家に帰ると春は居なかった。
グーグルカレンダーに春の命日を書いていて、毎月目に入るようにしている。
この日春が死んだってことを思い出すために。
今日がその日だ。
五ヶ月前、一緒に暮らしていた猫が死んだ。
春と名前をつけて可愛がっていた。
まだ10歳だった。
働いてた頃、職場で野良猫が大繁殖し、全部捕まえて保健所に連れて行くと総務課の人が言うもんだから、その中の一匹を引き取った。
それが春だ。
この時は生き物を飼うことがどういうことか、生涯面倒をみるとはどういうことか、考えていなかった。
ただこのまま殺処分されてしまうのが可哀想で、じゃ一匹くらい面倒みるか、くらいにしか思ってなかった気がする。
野良猫の癖にちっこいそいつは警戒しながらも僕の手の中で眠るなどして、僕はあっという間に心を奪われてしまった。
10年前のことなのに今でもよく思い出せる。
僕が引き取らなかったら春はどんな猫生を歩んでたかな。
そのまま保健所で殺処分されていたかもしれない、優しい人に引き取られていたかもしれない。
なんてこんなことは考えても無駄だ。
春は死んだ。
僕が春を死なせた。
直接的な死因は肝リピドーシス(肝脂肪症)になるのかな。
春は当時咳をするようになった。
病院に連れて行っては咳止めとか抗生物質を処方してもらっていたように思う。
当時はこれで安心だ、くらいにしか思っていなかった。
でも症状が治まることはなかった。
いつだったか病院の先生に大きな病院に連れて行ってもっと詳しく検査をした方がいいと言われた。
その言葉を聞いたときに最初に思ったのがいくらかかるんだろうだったと思う。
僕はその時既に無職になって何年も経っていて借金の返済もあり、春の治療費を払うことが難しくギリギリの生活をしていた。
たった数千円の出費ですら嫌だと感じていた。
それでも僕は社会に出てお金を稼ごうとしなかった。
なりふり構わず親に頭を下げてお金を借りなかった。
春の病気のことを見て見ぬふりしていた。
春より自分の生活を優先した。
誰にも助けてと言えなかった。
結局僕は大きな病院に春を連れて行くことをしなかった。その時から僕はずっと後ろめたい気持ちを抱えて生きていると思う。
自分のことも春のことも騙して生活を続けようとしていた。
ある日床が濡れていることに気付いた。
匂いでわかった。
春が床におしっこを漏らしたのだ。
生まれて初めてのことだった。
そして春の呼吸が速くなっていることに気付いた。
この時春の身体はもう限界だったのだろうと思う。
病院に駆け込み、詳しく調べてもらうと春の心臓は大きくなっていた。
心臓の働きが弱まり、全身の血液を上手く循環できない状態になっていた。
血液は余分な水分を捕まえて体外に出す働きを持っているため、うまく水分を排出できなくなった春の体には水が貯まるようになっていた。
春の場合は肺に水が貯まった。
肺は呼吸をするための器官なので、肺に水が貯まった春は呼吸が速くなり、息苦しくなってしまったのだ。
それが咳の原因だったのかもしれない。
動画病院で処置が始まるまで春は酸素室に入れられ、呼吸が落ち着いたら注射器で肺の水を抜く、ということになった。
春はかなり危険な状態だったらしく、急に水を抜くとショック状態に陥る可能性があると告げられ、覚悟して下さいと言われた。
そう言われて、僕はようやく事の重大さに気付いた。
覚悟をして下さい とはつまりそう言うことですよねと。
僕のせいで春が死ぬ。
その瞬間涙が溢れてきた。
僕は大人になって初めてかもしれないが、人前で泣いた。
我慢しようとしても止まってはくれなかった。
待合室で周りを見渡すと元気そうな犬や怯てる犬、スマホを見つめる人。ケースに入った猫。テレビの広告。家族連れ。
ここは現実じゃない感じがした。
何を考えていたかは覚えていない。
名前を呼ばれ、処置が終わった春を見た。
ずいぶんと呼吸が楽そうになっており、ビーカーに入った薄透明な液体を見せられ、ああ、これが春の肺を満たしていたんだと、それがようやく無くなったんだと安堵した。
そして春が今どういう状態なのか説明してもらった。
これはあくまで対処療法であり、根本的な解決にはならない。心臓の働きが弱ってしまったものは元には戻らない。また時間が経つに連れて肺に水が貯まる、それを2週間に1回とか、1週間に1回とか、処置を繰り返す。
薬を飲ませる、おしっこの量を増やす薬、ただこれは腎臓に負担をかけるからどっちみち長くは続けられない。
そして自宅用酸素室のレンタルをオススメされ、パンフレットを渡された。
やけにきらびやかなパンフレットで嫌な感じがしたのを覚えている。
色んなサイズの酸素室が展開され、それぞれに金額が違っていた。
一番小さくて一番お金がかからないものを探した。
そこにはとてもじゃないが僕が毎月払っていけるような金額は書かれていなかった。
僕の今の状況を先生に説明して、お金が一番かからない最低限の方法で処置を続けていきましょうと言ってくれた。優しい先生だと思った。
そして春は治る見込みが無いらしく、酸素室も用意できないならと、安楽死の提案をされた。
「また苦しそうにしていたら、連れて来て下さいね。」
そう獣医さんに言われて病院を後にした。
僕は自転車のハンドルに春が入った鞄を引っ掛けて、自転車を押しながら帰った。
春にたくさん話しかけながら帰った。
春は鞄の中で身動きが取れず、返事はなかった。
この時の春はまだ体重が5キロ程あり、重くてしっかり握ってないとハンドルを取られそうになった。
頭の中ではずっと安楽死のことを考えていた。
僕は春の苦しみを想像した。
溺れる感覚なのかなとか、いくら息を吸っても吸いたりない、肺に空気が満たされない、ずっとうっすら酸欠な状態とは、どれ程生き地獄なんだろうと。
ちゃんと眠れてなかったかもしれない。
ある日肺に貯まった水分を抜いてもらった日、春は家に着いていつもの場所に座り、そのままコテンと寝てしまったことがある。
猫が好きな人ならわかると思うけれど、ごめん寝というやつだ。
春は普段そんな気絶するような寝方を一度も見せたことがなかったので、その日はやっと寝苦しさから解放されたのかと複雑な気持ちになった。
何度か通院を繰り返した。
春の身体から抜き取ってもらった水分も始めは薄透明だったものが、どんどん黄色っぽいような、血が混じった赤い色に変わっていった。
春は本格的に治療を始めてあっという間に痩せ弱っていった。
どんどん食欲がなくなり、薬も飲めなくなった。
最期には何も食べられなくなり肝脂肪になってると先生に言われた。
病院に連れて行く度に持ち上げて、鞄に春を入れるんだけど、こんなに軽かったっけと、その度に胸が痛かった。
その日よろよろと立ち上がり春は玄関の方へ向かいたそうにしていた。
どこかへ行こうとした。
トイレかと思い、持ち上げてあげたがそうではなさそうだった。
その後ベッドに戻してあげた。
春はあのときどこへ行こうとしたんだろうね。
ベッドでぐったりと横たわり、呼吸が荒くなった。
何か普段と違う感じがした。
僕はなんとなく春は今から死のうとしているんだとわかった。
まもなく春が死ぬ。
春は一人で逝こうとしている。
ぐったりして呼吸が荒かった春の身体は大きく痙攣した。
とうとうなんだね、と思った。
それを2、3回繰り返した。
痙攣が終わると呼吸がゆっくりになった。
もしかしたらこの瞬間に春は既に死んでいたのかもしれない。
ゆっくりになった呼吸はいびきのような声を吐き出しながら、何度も大きく息を吸ったり吐いたりしていた。
呼吸をする間隔がどんどん長くなった。
何度か繰り返したあと、春はとうとう息をしなくなった。
春はずっと目を見開いていた。
口元は涎でシーツが濡れていた。
正直ここからどう過ごしたか、あまり覚えていない。
瞼を閉じさせて、お疲れ様とかありがとうとか良く頑張ったねとかごめんねって声をかけた気がする。
近所のドラッグストアに行きでかいロックアイスを買ってきて、毛布で包んだ春の下に敷いた。
すぐに火葬しなかった。
ネット記事で死後何日も冷やして一緒に過ごしたというのを見ていて、真似しようと思っていたから。
死体でも一緒に春と居ると少し安心した。
春を枕元に置いて寝たら、翌日氷の霜が溶けてベッドがびしょ濡れになっていた。
そして確か2日後には火葬してもらった。
春の身体はカチコチになってしまったので、持って行く際に鞄に上手く入らなくて難儀した覚えがある。
火葬と言えば聞こえはいいが、所謂ゴミ処理センターだ。
確か200円くらいで春を引き取ってくれた。
春だけ取り出してお渡しするのも職員さんが嫌がるかと思って、鞄も毛布も全部まとめて焼却してもらった。
当然遺骨も手元にはない。
帰り道は自転車に乗って帰った。
春と一緒に生きた10年が終わったんだと思った。
動物病院に電話をした。
春が死んだこととお世話になったことの感謝を伝えたかった。
電話口でそんなつもりなかったのに、思わず泣いてしまい、自分でも上手く言いたいことを伝えられたかわからないが、向こうが状況を察してくれた。
春を診てくれた先生はおやすみだった。
後日家に花が届いた。
春ちゃんのご冥福をお祈りしますとメッセージカードが添えてあり、その動物病院からだったとわかった。
春は愛されてるなあ、と思って写真と一緒に玄関に飾っていた。
家に帰ると春は居なかった。
当たり前だけど。
春が居ない部屋は酷く静かで、逆にうるさかった。
冷蔵庫や空調の音が聞こえてきて居心地が悪かった。
最近は春のことを思い出すこともなかった。
どんどん春と過ごした日々の記憶が薄れてきている。
どんな鳴き声だったかなんて動画を見直さないとパッと出てこない。
僕はとてもじゃないけど春を愛していたとは言えない。
ただ自分の寂しさを埋めるために春を利用しただけだったのかな、なんて思う。
春を助けるふりをして、良いことをした自分に酔っていたのかもって。
春が苦しんでいるのが分かっていたのに、なりふり構わず本気で助けようとしなかった。
こんなものは愛でもなんでもない。
僕はただのクソ野郎だったんだと気付いた。
自分の姿を捉えた気がした。
これが紛れもない本当の僕なんだ。
弱くてずるくてプライドが高い情けない僕なんだ。
どうしようもない人間なんだ。
それでも春のことが大好きだった。
大好きなだけじゃ大切なものを守れないんだ。
僕は馬鹿だ。
久しぶりに目から涙が溢れた。
この涙はなんだろう。
なんで僕は泣いているのだろう。
多分悔し涙だ。
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