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メキシコに染まれ

この国が好きであることは、足を踏み入れる前から知っていたような気がする。
今更形容のしようもないけれど、元から期待は他の国よりも数倍高かった。
ここ最近で一番の胸の高鳴りを覚えながら飛行機を降りる。




始めに訪れたのはグアナファト。
おもちゃ箱をひっくり返したような街並みと評される観光地だけれど、感覚としてはおもちゃ箱に自分が投げ入れられたみたいだった。まっすぐ進んでも、脇道に逸れても次から次へとカラフルな景色が続く。自分が好きな配色はどれかを探していると迷路に飲み込まれる。自分が前に進むことしか頭にないバッファローのようになっていることに気が付いたのは、決まってお腹が空いた時だ。有難いご縁から、自分一人では二泊という短期間で辿り着けそうにないディープなコミュニティーも覗くことができた。観光客で溢れかえったメインストリートから一本でも道を隔てれば、その街で生活を営む住人の面影が確認できる。彼らの通うタコス屋が結局一番美味しいことに驚きはなかった。

世界屈指の観光地であるサンミゲルデアジェンデ。
グアナファト同様、派手やかな街並みが国内外から人々の足を運ばせる。朝に照り輝く暖色のレンガ壁は植物との相性がとてもいい。日暮れが近づきゆったりとした微風が皆をソカロに運ぶのをマリアッチが待っている。来訪者と定住者、どちらもが同じリズムを同じように楽しんでいる。その気取らなさがこの街最大の魅力なんじゃないかと感じた。

水道橋の街、ケレタロは想像以上の都会。
メキシコにも信号機があってホッとしたようなガッカリしたような。交通量に関わらず市街地のどこまで行っても食事処はタコス屋だらけ。この国でトルティーヤから逃れることはできないと知る。

中米の大都市、メキシコシティー。
山手線顔負けの満員電車が地下を走り回る。地上ではひっきりなしに車が駆け、人が駆ける。もんもんとした苦しすぎない熱気が排気ガスと混ざり合って人々に纏わりつく。癖になりそうな小汚さ、灰色にくすんだ街並み、もしゃもしゃと生い茂るツタ植物は以前訪れた台北を彷彿とさせた。首都だからといって英語が伝わることは少なかった。

白亜の街、タスコ。
結局 "こじんまり系コロニアル" な街並みが好きなんだと嫌でも気が付かされる。(全然嫌ではない。むしろありがとう。)山間に突如出現するのは何から何まで白く塗られた景色。迷路でしかない小道をたくさんの白ビートルが行ったり来たり。この国で大半のシルバーアクセサリーがこの街の名前と共に店に並ぶほどの銀の生産地でもある。この旅始まって以来初めて値切りを断られた。

天使の街プエブラには心地良さが詰まっていた。
中心街に出れば木漏れ日の元に密集するミニテントが骨董品市場を形成している。手作りのアクセサリーに大抵値札はついていない。集まって図画工作が楽しまれている街角。道路が舗装されていない区画にばかり見つけてしまう好みのグラフィックアート。芸術という響きには重厚感を覚えるけれど、そんな重りの取り外しはとても簡単だということをこの街が教えてくれる。

オアハカは食で知られる一大観光地。
メルカドに併設されたたくさんの食堂ではひっきりなしにお客が席を埋める。他の街より客引きのおばちゃんらがサバサバしていて諦めが早いのもこの光景を見て納得。中心地はコンパクトにまとまっていて、欧米人率高めな観光客の喧騒から少し抜け出すと、今度は現地住民の喧騒が待ち構えている。豪華絢爛な教会よりも、バイクと車がひしめき合うすぐ脇でトルタスの屋台を囲む作業着姿の青年達をレンズ越しに覗きたくなるのはどうしてだろう。

これらのどれよりも楽しみにしていた街、サンクリストバルデラスカサスからこの文章を綴っている。
大した観光地は無いのに、いや無いからこそ惹きつけられる確かな魅力をここに住み着く人々とは分かち合える気がする。まだこの街を表現する上で、納得できる語彙は自分の中で見つかっていない。それすらも言い訳にぐうたらのんびりと滞在を続けている。あえて毎日を充実させすぎないようにしている自分には喝が必要だろうか。




目の前の四角い画面をすり抜けて、飛び込んで来てしまったみたいだった。
人混みを流れながらどこか浮いていた、自分だけ迷い込んだ感覚。
まぁ実際に迷い込んでいることばっかりなのだけれど。

この国を北から南へと眺めてきた。
数時間バスで移動すれば、街ごとの特徴はコロコロと変貌する。
その明確な入れ替わりは、観光業的理由からかもしれないし、未だ受け継がれ続ける色濃い土地柄からなのかもしれない。
どちらにせよ、見つけた特徴のどれもをきっとメキシコらしさと呼んでいいはずで、一つに絞ることも、通称に当てはめることもしたくはない。

1ヶ月にも満たない滞在で何を偉そうに語れるだろう。個人的趣向で決めた旅路、今回は訪れない地域だって数多くある。

ただ、街の表面を撫でるだけでは触れることのできないような、どの街の生活にも根付いた文化の片鱗のようなものにも、迷い込み続けるからこそ出逢える気がしている。



石鹸と砂埃とトルティーヤが混じったような匂い。
この国を出た先でも香り続けているのだろうか。





読んでくださった方ありがとうございます。
日々の出逢いが少しずつ自分に影響を与えていって、それがこうして綴った文章にも変化として表れていたりするのかなぁとか考えると、勝手に感慨深くなります。
よかったらまた読んでみてください。
¡Muchas gracias¡

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