覗きの時代
ダグ・リカードという写真家・映像アーカイバーがいます。
Googleストリートビューの画像を切り取ってまとめた写真集をつくったひと、といえばピンとくるひとも多いのではないでしょうか。
その彼が「TOM」という写真集を2013年につくってます。そのなかではフェティッシュに切り取られたミニスカートの女性の写真が並びます。一種の盗撮とすら呼べるかもしれません。ダグは1960年代のロサンゼルスの女性を盗撮したヴィンテージの画像を発見し、これを再編集して写真集として仕立てたそうです。
「TOM」というタイトルには、覗きのニュアンスが含まれています。これは昔のとある逸話で覗き見行為を行ったとされる人物がTOMという名前だったことに由来して、覗きをする人物のことをPEEPING TOMと呼ぶ、ということを下敷きにしたタイトルでしょう。
この写真集を通じて、ダグ・リカードはなにを問題提起したかったのでしょうか?
”許容される「覗き」とはなにか?”という問題提起
写真は多かれ少なかれ「覗き」です。そのときに
・許容される「覗き」
・許容されない「覗き」
に恣意的に分類されます。
TOMで撮影されている写真は本人の許可を撮っていない性的な目線の入った写真です。それは本来許容されない「覗き」のはず。
しかしこれをダグ・リカードは再編集して写真集として出版します。そしてそれが成立させている。下心で撮影された写真を束ねたものが、写真集として成立しているわけです。
つまり、ダグは本来許容されない「覗き」が許容されている状態を作り出している。といえます。ここに問題提起が潜んでいると感じました。
背景:スノーデン事件
この作品の背景には、かの有名な「スノーデン事件(2011)」があります。この事件を簡単にいうと、すべてのインターネットを介した情報通信が盗まれ保管されていた、ということがわかったという事件で当時インターネットの秘匿性に関して大きな議論を巻き起こしました。
本作品はその2年後の作品であり、スノーデン事件の影響を大きく受けているそうです。これは許される覗きなのか、許されない覗きなのか。
「インターネットを介した全人類監視社会において、許される”覗き”とはどのようなものか?」
そこに大義があればいいのか?使いみちに正義があればいいのか?そんなことを問いかけられているように感じました。
世の中からは大きな批判があったけれど、本当に批判すべきものか?その判断は誰がどのようにするのか?
覗きあう時代へ
WEB、そしてSNSの発展とともにぼくらは互いを覗きあっている。素人の撮影した芸能人の写真なんかもSNSのあげられる。
国民全員が「覗き」を行う時代だ。
ジャーナリズム写真と呼ばれるものだってある意味覗きだし、週間文春がやっていることなんか覗きの極みだ。
それを是とするか非とするか。その基準はどこにあるのか。
本人の承認があればいいのか?大義があればいいのか?
そんなことを考えさせられるダグ・リカードの「TOM」でした。
ちなみに、
路上観察学入門のなかででてくる森信之さんによる女子高生制服ウォッチングは真逆の構図で、研究目線で集められた制服のスケッチアーカイブが、きつめの性癖を放つ本としてまとめ上げられている。