自然物+人の意識→
9月に入りました。
去年の8月1日には、梅雨が明け、
今年の9月1日には、一気に気温が下がり秋の空気がやってきました。
何月でも1日ってのはひとつの変化の始まりっていう感じがします。
これを書いている9月9日現在は、銀座三越での展示に向かう途中の雨の日の電車の中です。
(気持ちよく書きたくてグリーン車に乗りました)
さて、さっそく本題ですが、最近こんなものを制作してみました。
(なんだこれは?)
パッと見て何かわかるでしょうか?
何やら骨?のような...
まさに骨です。
そしてこれはなんの骨なのかというと....
↓
ちょっと生々しいのが出てくるかもしれないのでご注意
こちらはイタチくんの骨です。
約1ヶ月くらい前に、海周辺をゆっくりゆっくり観察しながら歩いていた時に見つけた死骸シリーズのうちのひとつ。この時の散策で、鳥、イタチ、エイの死骸を見つけました。
そして、このイタチの骨を採取してきたわけです。
最初に発見した時点では、亡くなってから間もなかったらしく、全身がしっかりと残っていました。
そこから野生動物の標本の作り方などを調べて、いろいろ考えた結果、その場に放置という作戦をとりました。
それからしばらくしてから様子を見にいくと、綺麗に骨が残っており、見つけた時はかなりドキドキでした。
一番の狙いであった頭蓋骨は、何故かそこには無く、誰か似た方向性の人が美しく飾っているのかな?とか、誰かが埋葬したのかな?とかいろいろ考えながらかなり探しましたが結局見つからず。
そしてここから皮を剥がしたり、骨から脂を抜いたりといろいろやり、綺麗な状態にしました。
このままではただの”ホネ”なので、これをどう仕立てるかを考えました。
そして、さらにここへ花を加えてみる。
花と骨
生と死
なんかいろんなストーリーが生まれてきそうな組み合わせですが、また見え方が変わりました。
おもしろぉぉぉぉ
とこの時一人で興奮していました。
そして、、、
ここからがこの文章の一番言いたいところなんですが、
自然物+人の意識→無限の可能性
なのでは?という事。
この骨というものを、もちろん僕たちもたくさん持ってるわけですが、特に努力したわけでもないのにこの造形の美しさやカッコよさ、、、
なんなんでしょう。
でもこの身近にある美しいものを、なんだかわからないけど僕たちはスルーしちゃう。
まぁそりゃそんなもんでしょと。
だけどなんかこれってけっこーやばいことなんじゃない?って誰かが思ってセッティングすると、、、なんかそう見えてくる。
そこが人間の意識といった部分なのかなと。いわゆる「仕立てる」の部分。
逆にいうと、仕立てる+人工物だとなんかくどくなっちゃう?というか、人の意識みたいなところが引き立たない。何より自分のテンションがそんなに上がらない。みたいなところがあります。
イタチの骨をまじまじと見てこれやべぇな...とか、
いい形の石を見てかわいいな...とか思うものに対して向き合いたいっていう個人的な感情です。
でもそれがやっぱり大事な気がする。
というわけで、あえて構想途中の写真だけど載せてみたのは、この過程も面白いと思う人もいるかなーというところからでした。
これはデジカメで撮った写真だけど、
これを
フィルムカメラで撮るとか、
絵で描くとか、
モビールみたいにしてみるとか、
額に飾ってみるとか、
そんなアプローチをいろいろ考えています。
自然物⇔人の意識
ということについて思いを巡らせつつ、
それを喚起させるような装置として作品を作っていけたらいいなと思っています。
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