傘を差しだせる人でありたい
年齢を重ねる中で、
「見守られる側」から「見守る側」
に移りつつあることを実感する。
子を持つ友人が増え、「見守る」ことの難しさと、
責任の重さを、そばで学ばせてもらっている。
私は元々、子ども(とりわけ赤ちゃん)が少し苦手で、今も接し方に迷うことが多い。
ただ、「大切な人の子」は、とても愛おしい。
可愛いとかそういう単純なものではなく、
ただただ、「愛おしい」という感情を抱く。
じんわりと感じるものだから説明が難しく、とても不思議な感覚。
子どもと一緒に過ごしていると、
「大人」としての責任感を問われる機会が多い。
身の危険が迫ると、「助けなければ!」
と身体が勝手に動き、
注意しなければいけない場面では、
「どう伝えるか」を咄嗟に考え、
「(親じゃない)私が、怒ってもいいのだろうか、そんな資格あるのだろうか」と、頭の中で1人葛藤を繰り返している。
親ではなく、1人の大人として、
どう接するのが、どう伝えるのが、ベストか。
「ぼんやり生きているといけないよ」と、喝を入れられているような感覚。
身の周りの危険から守ること。
失敗してもいいから、本人の意思を尊重して、目の前の行動に口を出さないこと。
質問されたら、変に誤魔化さずに伝えること、内容によっては丸く削って伝えること。
「見守り方」は、人それぞれ、あらゆる形で存在しているような気がする。
実家の近所に、昔から交流のあるご夫婦がいた。
私の家族全員と親しくしてくださる、素敵なお2人だった。
ご夫婦の自宅は、周辺の住宅の中でも一際大きなお家で、窓から見えるカーテンやお庭だけをとっても、お金持ちのお家なんだろうなあと、幼いながらに感じていた。
洋館を彷彿とさせるそのお家は、いつも前を通るたびに、私を少し高貴な気持ちにさせてくれた。
奥さんは、昔から自宅で習字教室をされていて、
私を含めて、兄妹3人全員がお世話になった。
習字を習っていた和室をはじめ、どのお部屋も綺麗に保たれており、家具や食器、目に映るあらゆるものが、キラキラ輝いていたことを思い出す。
習字教室を卒業してからも、玄関先や道で会うことが多く、挨拶をすると、いつも必ず一言二言お話をしてくれるのが嬉しかった。
「今日は、どこにお出かけなの?」
「まあ、いいわねえ。いってらっしゃい。」
出かける時は見送ってくれて、
帰ってくると「おかえりなさい」と声をかけてくれることが、地元に帰ってくる安心と喜びだった。
そんな彼女が、今年から高齢者施設に入所した。
数年前に旦那さんが亡くなってから、一軒家に1人で住んでいたのだが、今後のことを考えて施設に入ることを決めたという。
「手紙を渡そうと思うんやけど、どうかな?」
と、母から連絡が来た。
ご近所さんと一緒に送別会をするから、お世話になったみんなから手紙を渡そうという話になったらしい。
兄妹3人からの手紙を託し、
後日、送別会で喜んでくれていたよと話を聞いた。
それから数ヶ月後…。
私のマンションのポストに、1通の手紙が届いた。
差出人は、その彼女だった。
あまりに達筆すぎる文面で、読むのに少し苦労したものの、美しさが宿る文章に惚れ惚れした。
「社会で、第一線で頑張っておられて、嬉しく思います。●ちゃんは、小さい頃から活動的で、心優しく、何事にも興味津々な子供さんでしたね。よくよく覚えています。」
「社会では、色々と大変なことがあるでしょうが、持ち前の明るさと賢明さで乗り越えてくださいね。」
幼い頃から、近くで見守ってくれていて、何年経っても覚えてくれていること。
そして、大人になった現在の私に、エールを送ってくれていること。
今日まで元気で過ごせているのは、家族だけではなく、いろんな方々の「優しさの積み重ね」で成り立っている。
当たり前のようで、決して忘れてはいけない大切なことを、彼女から受け取った出来事だった。
優しくて温かい想いに、
心の奥を、ギュッと抱きしめられた感覚がした。
中学生の頃、学校からの帰り道。
夕方、バス停の列に並んでバスの到着を待っていた。
ちょうどそのタイミングで、突然の夕立ちに遭遇。
「あとはバスに乗って家に帰るだけだし、もうすぐバスも来るから、濡れてもいいや」
傘を持っていない私は、そんなことを思いながら、せめて顔が濡れないように、足元を見つめてバスを待っていた。
……あれ?
さっきまで冷たいと感じていた雨が、ピタリと止んだ。
ふと目線を上げると、私の頭上に青い傘が見えた。
私の後ろに並んでいたサラリーマンの男性が、何も言わずにそっと傘を差してくれていた。
咄嗟のことに、私が頭をさげると、男性も無言でお辞儀を返してくれた。
たった数分のそのやり取りだったけど、
「何も言わず」傘を差し出してくれたことに、
私は大きな優しさを感じた。
周りに人がいたこともあり、もし声をかけられたら、私は驚いたと思うし、
「大丈夫です」と遠慮して、その優しさを断っていたと思う。
人からの無償の優しさって、こんなにも心が温かくなるんだなあ。素敵な大人がいるんだなあ。
「夕立ちに遭う帰り道も悪くない!」
と思いながら、少しニヤついて帰路に着いたことを、今でも鮮明に覚えている。
いつも近くで見守ってくれていた彼女のように、
偶然バス停で居合わせ、傘を差してくれた彼のように、私は他者を「見守る」ことが出来ているのだろうか。
人から受け取った「優しさ」を、
また別の人に渡していく。
この世界が「本当の優しさ」に溢れるのは、
そういう瞬間の積み重ねだと、強く信じている。
その一端を担う「素敵な大人」であり続けたい。