なからず興味を持つわけで、前から気になっていた哲学に本気で勉強したいなと思った。
哲学2+今後
先日友人と2人で遊んだ。懐かしい街並みで歩いているだけで楽しかった。
本屋に行きニーチェの「道徳の系譜」「ツァラトゥストラかく語りき」を買った。
帰りにマックへ寄り、友人の家の玄関で食べた。
面白かったよ。最高だね。
家に帰り、アマギフの6500円で「自分を知るための哲学入門」「新しい哲学の教科書 現代実在論入門」「ベンヤミン・アンソロジー」を注文した。
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気がついたらもう9月だ。あれもやろうこれもやろうとたくさん計画は立てるが何一つやらないので、これは無駄だ、時間の浪費だとやっと気づいた。
もう時間に限りがあるのでどれかに絞り集中しないとと考えた。
まず受験勉強、サイクリング、ゲーム、読書、作曲、哲学…
これでも自己管理できている人ならできそうだが、僕は何一つ継続できなかったので、多くて3つにしようと考えた。
丁度いいことに最近モニターをぶっ壊したのでゲームと作曲が選択肢から消えた。読書は意識してもほぼしなかったので除外。
受験勉強と哲学とサイクリングかな。
チェンソーマンのマキマさんの模写をしたくなり、描いてみる。
一つ目はバランスが悪く変な顔になるが、二つ目はいつもあり得ないほど上手く描ける。
あれ?低頻度でしか絵を描かないのに衰えるどころか上達している、これ絵の才能あるのか、本気で練習したらどうなるんだ?と思った。
イラストを入れよう!となって勉強,哲学,イラストに決定。サイクリングは運動として風呂前のタスクにする。
受験勉強の計画としては
12月末までに受験に使う科目の基礎固め完了
↓
3月末までに東大過去問時間制限無しで解けるようになる
↓
時間制限ありで過去問演習
を予定している。
勉強ルートも完成した。
この通り進めればいいだけ。
流石に怠惰な僕もこれ以上の計画遅延は許されないと思った。
将来が云々、社会問題がぁと隙あらば考えるが、まず大学に受からないことには始まらない。
今の僕にはがむしゃらという言葉が合っている。
哲学は特にそれといった目標はないが、イラスト同様勉強の逃げ道にしたいと考えている。
勉強に飽きるとネットサーフィンやゲームをしてしまうが、無意味な時間だと分かっているので、有意義な方向で時間を使う。
高卒認定試験もあるし、失敗が許されない期間だ。
僕は「今は満足していないけどきっと将来は面白いんだろう」という考えで生きてきた。
小学校がまあまあだったので、中学校に期待していた。中1が本当に楽しかった。
あまり深くは言わないけど。
僕は失敗したり、失ったり離れたりしてから気づくタイプだ。
親にも失敗してからじゃないと分かんないんだな。と言われたが、今になって非常に響く。
自分が選んだからこそ、他の道があった、別の手段があったことに強く後悔する。
高1のころは自分を追いやった周囲のせいだと暴れていれば良かった。しかし暴れても何も状況は良くならない。
冷静になればなるほど自責の念が大きくなり希死念慮と虚無主義を抑え込むのに必死になる。
関係的には不可逆的でないとはいえ、大きな間違いを連続で起こしてしまったな。
自分の理想が叶わない不満を他人のせいにし、未来に託してきたツケが一気に来た。
あれだけ嫌っていた大人に従うことが正しかったかもしれない。非常に苦しい。
まだ僕に希望はあります。でも、非常に厳しいです。
もし失敗したら、そこが僕の現実における理想が死ぬときだ。完全に虚無主義者になってしまう。
まずは大学に入学することから。