【要約】 自分の人生を歩むために嫌われても良いという覚悟は重要だが、わざわざ嫌われる行動を取る必要はないのでは。そして、”無駄に”嫌われ、悪い印象を抱かれるのを防ぐためには、他者を尊重する意識と、正しく伝えるスキルが重要なのではないか。 『嫌われる勇気』が一斉を風靡したのは、早5年前の2014年になる。かなり簡略化すると、自分の人生を生きるために、自分と他人の課題を分離し、嫌われる勇気を持つというような内容である。 協調性と”和”を重要
「自分がなりたい姿になれるのも仮想空間の魅力の一つ」 もしかしたら将来は面接も全部メタバースでやるようになって、仕事の時の私はメタバース空間にしか存在しない。みたいなことになるのかもしれない。でもやっぱり実際に顔が見たい派は一定数存在して、仕事における自分のアイデンティティをどの程度開示するのかについて多様化しそうな感触がありそうですね。 ちなみに、PCから参加したときはこんな感じでPC画面からアバターの様子を見ることが出来ます。 とてもシュールな感じ笑 本当の(?)自
目標を持ち、実現することは大切。ただ、気をつけなくてはいけないなあ。たとえ目標が実現できても、それで幸福が約束されたわけではないし、第一、今まで犠牲にした大切なものが返ってくるわけでもないから。 目標に傾きすぎるのは、自分の価値観には合わないのかなあ。
【要約】 馬鹿を見ることを恐れ、物事を諦観すること。知識や情報を集め、ただ自分の存在意義を考えるのに安住すること。これらは、将来進む道を切り開く勇気を持たず、古き良き学生時代を懐古するだけの人に異ならない。今を生きるには、まずどこに進むべきか、と頭を掻き毟りながら、悩み続けることである。そして、「自分が生きる世界にこんな不幸があるなんて恥ずかしい」という意識
【「〇〇が嫌いだ」よりも「嫌いな〇〇がある」】 『本質を見通す100の講義』(森博嗣著)の中にその一文がある。餡子が嫌いの場合、饅頭・最中・善哉…全ての餡子を試したわけでもないのに、帰納的に全体化する。そしてこれが炎上のタネになる。言う側も受け取る側もその”意図”に留意したい。