世界、その全てを味わうことはできなくとも
日本を出て2ヶ月が経った。
メキシコに来て1ヶ月が経った。
サンクリストバルデラスカサスに来て3週間が経つ。
ここまでマイペースにほぼ予定通りの旅程を経てきた自分だったが、この街でそのペースは変わった。
生活のペース、とでもいうのだろうか。時間の流れ方が自身の体内と肌で感じる体外とでは異なるのを理解するも、それをどうにもはっきりと掴み取ることができない。自分が持ち合わせた語彙ではその違いを言い当てることができない。もどかしい。
生活、というものが睡眠や食事という営みで構成されるものだと短絡的に考えたら少しはその違いを掴めるだろうか。
夜は食事を取ったらすぐ眠たさに襲われて22時くらいに寝る。
朝は7時くらいに起きて日光を浴びて、体を伸ばしていたりすると8時過ぎ。ホステルが出してくれるトーストと果物をコーヒーと共に味わうの大抵9時半。その日の諸々を楽しむのは約12時間。約半日の活動。
自分が日本で生活を送っていた時には考えられないほどのショートライフだ。眠りすぎなのか、ただメリハリがないだけなのか。この生活のサイクルにどこかモヤモヤを抱えたまま。
充実、という言葉はこのモヤモヤを構成する要素の1つである気がしている。充実した日を後悔したことはない。そして活動時間が短いと、その日を充実させることができたとは言いにくくなる。もっとも長ければいいということでもないが、何かをしたという実感は、または嬉しいと感じる出逢いは1日が長い方が多くなる。
お腹が空いたら食事を取り、眠たくなったら眠るという欲望に素直なまま時間を流しっぱなしにして繰り返れた毎日を、実はこれまであまり経験してこなかったように思う。いつも常に何かが自分の生活を形作っていた。家族や友達等の人間関係、学校、仕事など。生活の輪郭には必ず自分とは別の何かが影響を与えていた。
旅という括りである程度長めに確保された、自分以外から受ける影響を自分で選ぶことのできる日々。旅、という活動名とも生活スタイルともカテゴライズしきれない毎日を送るということ。それは日々、人生を送るテンポをこれ以上なく自らによって、大抵は無意識的に、時に意識的に切り替えられることでもあるのだと知った。
無意識は環境に依存すると聞く。そして、メキシコという国のサンクリストバルデラスカサスという街には、これまでのメキシコでは感じなかった時間の流れを感じる。他の街と同じようにして営まれる生活だが、聴き流すだけでは掴み取りにくい独特なテンポを有している。遅くて速い、という矛盾が確かに存在する。大した観光スポットもないのに世界各国から旅人が訪れて止まない理由はここにあるのだろうか。すっかり自分も聴き入ってしまっている。
世界一周をする上で決めているのは、帰国する時期のみ。
2024年の3月に日本へ向かう以外、どこへ行こうが自由。
それ故に、今の流れに身を任せるかどうかも自由。
どれだけプランを立ててから旅に出たとしても、その通りに行くことがないのも旅だ。むしろそれが旅だ。
それでも世界中を駆け巡ることを考えると、余るほど多くの時間を持ち合わせていないのも事実。
その場の成り行きで、ただ流されていたら他にも行きたかった場所に辿り着く時間を失うことは想像に難くない。
ただ、たった数日の滞在だけでは味わえないその土地の文化の片鱗は確かに存在する。できるだけそれに触れようと旅をしていても、各地の生活圏に踏み入ることができなければ、その可能性は格段に下がる。
なるべく世界中の沢山を味わいながらも、それを風味だけでなく噛みしめるところまで、更に言えば噛み砕き飲み込むところまでを楽しむことができるか。そのバランスの上手な取り方はきっとこの旅を通して問われ続けることになるはずだ。
世界を文字通り体感したいと始めたこの旅。
その好奇心は留まるところを知らない。
それでもこの世界の全ての素晴らしい人々と出逢い、全ての文化に触れ、共に感動を分かち合ったりするようなことはできないだろう。
いや、この世界の全ての地に足跡を残すことすらできないだろう。
魅力的に感じない土地や、訪れる機会が今回に限らない土地にはそもそも立ち寄らないと決めた旅。
排他的であるのは間違いない。どの土地にだって必ず魅力はあるし、赴かなければわからないことの方が多い。それに人生いつまた旅に出ることができなくなるかわからない。
だがそれを承知で、この旅を続けている。
行きたいところへ行く。
味わいたい味を味わう。
例えこの世界、その全てを味わうことはできなくとも。
約1週間前、メキシコからグアテマラへ向かおうとしていたが、前日に食べたタコスで食あたりをもらい延期を余儀なくされた。
万端の準備で遂に向かった国境はストライキで封鎖されていた。
いつ解かれるのかと待っていたら、今度はカルテル抗争の舞台に様変わりしている。
もうカルテルは去っただとか、国境は開いているもののイミグレーションが機能していないだとかの情報がデジタルアナログ問わず日々交錯している。
どの状況下であれ、その全ては待つ自分への言い訳だった。
出費は増えるが、迂回することも空の便を検討することもできただろう。
今、次に進まなければと感じている。
新しい味を求める自分を待たせることはもうできない。
読んでくださった方ありがとうございます。
自炊をすることの多い毎日の中で、メキシコ料理をほんの少しですが学びました。バックパックは常にいっぱいなのでお土産をたくさん持ち帰ることはできませんが、その代わりに一緒に手料理を楽しめることができたなら素敵だななんて考えています。
もらってばかりの自分にも、いつかお返しができる時を迎えられますように。
文章も、またすぐ綴ると思います。
よかったら読んでみてください。
¡Muchas gracias¡