『眩耀夜行』のもう一つの見方
蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん、こんにちは。ゆらぎ仮説と申します。
今回は2024/9/9のWith&MEETS『星のお話。』で梢先輩のお話しされたことがあまりにロマンチックだったので、その内容を眩耀夜行の歌詞と絡めて私の考えを少しお話ししたいと思います。
興奮冷めやらぬ中書いているので読みにくい点やおかしな点も多々あると思いますが、そこには目を瞑っていただけると幸いです。まあ、いつものことなのですが。
とにかく今は、この興奮を皆さんと共有したいのです。
同じ双子座の二人
2024/9/9のWith&MEETS『星のお話。』のafter配信にて梢先輩が星座の話をする中で、話題は「クラブのメンバーとその星座」へと移りました。
花帆の誕生日は5月22日、梢先輩の誕生日は6月15日で、実はこの二人は同じ双子座なんですよね(双子座の期間は5月21日〜6月22日)。それに関連して梢先輩は次のようなことを述べています。以下はその書き起こしです。
いや最っっっっっ高かよ!!!!
ああ、すみません。いきなり取り乱してしまいました。
いやでも素晴らしくないですか、これ。
私は梢先輩推し、ひいてはこずかほ推しなので、梢先輩のここのセリフを聞いた時は流石に動揺を隠すことができませんでした。
「ずっと一緒」というイメージを抱いていている星座に自分とその相方を投影して、それを「なんだか嬉しい」と感じている訳です。愛じゃん。
「願わくば花帆とずっと一緒にいたい」というただそれだけのことを、星座を絡めてこうもロマンチックに、そして婉曲的に表現するのは流石梢先輩らしいなと思います。まるで和歌ですね。
神話上のデネブと双子座
また配信中、梢先輩は夏の大三角を「蓮の大三角」になぞらえると、自身はデネブであると述べています。
慎ましい梢先輩らしい答えだな、と率直に感じました。
さて、私は星座や天体に疎いので知らなかったのですが、この星デネブは白鳥座の一部なのだそうです。
この白鳥座、実は双子座と深い関わりがあるそうです。
ああ、本当に美しいな、と思いました。
カストルとポルックスの二人は本当の意味での双子ではなかった訳ですが、「何をする時も一緒でいたい」という切実な願いが、双子座という形で彼らを永遠に結んだのです。
このお話を踏まえると、梢先輩が「花帆と同じ双子座というのは、ずっと一緒というイメージがしてなんだか嬉しい」という旨の発言の重みが増してきませんか?まさに「一生スリーズブーケ」です。
綴理との確執、沙知先輩の裏切り、慈の怪我などの不幸が重なり、人間不信と自己嫌悪の渦に飲み込まれていた時期の梢先輩に「あなたとなら一生一緒にいたい」と言わしめる花帆という存在。「尊い」という言葉の安売りは嫌いなのですが、この二人の関係性には「尊い」以外の言葉が見つかりません。尊い、尊すぎる。まさにカストルとポルックスの関係性そっくりだと感じました。
さて、ポルックスとカスタルの「死ぬ時も一緒にいたい」という願いを叶えたゼウスは、実は白鳥の姿で地上に現れた際に彼らを誕生させる遠因となっていた訳ですが、これも梢先輩のメタファーだと私は考えました。つまり、ゼウス(=白鳥≒白鳥座⇨デネブ≒梢先輩)がいなければ、カストルとポルックス(⇨花帆と梢)は出会うことも永遠に結ばれることもなかったという点において、梢先輩は運命の相手を見つけて結ぶというキューピッドの役割もしていたのです。なぜなら、彼女の懸命な勧誘と説得がなければ、花帆はスリーズブーケに加入することは愚か、蓮ノ空に留まることもなかったかもしれないからです。
ああ、なんて美しいのでしょう。自分の気持ちを閉じ込めることが当たり前になっていた梢先輩すらここまで人との出会いを肯定してしまうこの二人の関係は、本当に美しいという他ありません。
眩耀夜行の歌詞を見返す
さて、ここまでの話を踏まえてもう一度『眩耀夜行』のある部分を見つめてみると『眩耀夜行』の新たな姿が浮かび上がってくるのではないかと考えました。深読みしすぎだとは思いますが、素人の戯言だと思い面白半分に聞いていただけると幸いです。
まずはこの部分。ここの「一つの星座」とは具体的に何なのでしょうか?
いえ、もちろん普通に考えれば具体的な星座を指している訳ではない事は明らかなのですが、ここは敢えて無粋に考えてみました。
皆様もお察しの通り、これに対する私の答えは「双子座」です。
「日常の些細な感情や場面を全てかき集めて覚えておくことで、私と君だけの世界、すなわち双子座を作ろう」と、この様に解釈できたりはしないでしょうか。
『眩耀夜行』では「私」と「君」だけの逃避行と、ずっと一緒にいることのできない織姫と彦星をイメージして作成されています。それを踏まえて上の様に解釈すると、「双子座」という永遠を願いそれが叶った星座に、「私」と「君」が自分たちの思い出を投影しているのはある種当然である気もします。
逃避行の最中、永遠に時を共にする事を選んだと言われる星座を「私」と「君」が見上げるというのは何ともロマンチックだと感じました。
はぁ…。あまりの美しさに、そう声が溢れてしまう程です。眩耀夜行の歌詞は本当に美しいですよね。
望遠鏡を覗かなくとも、大事なものは見えているんです。何でしょうか。
私は「君」なのではないかと考えました。
それではなぜ望遠鏡を覗かなくとも「私」の目には「君」が見えているのか。
ここで双子座のお話を思い出して欲しいのですが、カスタルとポルックスの二人は生まれた時から何をするにしても一緒に行動を共にしていた訳です。カスタルが死んで星になった後も、ポルックスはゼウスへ「一緒にいたい」と懇願して不死身の命すら投げ打って星になり、星座として永遠にカスタルのそばにいることを選んだ訳です。相棒が見えなくなってしまう瞬間があるはずがないんです。
「一生スリーズブーケ」であることを約束した彼女らにとってもそれは同じことであり、出会った日から近くにいる「君」を見るのに、わざわざ望遠鏡といった遠い存在を観測する道具は不必要ということなのでしょう。
言い換えると、「出会った日からどんなことでも時間を共にして、これからも時間を共にすることを約束した私たちにとって、どちらかが先に星(=離れた存在)になることは有り得ない。」という決意の表れでもあると私は感じました。「私」と「君」の逃避行を描いた『眩耀夜行』の世界観らしい、なんと素敵な歌詞なんだと私は思わず感嘆しました。まさか『眩耀夜行』を二度美味しく感じることができるとは思ってもみませんでしたからね。
『眩耀夜行』における星は先ほども述べた様に「日常の些細や感情や出来事」と解釈することもできるので、ここでの「大事なもの」もその星や星座、すなわち「日常の些細や感情や出来事をつなぎ合わせたもの」と考えるのが筋というものかもしれません。しかしその場合においても、「君」が近くにいてくれる限り望遠鏡といった大層なものは不必要である気がします。
確かに、「君」と離れ離れになってしまい遠い過去のものとなった思い出などを見つけるにはそういった道具が必要となりますが(我々はそれをアルバムや動画とと呼んだりしますね)、常に新しい感情や思い出を提供してくれて、過去の思い出をいつも更新してくれる「君」がそばにいる限りやはりそれらは無用の長物となる訳ですから。
最後に
ここまでこの様な駄文をお読みくださりありがとうございました。
今回は『眩耀夜行』の一部の歌詞を、花帆と梢先輩の星座である双子座やデネブと絡めて新たに見つめ直してみました。
『眩耀夜行』については既に考察精鋭班の方々によってかなり奥深い議論が交わされており、私などが口を挟む余地はない事は承知の上で
「こんな見方をしても面白いかもなあ」
と私の考えたことを下手なりにまとめてみました。まあ、笑い者にしてくださって結構です。なぜなら私はもう既に満足しているので笑
スリーズブーケと眩耀夜行が、これからも多くの人に愛されますように。
そして、梢先輩と花帆が一生スリーズブーケできますように。
それではまた!