素直になる最近
なんだかずっと文章を書く気にならなかった。
もちろん旅自体に集中というか、時間を割きたかったのはあるけれど、こうやって自分の感じたことなんかを綴って残したりするのも自分の旅の一部ではあったこともあるはずで。
でも書こうとか残そうとか意気込んで言葉を置いていこうとすると、頭の中や舌の上で思いついた考えや感じたことをコネコネしている感覚が消えなかった。多分それは自分の中からすんなり出てきたものではなくて、無理に考えて造り出そうとしているのではないか。そんな気持ちがしてから、それを理由に1つの区切られた記事として文章を綴ることは止めてしまっていた。いざ綴り始めてみても綴り切ることがなかった。
今こうやって綴っていると、粘土で遊ぶようにあれこれと新しくくっつけていきたいものもあるけれど、以前とは違うこともあって。自分の中の1人の自分がもう1人の自分の中にあると確認できたものだけを、なんか大切にしたくなっていた気がする。なんか主観と客観ってほどくっきり分かれていたり、片方がもう片方に寄り添っていないわけではなくて、難しいけどなんかずっといるじゃん、いたじゃんもう1人、みたいな感じなんだけれど。
感じた瞬間ぱっと光って見えたものや、自分の中でじわじわと輪郭を見せつつあるものだけを。
いろいろ考えたり、悩んだりしては、自分の考えが気が付かないうちに元の形とは違って見えたりして。でもそれが元からだったなんて自分自身を言いくるめたりさえして。そんな自分をもう1人の自分は見て見ぬふりをしてたりもして。
素直になる、ということはどれほど難しい事なのかを、素直になろうとすればするほど強く感じ続けている。
直近2ヶ月はそんな感じで物思いに耽っては、それをなるべくそのまま吐き出すようにしてメモ帳に書き出したり、スマホの音声入力で書き起こしたりした。
無添加な気持ちとそれをそのまま写した言葉たち。
それを目に見える形で確認できたりした時、なんだか少しは自分に向き合えたような気がした。それで多分少しは安心もしたのかなと思う。
旅をしていても、観光スポットには足を運ばずに海や河を眺めていることが多かった最近。それに大してその景色すらも覚えていなかったりして。結局自分事ばっかりなんだなあと思ったりもする。
でも今の自分が今の自分でいられていること。
ここまで来れたということ。
そしてこの今のためには、過去の何もかもがほんの少しも異なっていてはいけないということ。
あの時自分は辛い思いをしていなければいけなかったし、思ってもいなかった場所をあのタイミングで訪れてなければいけなかったよなーとか。
あの土地で、あなたと出逢っていなければいなかったし、あなたと別れていないといけなかったんだなぁとか。
全てが繋がったような、もしくはずっと前から繋がっていたことに今気がつけたような感覚が自分の胸を満たしていることに気が付いて、嬉しくなる。でもこんなこと日本にいても辿り着いた1つの考えの答えかもしれない。でもそれがそんなこともないかもしれないんだよな、タラレバでしかないなー、なんて。
んでそんなことを思い出すたびに、あーなんて贅沢な旅をしているんだろうとしみじみする。もちろん贅沢でない旅などないのだろうけどね。
そんなことを考えていた最近でした。
丁度誕生日が重なったこともあって、キリよく生まれてから22年経って、今自分はここにいるんだなとか、後から振り返った時にここにいたんだよとか残せるいい機会にもなった。感謝!
読んでくださった方ありがとうございます。
今は1人でラオスを訪れていたりしても、ネットを通じて誕生日を祝ってくれるメッセージが届いたりして嬉しいなぁなんて思ったりします。
でもそれがなかったらどうなるんでしょう。そう考えると、自分の誕生日は自分で祝うことも悪くない、むしろそっちの方が自然な気すらしてきます。誕生日というのは1つの時間の区切りでしかないけれど、だからこそこうして最近を振り返るのにはなんか向いているのかもしれません。
誕生日だからといって何も変わらない一日がこうして在ることが、実はかけがえのない瞬間だなと今実感しています。